第6回「あたらしい見方」

こんにちは。

以前は言葉が次々と浮かんで追われるように書いてた部分があったのですが、ようやく少し落ち着いたので一旦放ったらかしにしていました。
先日試合にも復帰しました。
記録はこれからですが、試合会場に居る自分に出会うことも大切なので、いい一歩が踏み出せたと思います。

ブログで考えを発信したり、色んな人と話していると
「そう考えるようになったきっかけは何?」と聞かれることがたまにあります。

もちろん突然人格が変わった訳では無いし、小さい頃からの積み重ねてきた「わたし」に、ある出来事や印象的な出会いがトッピングされていっているようなイメージを持っています。

その中で陸上に出会ったことは大きかったと思いますが、当然12歳より前の私は存在して、その私の中に陸上競技はありませんでした。
「ちょっとやってみるか」と陸上の門を叩きましたが、その時の私が「いやいや、陸上なんて私には」と思っていたらまた全然違った時間を過ごすことになっていたと思います。

その「ちょっとやってみるか」のように、
今までの自分に関わりのなかったことや、
「それは無いでしょ~」と思っていたことに対して、
ある程度現実味を持つ・思い込みを捨てて関わることは大切なのではないかと思うことがありました。
最近の体験に絡めて書いていきたいと思います。

見たままを描く
私の好きな作家さんに写実絵画を描く三重野慶さんという方がいます。
今年は三重野さんの絵を2回見に行ったのですが、膨大な時間とエネルギーを感じさせる作品にはいつも圧倒されます。
「人の肌や髪ってこんなに綺麗だったんだ」と、三重野さんの絵は私に新鮮な感動を与えてくれました。
よく「写真みたい」と称される写実絵画ですが、
人の目と脳と指を通して画面に表現されているということを、限りなくリアルだからこそ、より強く実感させてくれるジャンルだと思っています。

そして幸運にもご本人とお会いする機会があり、一緒に作品を見ながらお話することができました。
三重野さんは「本当に自分の見たままを描くことが出来れば、絵を見ただけでその人に自分のことが伝わると信じて描いている」と言っていました。
写実絵画においてモデルを忠実に再現することは目的では無く手段であり、その手段を持ってして自分の内側を表現する世界なのだな、と思いました。
だから写真はゴールでは無いし、全く別の世界だということも感じさせてくれます。
そして色んなことを勉強した上で、素直に目にうつるものを描くことを極める三重野さんの姿勢に、とても感銘を受けました。

頭の中のリンゴ
そしてもうひとつ、高校生の頃好きでよく見ていた「デザインあ」という番組があるんですが、最近その番組の展覧会に行く機会がありました。
体験型の展示の中に「デッサンあ」というコーナーがあって、それを体験してきた時の話です。

「デッサンあ」はモデルとなる対象物を円形に囲んでデッサンを行い、出来上がった作品を順番に映し出すことで対象物がくるくる回って見えるアニメーションが完成する、という番組内のコーナーです。
デッサンをするのは小さい子供から美術学生、お年寄りなどと多岐に渡っていて、人によって全然見え方と仕上がりが違うのも、この「デッサンあ」の面白くて好きな所です。

そのコーナーを体験できる展示で、
その時置いてあった対象物は銀色に塗られた工場用のロボットでした。
あまり慣れ親しんでいないモノであり形なので、
「なんだこれ?」と言いながら、何度も見ながら描いていました。
そして一緒に行った人が描きながら
「デッサンってふつうリンゴとかじゃない?これ何なのかよく分からなくて難しい」と言っていたので
「多分真ん中においてあるのがリンゴだったら、みんな頭の中のリンゴを描いちゃうんじゃない?」という会話をしました。

自分で言っておきながら、この事は自分の中で新しい発見になったんです。
きっと馴染みのない変な形のロボットだからこそ、「観察」が生まれたのだなと思いました。
目の前のことに対して、頭の中の思い込みを当てはめずに考えたり捉えたりするのは、とても大切なことなんだなと思ったんです。

そしてこの時、「きっと三重野さんは、何度も見て描いてきた"人"に対しても、こどものような無邪気な感動と、常に初めて見るような鋭い観察があるのかもしれない」とも思いました。

私は趣味で絵を描くことがあるのですが、「描ける」ことは「見える」ことなんだな、と思うことがあります。見えないと描けないなぁと。
三重野さんの作品を見た時、思わず「こんな風に見えてるんですね」と呟き、それに対して「うん」と答えていたことも思い出しました。

今までこうだと思っていたものが、全然違って見えるかもしれない。
自分がこう思ってても、ある人はこう思ってるかもしれない。
そして、今有り得ないと思ってることは、もしかしたら有り得ることなのかもしれない。
デザインと美術を通して、そんなことを再考する機会になりました。

走れるということ
もうひとつ例に、海外での体験をお話したいと思います。
思い込みの通じない文化に触れることで、自分の中の平均値みたいなものが変わる感覚がありました。
言い方を変えると、海外カブレかもしれません(笑)
そして多様さに触れる事で、自分の偏りに気づいたりすることも沢山あったんです。

