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彼方の星(1,123文字)

 ねえカナタ、スーパームーンって知ってる?
 玄関で靴を脱いでいるぼくに、リビングから顔をのぞかせたアカリちゃんが無邪気な声でたずねた。小学二年生ではまだ、おたまじゃくしはカエルに成長します、程度の勉強しかしない。スーパームーンなんて知らない。さすが小学六年生。物知りなアカリちゃんはすごいのだ。わかんない。声を返せば、アカリちゃんは得意げな顔をした。
「あのね、今夜は満月なんだって。その満月がね、すごく大きいんだって」
「すごいってどのくらい?」
「ええ、どのくらいかなあ。でもいつもよりも大きくなるって。それでね、お月さまにね、お願いごとしたら、叶うんだって! すごいでしょ!」
 ね、だからね、一緒に見ようね。
 約束だよ、と言って上機嫌でリビングに戻っていくアカリちゃんにはわからないことだ。わかった、やくそく。小さく声を返して、ぼくは唇を噛みながら玄関でうずくまった。
 ぼくよりも四つ年上のアカリちゃんは、生まれたときから真っ暗な世界で息をしている。アカリちゃんはお母さんもお父さんも、ぼくの顔だって知らないし、どれだけ月が大きくてもわからないのだ。お医者さんには治せないのだという。一生その目が見えることはないのだという。七夕の短冊にだって書いた。サンタクロースにだって頼んだ。はつもうでの神様にだってお願いした。それでも、アカリちゃんの目はずっと見えない。
「おねがいごと、なんて」
 きっとだれにも、かなえられないのだ。
 午後十時、お母さんとお父さんに無理を言ってベランダに出たぼくたちは大きな満月を目にしていた。落ちてきそうなくらい近くにある満月は初めてのことで、思わず息をのむ。
「大きい」
「ほんとうだね。きれい」
 咄嗟に出た感想へ同意してきたアカリちゃんにびっくりする。うそつき。唇から言葉がこぼれそうになって、慌てて口を閉じた。アカリちゃんはゆるやかに笑みを浮かべている。うそつき。うそつき。見えないくせに。きれいなんてわからないくせに。アカリちゃんのうそつき。心の中で毒を吐いていると少しずつ悲しくなってきて、視界がぼんやりと揺れる。
「カナタ、泣いてるの?」
「泣いてないよ、アカリちゃんのばか!」
「ふふ。ねえカナタ、お願いごと、決まってる?」
 わたしはね、これからもカナタと一緒にいられますように、かなあ。そう言ってぼくの手にそっと触れるアカリちゃんの手はあたたかかった。カナタ、今日の夜はとっても明るいね。声が聞こえる。ぼくよりも大きい手をつかまえて、ぎゅうっと強く握った。
ぼくの、おねがいごとは。泣きそうになりながらもせいいっぱい話す声に耳を傾けて、瞳を閉じたままでほほ笑むアカリちゃんの丸く輝く視界の先を、ぼくはずっと眺めていた。

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