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人を呪わば穴ふたつ ~経済・社会の自殺を止めるには

ことわざは苦手なんですよ、単純化しすぎですからね。

とはいえ「ことわざは全部ダメ」と単純化の罠に陥いっていたのでは本末転倒。なかには『人を呪わば穴ふたつ』のように、怒れる自分に「待った」をかけてくれる良い言葉もあります。ことわざとは違いますが、ぼくは平成の偉人・夢原のぞみさんの「なんとかなるなる」を胸に刻んで日々を過ごしています。

ただ昨今、SNSは呪いの言葉にあふれていて、今日もTwitterのタイムラインで次のような発言をみかけたのです。

宇佐美典也さんはまあまあ有名人の方で、Abema TVの微妙なニュース番組『Abema Prime』にレギュラー出演されているのをよくお見かけしました。Twitterのプロフィールには「ただの人」なんて書かれていますが、この方「元経産官僚」です。ただ"官僚然"としてはいなくて、番組で泣いちゃうようなとても直情的な方なので、ぼくはきらいではありません。

ただ、この発言には眩暈がする思いです。よくあるヘイトに与する心中・自殺系の言説ですからね。

「え!?」と思う方もおられるかもしれません。なぜこれが自殺になるのか、なぜヘイトがそれにつながるのかと。

逆に「あー、はい」と思った方は今回の記事を読んでも新しい有用な情報はなにもありませんし、最後でちゃぶ台返しをすることもありませから読むだけ時間の無駄です。スキだけ押してとっとと帰っとくれ!(昭和のドラマ風)という感じです。あ、冗談めかして言っていますがスキはぜひお願いします。

なお税制とヘイトの問題は「毛糸の玉」のようなものです。これを単純化勢力は「丸だ」としか見ませんが、だからといって複雑なわけではなくて、解きほぐしていくことはできるのです。

問題の根は「双股」になっている

現在の税制に大いに改善の余地があるのは確かですが、このツイートはいただけません。ただ、ちょっとわかりにくいのは問題の原点が2つの根っこにわかれていることです。

問題の根① 税制は他人と比較して考えてはいけない

ひとつめの根っこは、税制は今の現役層と今の高齢者層を比較するものではなく、「自分の一生」の問題ということです。

税額についての不満などはこの際置いておくとして、「とにかく皆で出し合うべきお金」を、若くて働けるうちに多く払うぶん、老いて働けなくなったら払わなくていい、というのが現在の税制の基本中の基本です。

老いても若くても同じように税負担があると、高齢者になってからも働かなければならず、かなりしんどいことになります。しかも、制度をどうしたところで「働けない」を「働ける」に変えることはできませんから、非現実的です。

とはいえ病気の高齢者も生きてさえいれば消費活動を行なうため、消費税をあげればいいという考えがあります。宇佐美さんの案はこの考えに基づくと思われます。

問題は、働けない高齢者が支払う税金の"財源"は若い頃の収入だということです。宇佐美案では所得税を減らすことが前提になっていますが、自分が老いていく過程でいつ働けなくなるかはほぼ予測できませんから、将来長く働ける人もそうでない人も、皆が若いうちからよりいっそう蓄財しなければならなくなります。やろうとしていること・できることの実態は「税を支払う時期を変えるだけ」ですから、税負担は軽減されませんし、若者が使えるお金が増えることはありません。

しかも! 若者の負担が変わらないだけならともかく、消費増税・所得減税は、確実に若者の税負担を増やします。

その理由はふたつもあり、そのひとつめは、所得減税は「働ける高齢者」が納める税金を減らすことです。

ふたつめの理由は、税制を変えるにはそれなりに時間がかかることによります。やり方はさておき「若者の税負担を減らし、高齢者の税負担を増やす」ということを時間をかけてやっていくと、今の現役層は減税の恩恵にあまり与れないまま、老いて増税が直撃する「二重損世代」になるだけです。

ことわざの「穴二つ」は自分と相手それぞれに悪いことが起きるという意味ですが、この税制高齢者ヘイトの場合は、自分がふたつの穴の落ちるだけという惨めな結果をもたらしかねません。そのうえ、明らかに経済を悪化させて日本全体の首を絞める考えですから、一緒に死にたくない! と声をあげていくしかありません。

問題の根② ヘイターの支持が期待されている

これまで見てきた感じでは宇佐美さんはヘイターではなさそうなので、彼の念頭にはないと思うのですが、「消費増税を肯定する言説」はヘイターの支持を集めやすいという構造があります。

