第5回「所属感とルール」

こんにちは。石塚晴子です。

いつも読んで頂き、また沢山のコメント・サポートありがとうございます。
悩んでいたけど実際に行動に移した、というような選手からのメッセージもいくつか頂きました。

ひとりでも多くの選手に、自分の納得のいく生活を送って欲しいなと思います。

今回は、所属感とそれに伴うルールについてです。
ここでいう所属感とは、学校、職場、部活動などの集団の中で行動すること、ある集団に属している意識を指します。共属意識と言ったりもします。
おそらくほとんどの人が、何かに所属をしていると思います。

前回の話では大学を辞めると決めてから就職するまでに起こした行動の話をしました。
今回は、その間に感じたことの一つの話と、
これを読んでいる一人一人に考えてほしいことについて書きました。
どうぞお付き合い下さい。

所属感と生活
私は本来大学2年になる4月から休学をしました。
大学に籍はありましたし、試合は大阪陸協で出ていましたが、ほぼ無所属と言っていい状態でした。

その時に感じたのは「所属感が無いとマニュアルも伴わないものなんだな」ということです。
当たり前かも知れませんが、とても不思議な感じがしました。

自分の生活を外側から決めるものが、無くなったんです。何時に起きて、何時に食事をして、いつどこに出かけて、いつどんな練習をするのか…これらをフレームの無い中で決めるのは、とても難しいことでした。
元々朝が苦手な私は、朝起きる理由が無いとひたすらに寝てしまい、生活のリズムがめちゃくちゃになっていきました。

私の好きな本に、村田沙耶香著「コンビニ人間」という芥川賞受賞作品があります。
コンビニのバイトを18年間続けた主人公が、バイトをやめた時の描写があるんですが、当時の私はその状態と似ていました。
これがその一節です。

何を基準に自分の身体を動かしていいのかわからなくなっていた。今までは、働いていない時間も、私の身体はコンビニのものだった。健康的に働くために眠り、体調を整え、栄養を摂る。それも私の仕事のうちだった。

陸上を辞めたわけでは無かったけど、何かに所属をしてないというのはこういう気分なんだなと初めて感じましたし、
それこそ陸上を辞めた時には、私は自分の生活を保てるのかすら疑問に思いました。
それだけ私にとって、今まで守ってきた時間やルールは絶対的なものだったんです。

第2回で責任と自由について触れました。
それと似ていますが、この時はただプカリと浮かんでいるような感じで、ずっと夏休み…みたいな変な気分でした。
例えば風邪で学校を休んだ時の、平日昼間の街の静かさがずっと続くような感じです。
社会に参加してないような気分にもなりましたし、この生活は自由なように見えて、案外自分を保つのに苦労することも知りました。

自堕落な生活を送れば、それも全て自分に返ってくる…そう頭でわかっていても、
今まで与えられたフレームを守ってきただけの私は、まず生活のリズムを作るのが大変だったんです。

今一度、無理のない範囲で自分ルールを持つ必要があるなぁと、その時思いました。
そうなると、ルールを設ける基準は「どうしなければならないか」よりも「どうしたいか」。
やっぱりこれが無いと、何も決められないことも改めて感じたんです。

所属感と身だしなみ
話は変わりますが、私は割と昔からピアスを開けたいと思っていました。
学校の部活では禁止だったので、開けていませんでした。
髪を染めない、パーマをあてない、化粧をしない、アクセサリーをつけない、ネイルをしない等、色んな決まり事がありました。
高校生の部活動は大体そうじゃないでしょうか。学校によっては、髪型はショート以外禁止、というところもありますね。

これらのルールを守るのは私にとって当たり前でした。集団に属しているんだから、部員の一人としてきちんと振る舞うべきだ、と考えていましたし、
真面目な人が勝つんだと思ってました。

所属感が無くなり、ルールを守る理由が無くなったので、私はやってみたかったことをやってみることにしました。

以前からピアスへの憧れがあった私は、ピアスをしている友達にどんな風なのか聞いたり、ネットで調べたり、電車に乗っている人の耳を見たりしていました。
開けたらどうなるんだろうと、ずっと気になって仕方が無かったんです。

そして、20歳になった日にピアスを開けました。
そして気付きました。開けても何も変わらなかったんです。
誰も私の耳なんて気にしてないんです。これは面白いなと思いました。

今まで当たり前だと思って守ってきたルールを私が破ってしまったら、何か大変なことになって、目立つのかと思っていました。
集団の中にいたら、何か言われることもあるかもしれないけど、そのへんの人からしたら、私はただのそのへんのお姉ちゃんなのでした。

ずっとやってみたかったネイルもやってみました。
確かに可愛くて嬉しいんですが、数ヶ月もすればお金と爪の傷みが気になって辞めました。
その時「私はネイルが好きというよりは、ネイルをするとどう感じるのかに興味があっただけなんだな」と思ったのを覚えています。

