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おもしろくないトランスフォーマーと

視界の隅に『ビーストウォーズ・アゲイン』という文字が見えたんです。え、新作やるの? と期待したのですが……残念、違いました。

『トランスフォーマー/ビースト覚醒』という新しい玩具シリーズの販売と劇場版新作の上映があるらしく、それにあわせて昔のCGアニメ『ビーストウォーズ』をTVで放映するらしいのです。『ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー アゲイン』という釣りっぽいタイトルにして。

ひとつ大切なことを言っておきますが、トランスフォーマーは基本的におもしろくありません。

なにせトランスフォーマーはお子様にロボットの玩具を売ることを最優先にした販促アニメシリーズです。その時代時代のお子様のために、同じ話(いくつかパターンはあるものの)を繰り返し新作アニメ・映画として流し続けているので、水戸黄門のような時代劇的な楽しみ方をするのでなければ、大人になって観て楽しむのは容易ではありません。

しかも元は日本で製作されてきた作品でありながら、輸出用としてアメリカ向けになっているものを逆輸入している経緯もあり、内容的にかなり日本人向けではありません。

でも、例外はあります。

唯一おもしろい『ビーストウォーズ』

唯一、日本で観る価値があると言えるのが『ビーストウォーズ』シリーズです。名前から想像できるように従来の自動車などではなく動物がロボットに変身するのですが、そんなことはどうでも良く。実は日本語版の『ビーストウォーズ』は元があまりにおもしろくないということで、日本語吹き替えに大幅なアレンジが効かされているうえに、名立たる名声優陣のアドリブによって「おもしろく」なっているのです。

ただ、日本で1997年に放映された1作目(ビーストウォーズ)と、1999年に放映された2作目(ビーストウォーズメタルス)に続く、3作目(ビーストウォーズリターンズ)がTV放映ではなくモバイル放送(なにそれ? 2004年)になったことで、タガが外れ、「おもしろくなりすぎた」という問題があります。

ビーストウォーズは90年代の終わりにお子様だった人たち以外では、知る人ぞ知る伝説の作品となりました。それ以降のトランスフォーマーのTV新作でも「ビースト声優」を部分的に使うなど、再来を期待する向きはあるのですが、あまりうまく行ってはいないように見えます。

というのもタガが外れた「3作目」は、やりすぎてスポンサー(タカラトミー)に怒られたらしく、それ以後に求められる「おもしろさ」はあくまでスポンサーが許す範疇で、という限定的なものになっているようです。

でも、その「同じことを繰り返して絞り続る」という姿勢が「おもしろくない」というシリーズの伝統になっていることに気付いたらいいんじゃないかなという気がします。ま、「大人が観るものじゃない」という大前提に立てばそれでもいいんでしょうけどね。でもやっぱり、「子どものためのもの」と割り切るのは、まだ早い気がするのです。

ビーストウォーズの再来を期待させる作品群

ビーストウォーズの再来を期待させる作品としては、YouTubeのタカラトミーチャンネルで配信されている『トランスフォーマーサイバーバース』が筆頭です。

ただこの作品は、2020年1月に第2シーズンまで配信されてそれきりになっています。時期的におそらくコロナ禍による事情だと思われますが、あれから3年、どうするのかアナウンスくらいはしてほしいなと思います。アメリカでは第3シーズンが放映されたようなので、続きが存在しないわけではないようです。

また、告知不足すぎてあまり知られていないようですが、NETFLIXでは『トランスフォーマー:ウォー・フォー・サイバトロン』が配信されています。こちらは、CGも渋め、声優陣も渋め、ストーリーも(少し)重厚な大人向けテイストの作品になっています。

『ビーストウォーズ』のギャグ、アドリブ的な意味での「おもしろさ」は微塵も存在しませんが、いつものマンネリ・トランスフォーマーとは違う「新しいもの」としての存在感は、ビーストウォーズに次ぐものと言えます。

おもしろくないのになぜ観るのか?