消費税の特徴は、日本国内で消費活動を行なえすれば「誰からでも取れる」ことにあります。それを、住所不定のホームレスや不法滞在の外国人など、住民税や所得税を払う対象にならない人にダメージを与えられることから「是」とする人たちが大勢いるのです。

逆に、そういったヘイトには基づかずに消費税を肯定する考えは、これは所得税率の高さ、特に累進課税制度の否定にあります。これは税率が高い「お金持ち」がしがちな議論になりますが、その絶対的な人数は少ないため、盛り上がる言説は数だけは多いヘイターを呼び寄せるものばかりになるわけです。これが今、社会を明確に悪化させています。

先述のように「自分の一生」で考えるべきことを、若いか老いているかで「他人事」化しても仕方ないように、お金持ちか貧乏かをわけて考えるのもよくありません。もし今あなたは貧しいとしても、お子さんはお金持ちになるかもしれませんし、そんな可能性はまったく見えないとしても、あなたが大切に思う人がお金持ちを愛することはありえます。今は見えなくても、将来において自分の大切な人たちの輪のなかに、富める人も、貧しい人もいるかもしれないことは皆同じなのです。

なんだか結婚式が始まりそうななので話を戻します。

税金にはふたつの側面があって、ひとつは「皆のためになることを実現するために、皆で少しずつお金を出し合う」こと、もうひとつは「皆で出し合って実現したインフラなどを多く使用した人がそこから得た利益を一部返す」ことです。皆で出し合ってインフラを作り、使った人たちが将来の維持費を出す、と考えるとわかりやすいかと思います。

累進課税の部分はこの後者にあたるものですが、グングン税率がアップしていくことには理由がなく、当事者に納得感がないことは貧しいぼくでも理解できます。例えば税率は同じ10%だとしても、年収3億円の人は3000万円の税を納め、年収300万円(納税額30万円)の人の100倍払うことになります。そこまででいいんじゃないか、と。

高所得者に限りませんが、税率が同じなら「がんばってたくさん稼ごう」という気持ちになりやすいですから、「所得税の固定税率化」というかたちでなら皆が議論に乗ってもいいのではないでしょうか。

10%では年収200万円の人の生活は苦しいかもしれません。そこに「じゃあもっと下げよう」とお金持ちが言い、とはいえ税収が減るぶんをどうしたら良いかと、皆で一緒に考えられることこそが本当の民主主義に必要なことです。

もちろん今まで累進課税制度に甘えてきたので、ただそれをやめるだけでは税収は足りなくなります。そのぶんを貧しい人から取るのはやはり無理なので、なんだかんだで結局はお金持ちに払ってもらうことになりますが、高級車や広い家など贅沢品への課税を増やすことなどにより納得感とあわせて実現できる道があるはずです。大切なのは、自分と違う立場のひとの考えに耳を傾けることですが、ヘイトはこれをかき消してしまいます。

ヘイターが持つ希死念慮

世の中には様々なヘイトと、それに基づく差別行為がありますが、高齢者に対する蔑視は「特別」です。

もちろんどのヘイトも悪いのですが、自分とは別のものである外国人や異性を差別するのはまだわかります。自分とは違うものを理解できないことが恐怖につながり、遠ざけたいという気持ちになることはありえますから。

でも、歳をとることは誰にとっても「自分事」ですから、高齢者を蔑視することはもはや正気とは思えません。

でもこれは、視点を変えて「別世代差別」と見れば納得できます。

前々回の記事で触れたばかりなので繰り返したくはないのですが『反知性主義者たちの肖像』で内田樹氏が述べている「反知性主義の無時間性」はここにも現れます。彼らは今の自分がすべてであり、未来の自分を想像できません。自分で自分の首を平気で絞められるのは、彼らにとっては当然のことなのです。

でも、時間の流れがある人たちにはわかることがひとつあります。それは、「今がすべて」の彼らは過去の自分を思い返すこともできないこと、それゆえ自らが高齢化したときには若者を差別するようになることです。

なお、今回タイトル画像にしたのは先日手にとる機会があった昔のヘイト本です。表紙をよく見てもらうとわかるのですが、高齢者からの煽りとして「若者は高齢者に一生貢いでいればいい」と書かれています。自分が一生若者であると勘違いしていなければ、この言葉を受け取めることはできません。

(おしまい)

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