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AIに書けない文章、について

生の体験、生の声。

これに勝るものはない、と近ごろ思います。

私は日常的に ChatGPT さんと懇意にさせていただいてます。
どれくらい懇意かと言うと、ChatGPTさんを使わない日がないくらい。

どのように使っているかと言うと、例えばこんな感じ。

ワインと食事のペアリングを聞くと答えてくれる(和訳は筆者)


私が通っているカレッジの授業で
「ワインと食事のペアリングをこんだけ考えてきて!」
と課題が出ると、

「はぁ〜ワインですか…飲めれば良くないですか?」
と思ってしまう私としては、食事とのペアリングなんてチンプンカンプンなわけです。

で、ChatGPTさんに「助けてよ〜!」
とお願いすると、
「あいよっ!」
と、いとも簡単にそれらしい答えを出してくれるのです。

こうやって(もちろんその答えをそのまま提出はしませんが)、
カレッジの課題をこなすのに大活躍なChatGPTさん。
率直に言って大好きです。

しかし。しかしです。

ChatGPT(すなわち生成AI)さんが苦手とするのは
「生の体験」「生の声」だと言うことを私は知っています。

AIはこれまでの人類の集合知ですが、
人間の感情を理解して表現することはできない、と私は思います。

人間だから迷う。

人間だから間違う。

人間だから不合理な行動もする。

24時間365日、疲れを知らずにアウトプットし続けられるAIではないから、
疲れたり、不機嫌になったりもする。

でも、「それが人間らしさ」だと思います。

生の人間が、生の体験を、生の声で語る。

それを受けとって共感したり、考えたりするのも、やっぱり生の人間です。

そういうところに、これからの時代のエッセイや小説の価値はあるのではないか、と思うんです。

手前味噌ですが、私の「生の声」の本もこちらにひっそり載せておきます。
一人でも多くの方に届きますように。


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