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映画 暖流(1939年) 困難があっても愛と豊かさを引き寄せるスピリチュアル

毎日があっという間です。夏頃、note5周年の通知も来ていました。お読みいただいている皆様のお陰です。本当にありがとうございます!

noteに登録して記事を投稿する迄に、数ヶ月掛かりました。表に見えなくてもじわじわ進んでいる時期って、ありますよね。皆様にも素敵な実りがありますように。


昭和のお嬢様は想像を超えていたよ

さて、昔の日本映画シリーズ第3回です。初めましての方は下記リンクをご参照くださいね。なお今回のヘッダーはPixabayからお借りしているフリー画像です。

私は幼少より機能不全家族で育ち病気がちだったのですが、魔法やおまじない、そしてお金持ちのお嬢様が出てくる漫画が大好きでした。夢がありますよね。高校生ごろには図書館で美輪明宏さんのご本に出逢い、必ずしも大金持ちでなくても豊かな暮らしが出来ることを学びました。

その美輪さんの影響で昔の日本映画を見るようになったのですが、特に戦前の映画には大変驚かされました。かつて夢中になった漫画のお嬢様像が実物に近い形で動いているのですから。映画のお嬢様たちは言葉遣いも丁寧過ぎるほどなのに、所作もたおやかに美しく嫌味がありません。映画も創作物ではありますが、当時のお嬢様は想像以上に「お嬢様」だったのです。

『愛染かつら』『安城家の舞踏会』などに出てくるお嬢様を知識なしに見ていると、ここまで身分の違いがあるのかとネガティヴな意味での驚きもありました。華族制度が廃止される1947年(昭和22年)より前の時代ですしね。

意外な発見もありました。例えば桑野通子や高峰三枝子や高杉早苗の演じるお嬢様は性格も粋で、男気・漢を感じることも。お嬢様といえば高い声のイメージでしたが、当時の女優さんは低めの落ち着いた声の方も多いですね。

話し声や歌声の低さは、現代のK-POP女性グループにも感じていました。でも実際には彼女たちが低音というより、日本の女の子やアイドルの声が高いのですよね。昔の女優さんや、ヨジャドルさんの比較的低い声も、深みのある色気を感じたり素で語りかけられるようだったりして、心地よくて好きです。

暖流(1939年)吉村公三郎監督

さて今回取り上げるのは、『安城家の舞踏会』の監督でもある吉村公三郎監督の作品です。『暖流』1939年(昭和14年)。原作は岸田国士。吉村公三郎は島津保次郎に師事し、助監督として活躍されていた方です。

『暖流』は、私が特別に愛している作品の1つです!現代っ子にとっては古臭く感じ共感できない作品かもしれません。実際にこの映画の話で人と盛り上がったことはおそらくありませんが、こっそりと、でも明らかに好きです。

作中、佐分利信が水戸光子を自宅に連れて行き、両親に紹介したり二階でやり取りしたりするのですが、もう見ていて幸せで堪らないんです。佐分利のご両親(役)も、思わず笑顔になっちゃっています。何この幸せ空間。私は恋を夢見る女というより、知り合いのおばちゃんのように「あらあら。とってもお似合いよ」とニマニマしてしまいます。実際には何も始まっていない段階ですが。

水戸光子は天涯孤独で帰る家がないようですし、看護師寮の親友のこともあり色々不安だったでしょう。拠り所のない彼女に、頼もしい上司であり友人、或いはそれ以上の存在が出来たことに、等身大の私も喜びました。

途中、お辛かったでしょうけれど、ヒステリックに責め立てたり自暴自棄になって問題を起こしたりせず、状況を悪化させませんでした。相手がよかったのもあります。現実は中々映画のようには行かないかもしれませんが、思考や選択の積み重ねで幸運を引き寄せていくイメージが掴みやすいです。

1878年(明治11年)生まれの名優から受け取る

機能不全家族で育った私は、両親への尊敬や慕う気持ち、そして別離の寂しさが大人になっても分かりませんでした。そんな私ですが『暖流』をはじめ昭和初期ごろの日本映画を見ていると、両親への尊敬や愛がすんなり想像でき、「親も子も、これは好きになるだろう」と納得いくんですね。

勿論、昔の映画であり、非常に分かりやすい設定だからかもしれません。しかしまだ生まれてもいない時代なのに故郷での出来事のように懐かしく、泣いたり笑ったり一緒に考えたりしながら心が整ってゆきます。まるで映画の中の父親、母親たちに育てられたかのように密かに誇らしくなったりもして、私に足りなかった何かがみるみる吸収され、基盤が強化される思いです。

それにしても藤野秀夫と葛城文子は1878年(明治11年)生まれなのですね。祖父母より前の、明治生まれの方の素晴らしい演技に触れて心が強くなるということ。ありがたいですし、遺伝子も喜んでいそうです。

「腹心」…、M女はこっそり選ぶ

この映画で最もときめいた場面は、先に触れた水戸光子を家に連れてきたときと、終盤の「女房」のくだりです。終盤の詳細を記すのは、念の為やめておきますね。

前半部分で佐分利信が水戸光子に、とある役目をお願いする訳ですが、「腹心。分かる?」と言っているところで、くらくらーっと落ちました。私が。

佐分利の顔が好みかというと特別にそうではないのです。ヴィジュアルだけでいうと、白黒映画では岡田時彦・上原謙あたりが印象的でした。ヘアメイクの効果もあり、とても映えますよね。

佐分利が演じる日疋ひびきは、頼もしいお人柄。野心も善なるもので、信頼できそうだから、ときめいたのでしょう。そうでない人から「腹心になって働くんだ」と言われることを想像すると怖いです。

そうそう、私がnoteで綴っている昔の日本映画シリーズの裏テーマは、4月に書いたように「M女」の感覚です。M女は、お仕えする人を選びます。そうではない人もいらっしゃるかもしれませんが、私や私の周りのM嬢さんは「この人なら・・・」、と選んでいたようでした(過去記事)。単に容姿で選ぶと、酷いことや悲しいことになりやすいです。

昔の文化、暮らし。開運し、生きていく

最後の章は備忘録です。

作中、「揮発ございません?」と聞こえる部分があります。洋服の手入れをする揮発=揮発油=ベンジンでしょうか。甲斐甲斐しく服のお手入れする様子がいじらしいです。本人がしたくて、しているというのが何よりいいですね。

病院のエレベーターの針も、最初は何か分かりませんでした。デジタルではない、アナログ時計の上半分みたいなもの。エレベーターの階を示しているのですね。

お嬢様が女中と仲が良さそうなのも、見ていて微笑ましいです。身分の差自体が問題ではありますが、この『暖流』でも高峰三枝子の覚悟や誇りなど、葛藤がありながらも逞しく生きていく様子が伺えます。

私は、『男性対女性』(1936)の牧場シーンもすごく好きです。長男は、女中だった「きくや」と一緒にイキイキと暮らしています。

現代人は食事や運動をはじめとする生活習慣の変化等により、デフォルトで心身に気だるさがあるのかもしれません。私は拒食症になってから歩くのもきつかったですし、その後過食に転じても易疲労感は続きました。現在は摂食障害も治り、歩くことも好きです。

昔の暮らしの全てが、現代より良いというような極端なことは言いません。しかし現代的な不調に苦しんだ私にとって、この時代の映画はバランスを取ることに繋がり開運効果をもたらしてくれているようです。

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