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母の愛は偉大なり

眠れない夜の翌朝の通勤列車は地獄である。
目がクラクラして倒れそうになった。
なんとか凌いで駅にフラリと降りたって汗を拭う。
その瞬間、30年ほど前のニュースを思い出した。
当時の私は、たぶん、小学校5年生くらいだったろう。
学校へは毎日、S君といっしょに通っていた。
S君は、とぼとぼと歩く通学路でその前日の夜テレビで見た感動のニュースを話してくれた…
アメリカであった話だ。
何州であったことまでは覚えていない。
ある日、子供が坂道の下にある家の前で遊んでいた。
子供は、5歳くらいの男の子だった。
たぶん、自動車のおもちゃでブーブーとか言いながら遊んでいたのだろう。その子にゆっくりゆっくり近づく影があった。大型トラックである。
サイドブレーキが効いていなかったのか。
無人の大型トラックが坂道の上から下ってきたのである。
その大きな影に気づいた男の子は、
「マミー」
と叫び声をあげた。
我が息子のただならぬ声に、庭で洗濯物を干していた母が飛び出してきた。その時、すでに大きな影は子供を飲み込もうとしていた。
「誰か来て」
母は叫んだ。
誰も来ない。
タイヤの下敷きになった子供は、
「マミー、マミー」
と泣き叫んでいる。
母は夢中で大きな影に体当たりした。
そして、なんと大型トラックの後部を10数センチ持ち上げた。
子供は、苦しみながら夢中ではい出した。
次の瞬間、母も転がるようにしてトラックの横に逃げた。
そのトラックは、そのまま下って行き、塀をうち破り、家を半壊させた。
数分後、ただならぬ物音に気づいた近所の人たちが飛び出してきた。
救急車が呼ばれ、倒れていた子供と母親が運ばれた。
幸い子供の方は、肋骨が数本折れていたが命は取り留めた。
しかし、母親の方は、トラックを持ち上げた時のショックで腰、腕、足の骨が折れ、その折れた骨が内臓に刺さって出血多量で亡くなった。
母は息子の命を救う為に通常考えられる力の何十倍の力を一気に出して死んでしまったのである。
 「母の愛は偉大やな」
と、しみじみと語ったS君は、天を見上げた。
私もいっしょに空を見上げた。
その時の青い空には、柔らかそうな、まるで綿菓子のような白い雲が一つポッカリと浮かんでいた。 

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