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私は事実にお金を払っている。

最近、私は"事実"にお金を払っている のだと思う瞬間が増えた。


モノそのものに価値がある

モノが提供してるライフスタイルに価値がある

シェアすることに価値がある

事実に価値がある


こんな感じの変化のイメージ。


例えば、
先日台湾旅行に行ったのだが、 いつもは財布の紐が固めな私が旅行代金7万円を割と気軽に了承した。

なぜ、我々は旅行に大金をはたくのだろうか?

旅行に、5万円、10万円の価値はあるのだろうか?


その時思った。


私は、台湾に行って美味しいものを食べたいという気持ちももちろん有りつつ、メインは台湾に行ったという事実に価値を感じているのではないか?と。


だって、

台湾料理の大体は日本で食べられるし、

足つぼマッサージだって日本で受けられるし、

綺麗な景色は写真の方が綺麗なくらいだ。


だから、もしかしたら

私は、「台湾に行った」という事実に価値を感じてるのかな?と思った。

もっと言うと、それは「旅行したことある諸外国が増えること」に価値を感じていることでもあるし、

さらに言うと、「GWに海外旅行した」という事実でもある。



ニューヨークに行った時もそうだ。

特にしたいことなんてなかった。


ニューヨークに行ければ、そこで何をしようが何を食べようが割とどうでもよかった。
行くこと自体が重要だった。


前日まで飛行機とホテル以外に何も決めず、当日の朝にあれしたいねーとかこれしたいねーって話し合ったくらいだ。



いま、私はめちゃめちゃイタリアに行きたいのだが、
なんで行きたいの?と聞かれると、いつも「イタリアの風に当たりたいから」と答えている。

イタリアに行ってみたいだけなのだ。

確かに美味しいピザや美しい街並みを見てみたい。ただ、それ以上に、行ってみたいだけなのだ。

"行くこと" そのものに価値があるのだ。
行って何をするとかではない。行くことに価値があると感じているのだ。


旅行以外でもそうだ。

流行りの映画を観たい。それはその映画が面白そうだからじゃなくて、映画好きとして観てないことは恥ずかしいことであるような気がするし、あれ観た?という会話の時にドヤ顔で観たよ と言いたいからでもある。(笑)


今日、知人がツイッターで「年齢=彼女いない歴という事実を無くすために、彼女を作ってそのあとすぐ別れたい」って言っていた。



なぜ私達は事実に価値を感じるのだろうか。


ステータスに近いのかもしれない。


でもちょっとだけ違う気もする。


ステータスと言うと、ブランド品など高級なものを身につけていることへの価値っていう感じだが、高級か高級じゃないかは関係ない気がする。


それに、他人にアピールすること以上に、
自分の中にその事実があることに価値があるような気がする。



台湾旅行で美味しいものを食べることよりも、台湾に行ったことがあるという事実に価値がある。

彼女と過ごす日々よりも、彼女がいるという事実に価値がある。

USJのバタービールの味や雰囲気楽しむことよりも、バタービールを飲んだことがあるという事実に価値がある。

大学で何を学んだかよりも、大学を卒業している事実に価値がある。

東京大学で何を学んだかよりも、東京大学を卒業している事実に価値がある。

大企業で成し遂げる仕事や受け取る高い給与よりも、大企業に勤めている事実に価値がある。

映画を見て何を感じたかよりも、流行りの映画を見ているという事実に価値がある。

美味しいパンケーキの味よりも、そのパンケーキ屋さんでパンケーキを食べたことがあるという事実に価値がある。

SNSで楽しいコミュニケーションをとることよりも、フォロワー数が多い事実に価値を感じる。


もちろん、体験から得られるほかの価値もあるだろう。ただ、この「その行動をしたことそのものに存在する価値」の大きさに目を向ける必要があると感じる。


事実そのものに価値を感じる時、人のお財布の紐はちょっとだけ緩むのだ。



情報が溢れかえるこの時代、個人がわかりやすいステータスで評価される機会が増えたからかなぁ。


追記:

ステータスっていう言葉の意味は、社会的地位の高さっていう意味だけど、単純な高級さや名誉っていう意味を超えて、いろんなジャンルでステータスが存在してて、その価値が昔より大きくなってきてるなぁと感じてる!!

つまり、ステータスの価値の向上!

(整理できました)

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