できると騒がしい

なんだかんだと騒がしい世の中になりました。2019年3月20日午前7時59分。

 はい、失礼いたしました。今は正常に動いていると思います。まあ、時間がない時はいろいろやっちゃいけないということでしょうか。
 さて、問題になるのは、待ち時間をどうするかという問題なんですね。5分という待ち時間が発生した場合、何をすればいいのか?というのは案件がたくさん山積みになってる時はやはりそのことを考えてしまいますので、5分という空き時間ができた時にその案件のことを考えてしまう。傍から見るとぼんやりしているような時間帯になるわけです。実際にぼんやりとしています。考え事をしてる時は何もできません。空き時間ができたときは、理想的には、切り替える。瞬時に切り替えることが必要なのではないでしょうか。
 案件が山積みになっている、トラブルが解決していない、そんな時はとかくそれを考えがちなんですが、それを考えずに切り替えて他の事をするということがやはり求められる。それはもう意志の力でやるしかないんですよね。そこんとこの切り替えができる人とできない人がいますが、できる人はなぜできるかと言うと、空き時間に考えても仕方がないんで他の事を片付けると言う考え方が根付いてるんじゃないでしょうかね。時間と空間の使い方がその人の中では確立している。
 ややもすれば時間や空間の使い方を押し付けられて、それしかないように考え、それが最も正しいと錯覚している場合が私たち多いように思うんですよ。ひとつには躾。躾によって私たちは時間と空間の使い方を自然に行っていますが、歳をとり社会的な立場が変わってくるとその変更が必要になる。更新が必要になるのにそれを怠っているようなところがあるんじゃないでしょうか。そうなんです物事への対処の仕方は普遍であり更新の必要はないという考え方が根付いていると、物事を更新するということは非常に変わった考え方として考えてしまう。そうなったらやばいですね。負のスパイラルをくるくる回ってしまいます。ですから、私たちが正しいと考えてきたもの、善であると考えてきたものを一回オーバーホールしてですね、それが現状に合っているのか、今後それは使えるのかということの検証をですね、もし、それこそ空き時間があればちょっと考えてみてはいかがでしょうか。考えてあなたなりの結論が出たら、その考えは封印して次からは空き時間ができたら反射的に何かをするという、自分に対する躾。それができたらいいんですけどね。私はそうしたいと思っています。
 自分で自分を躾ける。と言うのかな。そのために自分が信じてきたものを一回ぶっ壊す。そういう作業をいつかしなければならないような気がするんですけど、どう思いますか?

ま、ややもすれば流されがちな現代人。そんな悠長なこと言ってらんないよという意見も聞くかもしれませんが。悠長ではありません。流されている人こそ悠長なんですが。結論出ましたね。さようなら

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