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人騒がせなジョギング

広域暴力団K組の組長、Kの朝はラジオ体操で始まる。そして、腹筋100回背筋100回、そして、10キロのジョギングである。
「ヤクザの組長張れるのも、足腰が丈夫でこそや」
と毎日身体の鍛錬を欠かさない。
おそらく、アルマーニの眼鏡をキラッとさせながら走っているKの姿を見て、かの有名な広域暴力団Kの組長だとは誰も思わないだろう。
きっと、青年実業家かエリートビジネスマンと思うに違いない。
しかし、Kが颯爽と走るのは良いのだが、若頭始め、K組の組員たちは心配でたまらない。
Kの命を狙っている連中は、星の数ほどいるのだからだ。
だから、Kがジョギングを始めると、濃紺のベンツやリンカーンコンチネンタルなどが伴走に付く。
特に警戒が必要な日は、配下の右翼団体の街宣車なども追走する。
おそらく、日本一、騒がしい早朝マラソンだろう。
道行く人も、隅っこでビクビク縮こまっている。
そんなKが、国道沿いを、モクモクと走っていると、下腹に激痛が走った。どこかの組の連中に撃たれたのではない。
昨日の某政治家との酒席で、ほんの少し飲み過ぎたせいなのだ。
「うう…」
伴走するベンツから若頭が顔を出した。
「親分、どうしました?」
「いや、ちょっと、用をたしたくなってな」
「と言われましても…」
ベンツはもちろん、リンカーンはおろか、観光バスを改良した街宣車にもトイレはない。
「ううう…」
何度か撃たれた経験もあるKだが、銃弾の痛みは耐えられても、この痛みと寒気には耐えられない。組長でなかったら、「おかあちゃーん」と叫んでいるところである。
とうとう、Kは、白い建物の前で動けなくなった。
「ここで、用をたす」
とKは、言葉を押し殺すように言って、建物の中に入って行った。
「親分…」
と若頭たちが何やら叫んでいるが、そんなこと知ったことではない。
早朝だというのに、そのビルの中は、多くの人の気配がした。
24時間営業のようだ。
「トイレは、どこですか?」
眠そうな女性職員に聞くと、
「そこの角です」
「どうも」
悠然と女の子の前を立ち去ったKだが、トイレの手前から、目にも留まらぬ速さで、中へ飛び込んだ。
この瞬発力、さすがは、男の中の男、毎朝、鍛えに鍛えているだけある。
幸い、さしたる粗相もなく用をたしたKが、トイレから出てくると、
「よー、Kじゃないか。おまえ、何の用や」
「いえ、大した用じゃ」
「くさいなあ」
「そりゃまあ…意地悪なしですよ。ちょっとトイレ借りただけですよ。刑事さん」
そのビルは、Kが何度もお世話になった警察署だった。

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