見出し画像

志村けんという稀代のコメディアンの銅像に思うエンターテインメントの永遠性

昨年、新型コロナウイルスにより亡くなった故志村けんさんの銅像が、故郷の東村山に建てられたことがニュースになっていました。

ただ、志村けんという稀代のコメディアンを讃えるのに、銅像建立が果たして本当に一番適しているかというとちょっと疑問に思えます。

讃えること自体はもちろん素晴らしいことです。銅像を建てて讃えるべき偉人であることは疑いありませんが、銅像という手段よりも、もっと向いているものがあるような気がします。

昨年のBLM運動では、過去の偉人らの銅像が黒人差別・奴隷制度・植民地主義の象徴として糾弾され、いくつかは倒されて破棄されました。それは、過去の価値観が現代、そして未来とは全く異なっていることの証しにもなります。銅像は偶像であり崇拝されやすくなります。それと同時に、ひっくり返せば憎悪の対象にもなりやすくなります。

現在としては、志村けんの銅像は、建てるに値する十分な理由は存在します。しかし未来もその理由が存在し続けるとは限りません。動かない、笑わせてくれない志村けんの存在に違和感を覚えてしまいます。

志村けん・ドリフターズの栄光時代が、私自身の少年時代とドンピシャに重なりますので、今の10代、20代の人たちとはまるっきり志村けんに対する思いや憧憬はかなり異なると思います。

昭和の後ろ半分はテレビの時代でした。その30年強のうちのさらに半分はドリフターズの時代と言っても良いくらいでした。

しかし、その直後の1980年代から90年代になっていくにつれて、志村けんのテレビ界や一般視聴者の見方は大きく変わりました。ゴールデンタイムの番組が終わった後はテレビからも冷たい扱いを受けた上に、週刊誌や口コミで死亡説まで流行するほどで、旬を過ぎた、盛りを過ぎた芸能人だと見なされていました。

その後はそこまで酷い状況ではありませんでしたが、全盛期に比べると落ち着いていました。本人で仕事量をセーブされていたのかも知れませんが。

コメディアン、コントの大御所としてはまだ若い70歳での死去というのは、残念と言うより他ありません。間違いなくテレビスターでした。

それなのに、そのテレビという映像コンテンツで活躍した人を、動かない銅像で一ヵ所に固定することが、本人を讃えることになるのでしょうか?

コメディ、コントをずっとその後も見ることが出来るのが一番の供養というか、動き続けて笑わせ続けるのがその真髄だと思うのですが。

テレビという、移ろいやすいメディアで活躍し続けた人の銅像が出来ました、と報じるテレビニュースは、エンターテインメントのヒーローを最も皮肉な形で固定化しているのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?