おもしろくない、あまりにおもしろくない、と言いながら熱心に(?)語り続けるのをおかしく思われるかもしれませんが、別に「饅頭怖い」みたいな意味ではなく、本当に元のトランスフォーマーはおもしろくないと思っています。でも、なんとなく好きなんです。ずっと、捨て置けないなにかを感じていたんです。

ただ、ぼく自身は幼少期にトランスフォーマーを観たことはほとんどなく、小学生のころに再放送をやっていた初期作品を断片的に観て「つまらない」と切り捨てたことがあったくらいです。

初めて通して1シリーズを観たのは、1988年の『トランスフォーマー 超神マスターフォース』で、このときは中学生。おもしろくはなかったです。

ま、もともと特にロボットアニメ自体がそんなに好きではなかったのですが、トランスフォーマーには「なんとなく」ひかれるものを感じたのです。その後も惰性で続編や新作を観ながら「なにがいいのかわからん」と思っていたのですが、ずっと時間がたってようやく「なにがいいのか」その理由が少しわかってきました。

それは「トランスフォーマーたちは(あまり)死なない」ということです。

そもそもタイトルに「超生命体」とあるように、トランスフォーマーに登場するロボットたちは見た目こそ昔の「四角ロボ」ですが、自立しており、人間が乗って操縦したりコントロールするものではありません。

このシリーズのなにがマンネリかといえば、サイバトロンとデストロンの両軍にわかれて、シチュエーションこそ少し異なるものの大差ない小競り合いを続けていることです。でも、両軍それぞれの思惑が語られ、稀にある死に対する悲しみも描かれ、「ただ、ぶっこわしておわり」にしない展開は、実は他のロボットアニメとはまったく異なる人間の物語なんだと思います。

誤解を承知で言えば、生み出された時代の影響もあると思いますが、トランスフォーマーは手塚治虫の系譜にある作品と言っても過言ではありません。

手塚治虫は、その作品のほとんどで主人公を社会にとっての「異形のもの」とする視点で描き、その生きづらさなどから人間や社会を描いたことで知られています。死んだ息子の代わりを求められて生まれたアトム、醜悪な外見の猿田彦や我王、王子として生きる宿命を負ったサファイア、生贄とされ全身を欠損した百鬼丸、後年の作品では無免許医ブラックジャックや人工の体で生を得た元は奇形腫のピノコ、いじめられっ子の写楽も該当するでしょう。

トランスフォーマーは超生命体であることに苦しむ物語ではありませんが、彼らがロボットの姿をしているという表面的な部分で判断してはいけないのかもしれません。時に彼らは人間と接触したり、ビーストウォーズも人類誕生の時代に関わりがあったりと、トランスフォーマーの視点から人類の社会を見つめていることがあります。

彼らが「(あまり)死なない」というのはおそらく、たくさんの玩具を販売し、それを売り続けたいとうスポンサーの都合だとは思います。劇中で容易く死んでしまうような弱いトランスフォーマーをおもちゃ屋さんの店頭で余らせるわけにはいきませんからね。

ただ、日本産のロボットアニメはスポンサーがおもちゃを売るために発展してきた歴史があり、「何の努力もなく子どもでも搭乗できる」「主人公機は大きくて強くて、かっこいい」「強ければ負けない」表現や、「やられメカ」の存在などもを求められてきました。

あげく、ガンダムのような戦争の悲哀を描いた作品に対して「もっと楽しそうに」と、かつて太平洋戦争で「桃太郎」を戦意高揚のプロパガンダとして利用した旧日本軍も真っ青になるほどインモラルな要求がなされたことが知られています。

そういった流れの中にあったロボットアニメを基準に見れば、子どもたちに露骨な快楽を与える作品ではない『トランスフォーマー』という作品自体が、ロボットアニメ界の「異形」であるのかもしれません。大人になって観るからには、表面的な「おもしろさ」より、物語の本質をつかむべきではないでしょうか……

といっても、やっぱりそんなに興味を持って観られないんですけどね。『ビーストウォーズ』は入門用として強くオススメできるので、もし観て、背景にある世界観が気になった場合は前述の『NETFLIX版』を観るのが良いと思われます。

ぼくはこの機会に、そのルートでもう一度見直してみようかと思います。やっぱり、なんとなく好きなので。

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