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日本が立ち直らない理由

ここのところ「安い日本」について色々と騒ぎ立てられていますが、正直「今更何言ってんの?」感がひしひしとしています。

私は2000年から2004年の間にアメリカで駐在生活をしていましたが、2020年初めにアメリカに出張した際、駐在時には4ドル(当時420円程度)で食べていたカルフォルニア州のローカルチェーンのハンバーガーが10ドル近く(当時1100円程度)したのに驚きました。(そんなに美味しいもんじゃないです。)今は円安も手伝ってもっと割高になっているでしょう。
日本で給料も上がらないけど物価も横ばいという状態が続いていた間に、日本で生活する上ではそんなに変わらないけど、アメリカに行くとハンバーガーも食べられないという状態に陥っていたわけです。

日本政府はここにきて「賃上げ」と騒ぎ立て、民間企業に圧力をかけていますが、時すでに遅しの感があります。つまりもう日本は立ち直ることはないという気がするのです。

アメリカを始め経済成長を成し遂げている国々と日本の違いは何なんでしょうか?それは「極端な貧富の差」だと思います。欧米を始めコンスタントな経済成長続けている国々には、かならず貧民層と呼ばれる人たちがいて、明らかに一般の人たちとは違う生活を送っています。

さて日本です。日本の貧困についてもここ何年かWeb等で記事を目にしてきました。「日本人の10人に1人は3食食べる経済能力がない。」「7人に1人の子どもが貧困状態」などです。
でも待ってください。道を歩いていて3食食べられてない人や貧困で着るものも買えない子供を見かけることがそうあるでしょうか?

昭和40年代は明らかに貧困家庭の子供がいて、着るものはつぎはぎだらけというのも珍しくありませんでしたし、東京のある地域には3食食べる経済能力がないと思われる人たちが集まっているエリアがありました。
ただ近年は見るからに貧困という人たちをみかけることはほとんどなくなりました。(少なくとも10人に1人の確率で出会うことはありません。)

一方でお金持ちはどこにいるのでしょうか。最近電車に乗るとしみじみ思うのですが、みんな普及品の似たような安い服しか着ていないのです。昔はもっとパリッとした服装をしたビジネスマンが多数いたように記憶しています。いまは高級取りは電車なんか乗らない?いえいえ2021年時点で年収1000万円を超えている人の割合は4.9%だそうです。つまり約20人に1人は年収1000万円を超える収入を得ているわけです。大企業の役員なんかは電車には乗らず社用車で通勤っていうのもあるでしょうが、4.9%の大多数は電車通勤をしているはずです。

考えられるのは、年収1000万円のひとも、3食食べれない人も同じようなところで同じような衣服を購入しているということです。最近はビジネスにおいても以前ほど服装の品位を問われることも少なくなり、ますます衣服の品位差はなくなる傾向にあるのだと思います。

とある調査によれば給料が上がって豊かになったと感じるのは年収800万円までだそうです。これが900万円になっても1000万円になっても控除される額も上がって、給料が上がったっていう実感に乏しいということだそうです。
サラリーマンの給料はちょっとやそっとでは劇的に上がりません。日本においては少しぐらい頑張ってちょっと昇進したぐらいでは生活レベルは大して変わらないのです。むしろ役付きになって変に責任が重くなって、幸福度は下がったりもします。「じゃあ、そこそこの給料で楽に生きたほうがいいや。」これが平成後半から令和にかけてのサラリーマンのマインドではないでしょうか。
また一方では低賃金で働くより、生活保護を貰って生きるほうが良いという判断をする輩も少なからずいます。もうグチャグチャですね。本来は社会貢献の報酬としての賃金のはずが、高い貢献能力があっても生活レベルに反映することは無く、貢献能力がなくてもある程度の(最低ではない)生活は保障されるわけです。

