見出し画像

30歳くらいの頃、始めた商売がぜんぜん儲かりませんでしたので、とりあえず食べるために近所の牛丼屋で深夜のバイトでした。

私は30歳くらいの頃、始めた商売がぜんぜん儲かりませんでしたので、とりあえず食べるために近所の牛丼屋で深夜のバイトを始めました。
まず、アルバイトをしている人たちの年齢が若いのに驚きました。
高校生や20前後までの人ばかりでした。
店長でも23歳くらいで、みんな良い人でしたが、さすがに戸惑いました。
たまたま初めての日が祭りで、洪水のように人が次々押し寄せました。
「牛丼の大2つでお持ち帰り」
これくらいなら、何とか対応できましたが、
「牛丼の並で卵で、つゆだく・・・漬け物」
と言う感じで来られると困ってしまいました。
つゆだく・・・汁を多めに!の意味。
何しろ丼にご飯を盛るだけでも、秤に載せてグラム数を計ってやっている新米なのですから。
1ヶ月も頑張れば、計らなくてもなくても誤差数グラムになりますけどね。
牛丼を煮るにも、あくを取ったり、温度70度で一定にしなくちゃとか、
ご飯もどんどん炊かなくてはいけない。
そう考えている間に次々客はやってくる。
「何、ぼやぼやしてるんや」
高校生の男の子に何度も怒鳴られながら、
「ハイハイ・・・スミマセン・・・」
と走り回っているオッサンが私でした。
そんなこんなでも、1ヶ月もすれば、みんなと仲良くなって、結構楽しかったです。
歌手を目指している男の子と一晩中、ロックの話したりしましたね。
その子と店番するときは、店の有線放送はアメリカンロックをガンガンにならしました。
コンピューターの専門学校に行っている男の子と店番するときは、コンピューター専門学校の内幕でで盛り上がります。
コンピューターの台数の30倍の生徒数に驚き、彼が1ヶ月に1回しかコンピューターの前に座れないと聞いたときは腰を抜かしました。
登校拒否で中学2年から学校行ってない19の女の子と店番するときは、人生相談にのりました。
ほとんど、恋愛の話ばかりでした。
将棋大好きの高校生と一緒の時は一晩中将棋を指しました。
それだけ将棋をやると、お客さんの顔が将棋の駒に見えたりするから不思議ですね。
「あいつは元気ないから歩だ」
「あの女の人は、美人だから王様の側にいる金だな」
とかです。
眠かったですけどね。
おかげで1年間食いつなげました。
そうこう悪戦苦闘している間に、少しお金に余裕ができまして1年と少しで牛丼屋さんを辞めたのです。
が、あれから10年近くなりますが、今でも牛丼屋さんの店の前を通ると厨房の中の動きが気になるから不思議ですね。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?