「持たざること」という幸福

宮城谷昌光氏の小説「子産」に出てきた台詞ですが、
「持たざることは、持つことにまさる」
というのがあります。
「持つことは持たざることに劣る」
と言うところを、登場人物が間違って言ってしまったのですが同じ意味です。私が折に触れて思い出す言葉です。

以前、こんなことを書いたことがありますが、

資源が無いという幸福もあり得るかも知れません。例えば豊かな鉱物資源がある地域、特に地下深くまで探らなくても露天掘りですぐに見つかるような地域だと、古代の頃から鉄や銅などを大量に得て文明が進んだでしょうけれど、その代わりに金属の精製のために周辺の森林を伐採してあっという間に砂漠化します。

そもそもその資源を巡って、勢力内部でも権力闘争が起き、地域外の勢力からの侵略も絶え間なく続きます。

現代社会なら大丈夫とも言えず、天然資源がある国はその資源の輸出で外貨を稼いで潤いますが、そのために通貨が相対的に値上がりしてその国の他の輸出産業が発展しません。

また、国際的な資源価格の上下に経済が翻弄されます。原油価格の値動きは産油国のみならず消費国にも大きな影響を与えます。

日本は資源が無い(実際にはそこそこありますが)とよく言われますが、資源が無くても先進国にはなれます。もちろん、アメリカのように資源があっても先進国にはなれますが、資源があっても先進国になれない国のことを思うと、あまり羨ましいとも思えません。

人の欲望にキリが無いように、国家の欲望にもキリがありません。個人ならその個人が死ねば終わりですし、鋼の意思で欲望を抑えることも可能でしょうけれど、国民(政治家も企業体も含みます)の総合である国家は誰かが死んでも動き続けますし、国民の欲望は抑えられません。

資源やそれがもたらす富と豊かさを求める国家が起こす悲劇と惨劇は、過去の日本も起こしたことですし、今も世界中で起きています。「持つこと」が「持たざること」よりも本当に良いことなのか、という問題は、どこにでもなんにでも、古今東西に共通する悩みでしょう。

ちなみに、冒頭の「子産」におけるこの台詞は、主人公の父の子国が鄭の大臣として魯に外交で訪れた時に魯の権力者3人に残した言葉です。その謎かけのような言葉を受けた魯の3人は、
「魯は近くにある鄶という国を支配下に置いていることがかえって負担になるから手放した方が良い」
という教誨だったと解釈して、一度魯の盟下に配した鄶を再び独立させました。そしてその鄶は、すぐに隣国に滅ぼされました。

さて、これを無理矢理現代に当てはめると、アメリカにとっての「持つこと」に当たる同盟国、「持たざること」になったアフガニスタンを思うと、ウクライナ情勢に思い至らざるを得ません。NATOが手放した後……?

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