私はベルリンに2度合宿にいっているのですが、初めて行った時は毎日色んなことを感じて驚きっぱなしだったのを覚えています。
1度目の合宿の時、私は足の健の損傷と腰のひどい痛みを持っていました。
プログラムに組まれていたメディカルチェックで医療チームが私の状態を診て、これはすぐに治療が必要だとフィジオに連携を取り、すぐに治療の手配をしてくれました。
フィジオもとても発達していて痛みが引いたことにも驚きましたが、その週の試合で私にとって非常に印象深い出来事があったんです。

インドアの記録会で200mに出場したのですが、チームのドクターが試合を見に来てくれていました。
私は怪我をしていても試合を棄権するという考えが無かったから、出場するのは当たり前だと思っていたし、怪我をかばってそこそこなレースをしたことに対して、走り終えた直後は特に何の感動もありませんでした。

だけどスタンドに戻るとそのドクターとスタッフ達が「ハルコが怪我なくゴールしてくれて良かった、いい走りだった」と涙目で喜んでいたんです。

握手を交わし、凄いねハルコ、グッジョブだよと何度も言ってくれて私は本当に驚きました。
「あぁ、トレーニングをつんだり、走ったり、試合で勝負をするというのは、本当はとてもスペシャルなことだったんだ…」と思いました。
練習をするのは当たり前、試合に出て当たり前、勝って当たり前…ずっとそんな風に考えていて、数字しか見えなくなっていた。それでは自分が可哀想だったなと思ったんです。
どんな結果であっても、自分がしてきた事を大切にして、胸を張って帰ってこよう、とその時思いました。
今まで当たり前だと思っていたことは、たくさんの人の協力と、幸運の上に成り立っていたんだということを実感した瞬間でした。

普段会うことは出来ないけれど、
世界のどこかに走ることであんな風に喜んでくれる人がいるんだという事実は、いつも心のどこかで自分を支えてくれています。

そして自分の「当たり前」の外で、当たり前に暮らしている人たちが居るということ。
これらのことは新たな切り口を見つけるきっかけにもなりました。
もしかしたら、今まで有り得ないと思っていたところから、登ることも出来るかもしれないと思ったんです。

それまで上を目指して登り続けて、登ったと思ったらまた雲の隙間から上が見えて、手も離せないし今の装備じゃ上に登れない…みたいな感じでした。
でも、1回手を離して下に落っこちて、準備して、違うところから登り始めればいいんじゃないかな、と思うようになりました。

そうなれば選択肢なんて無限にある!と急に思うようにもなりました。
自分の前には何本も何本も道が広がってるのが見えるようになったんです。
それと同時に気付いたことは、自分の後ろには道が1本しかないという事でした。
当たり前だけど、私はこの世に一人しか居ないし、時間が過去に戻ることは絶対にないんです。

物事には必ず、やる理由とやらない理由の両方が存在していると思っていて、
やってしまえばあとから理由なんていくらでもつけられると思っています。やらない理由を並べればいつまでもやらずに済みます。

選んだ物事がうまく行くか行かないかはわからないけど、自分の一本の道を振り返った時に、一つ一つの選択に対して、きちんと理由の持てる人になりたいなと思っています。
それが何かを辞める決断だったり、逃げたり、失敗したようなことでも。

もちろん何でもかんでもやる訳では無いですが、
ただ自分の中で、新しい物事に対して現実味を持てる範囲が少し広がっただけなのだと思っています。

自分の中にそんなイノベーションを起こすきっかけは人それぞれだと思います。
海外の文化に触れることなのか、友人に勧められた映画を見た時なのか、初めて見るものを描いた時なのか、違う競技や仕事の人と関わった時なのか。

車椅子に乗っている友人ができた時は、今まで気づかなかった町の不便な所が、浮き上がって見えるようになりました。
グラウンドの隅に咲いてる小さい花に、ネジバナという名前があることを知った時は、その花がもっと好きになりました。
小さな子どもが虹の形の看板を見て「タイヤかな?」と言っていた時は、子どもの頭の中の大きな車を想像したりもしました。

自分の中に変化を起こす小さな出来事に対して、アンテナのスイッチを切らないこと。
何を食べたいかとか、これが好きとか、今日は何だか悲しいとか、そういう些細なことを無視しないというのは、今心がけていることの1つです。

おわりに
今回は美術のこととドイツでの体験から、新しい視点を見つけたり、自分の中の選択肢を広げることについてお話しました。

もっと軽い感じでいいので
「それは絶対ない」「どうせ無理」なことにも「ワンチャンある」って言っていると、何だか楽しくなるんじゃないかと思っています。

久しぶりで長くなりましたが、
最後まで読んで下さりありがとうございました。

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HARUKO

陸上選手。少し変わり者。140文字以上書きたい気分です。Twitterはこちら→https://mobile.twitter.com/harekooo
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