日本国はほとんどのものを薄める仕組みを作り上げてしまいました。本来は豊かさを受け取ることのできる層が困窮感をぬぐえません。ファストフード、ファストファッション、1000円カット。年収1千万円の人も3食食べることができない層も同じ店に行き、同じ食事をする社会ができあがりました。高いものにはお金をつかいません。結果として高いものは値段を下げるか、売るのをやめるしかなくなる。数年前に米国のアパレルブランドが幾つか日本から撤退しましたが、この日本の仕組みに適合しなかったからだと思います。
コロナが流行しはじめた時に営業ができなくなったとんかつ屋の主人が焼身自殺をした事件がありましたが、とんかつにあるべき価値をあたえて3000円でも5000円でも商売ができていればこんなことにはならなかったのではないかと思います。ファストフードで500円で食べられるとんかつ定食があるのに、高いとんかつをどうやったら売れるのか?難しい問題だと思います。
私は学生の頃、整髪に美容院に行ってカットまたはパーマをしていました。カットは3500円、パーマは5000円。それが今や10分間で1350円。(すこし値上がりしましたがそれでもこんなもんです。)もう美容院に戻ることはないでしょう。
海外のテレビでは頻繁に見れて、最近の日本のテレビではほとんど見かけることがないものは何でしょうか?答えは「高級ブランドのCM」だそうです。今の日本において高級ブランド品を宣伝しても、売上向上にはつながらないというマーケティングの結果が出ているそうです。高級ブランド品を買い求める人は宣伝なんて見なくても買いにくるし、1億2千万人総貧乏人の国においては不特定多数にアピールするTV CMの効果はなく、海外の高級ブランドはCMを流すことを止めてしまったということのようです。

賃上げがどうのと報道されていますが、一部の企業における数%の賃上げは結局前述の「仕組み」に吸収されてしまって、国際競争力の底上げにはつながらない気がします。それどころかインスタントラーメンが一袋120円になって、卵が1パック350円になることで本当に生活できなくなる層が少なからずいるのではないでしょうか。労働者のマインドも治安も悪くなって日本の国力は今以上に低下することが想像に難くありません。(また「ちょっと高所得層」を増税して低所得者層に回す?イタチごっこですね。いつまでたっても国が豊かになるはずもありません。)

どうかんがえても今の仕組みの上では日本が立ち直れる気がしないのです。

では本当に日本は貧乏なのでしょうか?

最近、ネット上で不動産ファンドなるものを見かける機会が多くなりました。不動産をファンド化して低額から投資を可能にしたものです。ネット上の手続きだけで口座を開設できて、投資の申し込みも簡単です。投資なのでリスクはありますが利回りは3%から8%程度で銀行預金と比べると非常に高いものになっています。抽選または先着で投資者が決定されます。
驚いたのは数億円の案件が、あっという間に申し込みで埋まってしまうことです。ものによっては募集開始から一分もたたずに募集終了になります。億単位の資金をこんなに短時間で効率よく調達できる仕組みが作れるということに尊敬の念さえ覚えました。それと同時に「お金ってあるところにはあるんだな」ということを改めて実感しました。

そうなんです。あるところにはあるんです。日本の問題の一つは「あるところ」に留まっているお金が多すぎるということなのではないでしょうか。
以前アメリカ人の友人から彼の貯金はほとんどゼロだということを聞きました。持っているお金はほとんどすべて投資に回しているとのことでした。
投資はお金が事業などに使われて、利益は配当や分配金として出資者に還元されます。もちろんリスクはありますが投資は社会を動かします。一方でタンス預金は何も生み出しません。
「あるところにはある」膨大なお金を「活きた」お金にかえれば本来の意味での国力が少しは回復するような気がします。

ここ数年、日本政府も「貯蓄から投資へ」なんて言い始めていますが、なにせわかりにくい。なんで投資なのかもちゃんと説明されていないのではないかと思います。(「リスクを取って儲けよう」ではなくて「お金を回す」ことで経済を活発にすることが目的のはずです。某日本国総理大臣はわかって言っているのかも怪しい気がします。)
ネット上の不動産ファンド並みにわかりやすくて、手軽な手法・システムを生み出さないと、プロパガンダに終わってしまって、日本の国力を上げる施策に繋がらない気がします。(あまり簡単だとそこにつけ入る犯罪も生まれやすく、痛し痒しなのですが、そこは優秀な官僚の方に頭を使っていただきたいですね。)


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