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君は、10年後どうなっていたい?


心療内科

こころの病気で休職してからというもの、復職した後も定期的に心療内科に通っている。

数か月前にも診察を受けた。先生はとてもいい方なので、必要であれば10分でも20分でも話に付き合ってくれる。(一般的な診察時間は5分くらいです)

いつも通り受付の人に診察券と保険証を渡し、待合室で1時間ほど時間を過ごす。

名前が呼ばれ、席を立って、診察室のドアにノックをする。

「どうですか?」

いつもこの言葉から始まる。考える。

自分は"どう"なんだろう。

そう言えば最近、何をしてても楽しくないな。


「なんだか、何をしてても楽しくないですね。」


うんうんと相槌をしながら聞いてくれる。

この頃のぼくは、将来のことについて迷っていた。迷っていたというより、将来が見えなかった。

この先一生教師としてやっていく気は全くない。だからと言って教師の他に何をやろう。

自分は何がやりたかったのか、分からなくなっていた。なりたくて教師になったはずなのに。なぜか心の隅でぼやけた何かが、僕に語りかけてくるような気がする。


しばらく話した後、先生がぽつりぽつりと話し出す。


「目の前に水たまりがあるとするよね。そこだけを見ていたら避けたくなるね。でももっと先に行きたい場所があったする。その行きたい場所に行くためには、目の前の水たまりを通った方がいいときもあるよね。」

先生は続けてこう言った。


「君は、10年後にどうなっていたいの?」


分からなかった。

目前の授業準備、校務、学級経営に必死でそんなことを考える余裕がなかった。

自分のことのはずなのに、10年がぼやけて、よく見えなかった。

君は、10年後どうなっていたいの?

診察が終わってからずっと「君は、10年後にどうなっていたいの?」という言葉が頭から離れなかった。


自分は10年後、どうなっていたいのだろう。

誰と何をして、どう生きていたいのだろう。


ちゃんと立ち止まって考えたいと思った。

すぐさまカフェに入り、ロイヤルミルクティーを注文して席に座った。

隅っこの席に座る。すぐにペンを出す。ノートを開く。


「10年後どうなっていたいのか」

ノートの上にそんなことを書き、考え始める。

教師という今の環境を一切勘定に入れず、金銭的な制約も無視して、とにかく自由に考えた。10年後の自分を。理想の姿を。

すると驚くほどたくさんやりたいことが頭の中に浮かんだ。


  • 自分が信頼できる友達や仲間と働きたい

  • 自分のやりたいことを実現できる環境で本当に子どものためになる教育がしたい

  • 働かなくてもいい自由がほしい

  • 社会的に弱い立場の人に自分ができる範囲で力になりたい。


どうして、忘れていたのだろう。

こんなにやりたいことがあったのに。

その後もペンが走って止まらなかった。

誰と何をどうやってやり、そしてどう生きたいのか。具体的なことを書き終えたとき、ペンが止まった。

分かってしまった。


「公務員として教師を続けていたら、何十年経ってもこの状態にはなれない。」


僕にとっての教師は天職とも思える職業だった。

自分は「モテたい」「金持ちになりたい」という欲より「誰かのためになった」喜びを感じたいという思いが強い人間だから、子どもが変わっていく姿を見届けるのが好きだった。


だけど一方で、働き方には問題があった。

どんなに効率的に働いてもその分仕事が増え、残業時間は月100時間を超えていた。こんなに工夫しているのに、任される仕事だけ増えて、本当に時間をかけたい授業やクラスのことは休日に後回しになる。

尊敬できる先生は、次々に異動してしまっていた。

手放しで頼ることができる人が、同じ職場にはいなかった。


自分で責任をとりたくないからと大切なことは何も決めない管理職。

自分の都合で早々に退勤する学年主任。

クラスのことばかり優先して学年のことを積極的にやろうとしない同僚。


人としては好きだった。だけど、近くで働くのはきつかった。

誰が悪いわけでもない。その事実が余計に、自分を悲しくさせているのが分かる。


正直に言って、身体も心も疲れ切っていた。

あまりの忙しさに身体が付いていかず、今年度は何度も熱を出した。

必死にやっても、それを共有できる人がいないのが孤独だった。


「子ども達のために」と言っておいて何も変えようとしない職員室の雰囲気にうんざりしていた。


あれ、なんで教師を続けているんだっけ。あんな必死な思いで復職したのに。


「やめよう。」


そう思った。クラスの子どもが変わっていくこと、成長してくれることはとてもうれしいし、やりがいもある。

でもやりがいには限界がある。

やりがいに頼って変わろうとしない、自己保身のために本当の意味では子どもを大切にしていない、表面的な"学校教育"にはもう辟易した。


辞めてしまおう。

そんなこんなで、僕は学校の先生をやめることになった。


退職するその日は驚くほど早く、刻一刻と近づいてきた。

ずっとやりたかった仕事をやめなければならない絶望とこれから本当にやりたかったことに向けて歩んでいくという希望が、心の中でごちゃ混ぜになる。


未来は不確実で、たとえそれが自分のものであったとしても、先のことは誰にも分からない。

それでもぼくは「10年後になっていたい自分」になるために、これまで出会ってきた子ども達が頼りたくなるような人になるために、未来に出会うであろう子ども達のために、これからも生きていこうと思う。今を大切にしながら。


「君は、10年後にどうなっていたいの?」

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