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一枚の着物が教えてくれた、 生も死も同じだとわかれば人生観が変わる。

先年96才で天寿を全うした母の遺品を始末していた義男は、
一枚の着物を見つけた。なかなかの逸品だが、かなり古くなって
いて、もう身につけるのは難しそうだ。
「母さんは、これを死ぬまで持っていたんだな」
義男の母は名門の出で、10数個の行李に100以上の着物を
持って嫁に来たそうだ。
しかし、そんな着物も、ほんの3年程で無くなってしまった。
戦争で夫を亡くした義男の母は、当時10才になったばかりの義男と
二人食べて行くために大変な苦労をした。
とにかく、生まれてからこれまで、食べるのに困ったことなど
一度もないお嬢さん育ちだった。
お金はあった。でも、お金では、食べ物は買えなかった。
戦況が悪化すれば、物々交換しかなかった。
米をもらうために、農家に頭を下げて着物と交換してもらうのだ。
「百姓は偉そうにしとるのお。義男、嫁もらうんやったら、
百姓の娘にするんやぞ」
義男の母は、着物を脇に抱えて義男の手を引きながら、
百姓家を一軒一軒頭を下げて回った。
ある日、なかなか米を譲ってくれる農家が無くて困っていた義男と
母は、ある農家のオヤジと掛け合った。
頭の禿げた40過ぎのオヤジは、義男の母が未亡人だと思って
なめていたのだろう。こんなことを言った、
「着物は、もういいから、のお、ワシの言うこと聞けよ。
米くらい、いくらでもやるから」
見るからにスケベそうなオヤジは、義男の母の肩に手をかけてきた。
「着物と交換で、お願いします」
義男の母は、オヤジの手を払いのけて、キッパリ言った。
オヤジは、面子を汚されたとでも思ったのだろう。
タコのように真っ赤な顔になって
「分かったわい、持ってけ」
と言って、着物を母の手から引っこ抜くように取ると米の入った袋を
放りなげた。米の袋から、米が飛び出した。落ちた米粒を必死に
袋につめる母の姿の情けなかったことは、今も義男の脳裏にハッキリと
残っている。もう暗くなっていたから、石ころも袋に入っただろう。
「なんで、父さん、死んだんや、なんでや」
と義男は、涙を流しながら何度も言った。
帰り道、母も同じ事を思ったのだろう。何も話さずに前だけを向いていた。
戦後、あの頃の想い出話をすると、義男の母は拳を握りしめて、
「母さんはな、父さんを裏切るくらいなら、おまえと二人、
いつでも喉を切って死ぬつもりやった」
と言っていた。
一枚の古ぼけた着物は、義男の母のもう一つの戦争の生き残りなのだ。

死を意識した時から、

あなたには今まで見えなかった

何かが見えるようになる。

生も死も同じだとわかれば、

人生観が変わるはずだ。

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