ワンパターン批判の弊害

 安倍内閣批判は2012年の設立当初からあり、特に2014年頃から森友問題によって大きくなり、加計学園問題などを追加して続けられていますが、大して効果は上がっていません。野党による倒閣運動というのはほぼゼロに等しい状態でただひたすら安倍内閣が続いていきます。

 マスメディアや野党勢力、各種団体による安倍内閣批判が適切かどうかという問題は別にして、その批判自体はほぼ中身は変わっていません。ずっと同じ内容の批判を続けていると、聞く方も慣れてきます。慣れというのは正しいかどうかということとはまた別問題です。自分とは異なる意見の人を説得して考えを変えさせる為の批判ではなく、自分と同じ考えの人からの支持を維持するための批判です。安倍内閣支持者から「批判のための批判」と言われているのはまさにこの点です。

 安倍内閣に限らず、どんなモノ・コト・人・組織に対しても批判というのはあるのですが、その批判が的を射ているかどうかは別にして、広く共感を呼ぶかどうかはその内容の組み立て方によります。

 オオカミ少年ではないですが、今の反・安倍政権勢力による安倍内閣批判は、聞く側にしてみたらもう耳に馴染みが出来てしまっていて真摯に受け止められなくなっています。そして、もしかすると批判をする側に取ってみてももはや新鮮味が無くなり惰性で言っているだけなのかも知れません。
 逆に言うと、現状の安倍内閣批判をずっと続けている限り、安倍内閣打倒は出来ないでしょう。多分、任期を全うします。そしてその一因には、変わり映えが無い安倍内閣批判があるはずです。

 「自分たちが正しい」=「自分たちの主張は正しい」=「自分たちの主張を受け入れない人達が間違っている」という考えを持ち続けている限り、自分たちの主張を支持する人は増えません。自分たちの主張が受け入れられないのは相手に問題があるのではなく自分たちに問題があるはずだから、やり方を変えてみよう、という考えにはならないんですかね。

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