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藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第十一回 死に対する構えを変える

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 イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第十一回は死に立ち会ってもなお、燃え尽きることのない身の処し方について。「GRACEプログラム」を例に、自分自身のコンディションの整え方のヒントが提示されます。


対談/藤田一照×伊東昌美 「生きる練習、死ぬ練習」

第十一回  死に対する構えを変える

語り●藤田一照、伊東昌美

構成●阿久津若菜


一照さん:「僕自身も、何がなんでも伝統を守ろうとか、既存のものそのままで答えがだせるとは思ってないです。それを「アップデートする仏教」という言い方で言い続けているんです。
 再編集でもいい、これまでの仏教の蓄積の中に、材料はあるんだから。でもヒントはあるけど、うまく編集し直さないと、そのよさが出てこないというか、生かせないような気がしています」


伊東 今の世の中、未婚率が少子化の原因といわれますが、「自分の意思で結婚しない人」は、それでいいと思うんです。別に結婚だけが人生ではないですから。
 でも「結婚したいと思っているのにできない」「“何となく”独りでいる」ことの理由に何があるのかを、これからは込みで考えないといけないと思うんです。
 あと、どうしても男の人のほうが年を重ねると孤立するんですよね。
 一照さんは、どう思われますか?

藤田 昔で言うと“結婚する=一人前の大人”ですよね。独り立ちできていないということになるわけですかね?

伊東 そうですね。昔は—これは推測ですけれど—、若いうちから独り立ちをする必要性があるから、そうせざるを得ないからという面が、社会構造の中であったと思うんです。

藤田 そうすると、今の場合独身を続けるというのは、結婚の必要がなかったので、ということか。必要に迫られたらするだろうと。でも独り立ちできない人が増えてきたら、社会自体がもたないでしょう? 生物として危機なんじゃないの。

伊東 本当はそうだと思うんです。昔は必要だから18や20で独立したのに、それが40とか50でするとなると……体力が全然違いますし。

藤田 それほどまでに自分たちを家畜化してきたということになりますよね。 そういう人たちに向けて何か助けになることは? と考えるなら、当事者以外の人だから言えることでないとダメだよね。「社会が君たちを何とかできるようになるように頑張るから、それまで待ってて」と、彼らに言うわけにはいかないから。

 人類史上前例のないことだから、仏典を後ろ向きに探しても答えは見つからない。今起きていることを引き受けて、そこから新しく作り出していくしかないですよ。もちろん簡単ではないと思うけど、まったく新しい行動規範みたいなものを、つくっていくしかないですよね。

伊東 そうですね、切実な問題ですからね。

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