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お金で買えない財産 人を恨んでも自分の運がなくなるだけだ

「栄作さんが来られました」
秘書がそう言うと、栄一は黙って頷いた。
栄一は、本日限りで、自分が築き上げた会社から退く。
自分で決めた定年だから守るのは当然だ。
社長の座は、10年ほど専務の座にあった長男の榮太郎に
譲ることになっていた。
栄作は、栄一の次男にあたる。栄作は、子供の頃から
出来が悪く、中学を卒業するのもやっとだった。
方々探し回って、寄付金を払って高校までは出したが、
大学はどうしようもなかった。
担任の教師からは、たぶん、小学3年生か4年生くらいの
学力だろうと匙を投げられた。
長男の榮太郎が、トップでT大を出たのとは大違いだった。
「栄作が、ああなったのは全て、俺のせいだ」
栄一は、栄作が妻の腹の中にいる間に、愛人を作った。
そのことが妻に知れ、妻は、夫である栄一を
恨む代わりに我が子である栄作を恨んだのである。
妻の憎悪はすさまじかったのは、栄作の身体に残る
数々の傷跡が物語っている。
高校を卒業した栄作は家出同然に家を飛び出してから10年間、
一度も家に戻っていないし、栄一や家族達とも会っていない。
栄作はサイクリング自転車に乗って日本中を旅して回った。
そして、たった一つの特技である絵を描いて生計を立てていた。
と言っても、最初は売れない画家であるから、公園などで
似顔絵を描いている程度だった。そのうち、知り合った女性と
結婚し、子供を二人もうけたらしい。
トントン。
丁寧にノックして栄作が入ってきた、
「お父さん、お久しぶり。お呼びのようで…」
Tシャツにジーンズで長髪の栄作は、純朴そうな笑顔で
栄一の前に立った。
応接に座り向かい合った栄作を見ながら、栄一は言った、
「すまん、決して良い人生ではなかったはずだ。
バカな父である俺のせいだ。さぞかし恨んでるだろう」
「そんな時代もありましたが、今は、とくに。
人を恨んでも自分の運がなくなるだけだと分かりましたから。
それに僕も家庭を持って、僕なりに幸せにやってます」
「そうか、良かった。俺は、今日で引退する。せめてもの気持ちだ。
会社の株を10%、おまえに譲ろうと思う」
「ありがとうございます。でも、株はいりません。
僕にはお金で買えない自由という財産がありますから」
「でも、それでは、おまえに何として詫びればいいのか」
「それなら、お母さんに詫びてください。
結局、一番傷ついたのは、お母さんですよ。じゃあ、
ああ、忘れてた」
栄作は、飛び出して行って、愛妻と二人の子供を伴って
すぐに戻って来た。4人とも、満面の笑顔だ。
「これが、僕の家族です。おい、ごあいさつ」
二人の幼い子供は、栄作に肩を叩かれて笑顔で挨拶した。
「お爺ちゃん、はじめまして」
栄一は、初めて見る栄作そっくりな二人の孫を見て胸が一杯になった。

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