パーマも、カラーも、化粧も、アクセサリーも試しましたが、全部そんな感じでした。
一通りやって、気が済んだ。みたいなニュアンスの方が強かったです。
私は何に焦がれていたんだろうと思いました。
ピアスを開けたら、もう1個開けたくなるのかと思ってました。
禁止されないなら、毎月のように美容院に通って、毎日毎日化粧をするのかと思っていました。

あんなに気になっていたピアスを開けても、人に奇異な目で見られることは無かったし、そのまま競技をやってみても何も変わらなかったです。
これらのことは自分で試してみて、こんな気分になる、ということを確かめられたので面白かったです。

集団の外には、自分たちが守っているルールを当たり前に破ってる人達が居て、私はそれが不思議でした。
別に元から反抗的な意識は持ってませんでしたが、今思えば「何でダメなのか」は知らなかったし、理由を聞くこともしてこなかったなと思いました。

第2回のウォームアップの話と同じですが、どういう理由があってダメなのかと考えるより前に、「ここに属してるから」という理由で守っていたと思います。
「何でダメなんですか?」って聞いたら、怒られそうだなぁ、とも思っていました。

ルールとその意義
ピアスを例に変な話をしましたが、もう少し範囲を広げて考えてみてほしいことがあります。

社会で生きていく上で、ルールを守ることは必要です。法律を破れば犯罪だし、スポーツもルールが無ければ面白くない。

ですが、今皆さんが「これは絶対に破ってはいけない」と思って守っているルールや「暗黙の了解」が、
ここに所属しなくなった時にも通用するものなのか?」というのを今一度、考えてみて欲しいんです。

もしくは、自分がこれから活躍したいと思っている場所や、やってみたいと思っていること。
それらをする上で必要か不必要かを、考えてみて下さい。
それは自分が将来やりたい仕事や、達成したい目標によって変わると思います。
簡単な例だと、医療現場では衛生面からネイルが禁止されていたりしますし、逆にネイリストの爪が自爪だったら変かもしれません。

当たり前を疑う
何故こんな話をするのかというと、ある選手の話で気になる一言があったからです。
その選手の属する学校では、監督からの圧力や、暴言が日常的に行われています。
聞いてるこちら側が「ありえない」という感想を抱くような言動や行動が、ずっと続いているようでした。

選手はみんな監督の叱責に耐えている、という話の後にその選手が
「でもこれでメンタルは強くなったと思う」と言ったんです。
それに対して私は「そのメンタルの強さは陸上に必要ないし、それが役立つのはブラック企業に入った時だけやと思う」と言いました。

そこの選手たちは「監督の叱責はどんなことであっても受け入れなければいけない」と思っています。
それに地元を離れてまでここに来たんだから、耐えて結果を残さなくてはいけないと思っています。
ですが考えてみてください。
精神的に苦痛を感じたり、身体的な限界を感じるまでトレーニングを強行することが、果たして競技で目標を達成するために本当に必要なことなんでしょうか。

だから、今守っているルールが、自分の行動を全て決めるほど強い力のそれが、
そこに属さなくなっても本当に通用するのか、意味があるのかどうかを考えて欲しいんです。

一つの基準
第1回で話をしましたが、私はハラスメントに気づく基準と、自分の身を守る考えを選手に持って欲しいと考えています。
これはその一つです。

そして、以前Twitterでこんな呟きをしました。 

 【頑張りがズレてるかも】
・コーチの言うことは絶対に正しい
・結果が全て、早く出さなきゃ
・長時間辛いメニューをやらないと不安
・今の場所がないと練習場所が無い
・自由な人になんか腹が立つ
・ここを我慢すれば社会に出てから役立つ根性がつくと思う
・逃げてはいけない
・ケガが治らない  

これはタイトルに悩んで、とりあえず「今の頑張りについて再考しよう」というものにしました。

ですが本当は、
ハラスメントを受け入れていませんか?
と言い換えても良いと思っています。

こういう言動がある、こんな暴力を受けた、ということをチェックリストにするのではなく、
自分がハラスメントを受け入れてしまう考え方をしていないか?ということを問いかけたツイートです。
普段からこれらのことを感じ考えているなら、今の環境について考え直す必要があるかもしれません。

そして、このツイートは曖昧だという意見を頂いたので、ブログで長く書くという考えに至りました。

最後に
今回伝えたかったことは、
・自分の生活は所属感によっておおかた作られている
・今当たり前だと思っているルールや暗黙の了解が、そこを離れても通用するものなのか考えてみてほしい
この2つです。

どきりとした人もいたかもしれません。
大丈夫です。
素直にシンプルに考えてください。

つらいものはつらい、で良いんです。
色んな人に頼りましょう。

今回も、最後まで読んでくださり
ありがとうございました。

サポートのお金は、夫の競技活動経費にさせて頂きます。一緒に応援して頂けると嬉しいです!