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ささやかな喜びに気づける人、受け取れる人ほど、ずっと幸福でいられる理由「あなたのそばにいる、その日の天使」

人生は振幅の連続だ。

闇を知る人ほど光のありがたみを深く知っているし、傷ついた経験をたくさん持つ人ほど、傷つきに敏感なので、優しく人と接するようになる。たくさん笑いたいと望む人は、悲しみに触れた回数が人より多いのかもしれない。

ずっと有頂天だと、そこにある小さな幸せには気づきづらい。

競争心という魔物に憑りつかれた人ほど、自己顕示欲や承認欲求の奴隷になりやすい。そういう人ほど、気づけば誰かにマウントを取ることが目的化しがちだ。
しかし当人はずっと渦中に身を置いており「誰にも隙を見せてはいけない」「隙を見せると蹴落とされる」と緊張しながらで暮らしている。ずっと自分の過緊張な暮らしを顧みることがない。中には自身と向き合うのが怖くて、自分から目をそらしている人だているかもしれない。

僕が仲良くなるのは、決まって傷ついた経験を多く持っている心優しい人だ。

こういう方たちは、誰かにマウントをすることはない。競争、物質、消費の世界観と縁遠い。自分の軸を持ってこつこつ地道な日々を送られている。

今から書くのは、かつて僕がどん底にいた頃の話。

詳細は割愛するが、ある男性の話を週に一度1時間ほど聴くという仕事をしていた。

その男性は、かなりハードな人生を歩んでおられ寡黙でなかなか人に心を開かない方だった。話していても笑顔が見られず「僕と話していて何かプラスがあるのかな?」と悩んだこともある。

それでも週に一度会って、話を聴き続けることを続けた。

ある日、僕が好きな漫画の話をしている瞬間、その男性の顔が一瞬緩んだ。

彼はそのとき、こんなことを口にした。
「その漫画な。俺も小学校の頃によく読んだんや。亡くなったお母ちゃんが買ってくれた唯一の漫画で、ボロボロになるまで読んだんや」と伏し目がちに、悲しみを含んだ笑顔をこちらに向ける。

そこから心がつながり、彼は人に言っていなかった成育歴やご家族の話をしてくれるようになった。

それから週に一度の対話を、その男性は心待ちにしてくれるようになった。

僕も人生のどん底にいた頃だったが、彼が心を開いた瞬間「これで今日一日をやっていける」「生きていく意味がある」と実感できたのを鮮明に覚えている。
なかなか希望を見出せない日々の中で、一瞬、救われた気持ちになったのだ。

中島らもさんのエッセイに「その日の天使」というものがある。

引用させていただこう。

一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている。

その天使は、日によって様々の容姿をもって現れる。
少女であったり、子供であったり、酔っ払いであったり、警察官であったり、
生まれてすぐに死んでしまった、子犬であったり。
心・技・体ともに絶好調のときには、これらの天使は、人には見えないようだ。
逆に、絶望的な気分におちているときには、この天使が一日に一人だけさしつかわされていることに、よく気づく。

こんなことがないだろうか。
暗い気持ちになって、冗談にでも”今、自殺したら”などと考えているときに、
とんでもない友人から電話がかかってくる、
あるいは、ふと開いた画集かなにかの一葉によって救われるようなことが。

それは、その日の天使なのである。

中島らも「恋は底ぢから」

人生が一気によくなることはないし、ある日を境に幸せいっぱいになることもない。

でも、あきらめず地道に積み重ねることで、きっとよりよいものになる。

大事なのは自他の優しさや喜びに気づくこと、しっかり受け取ること。

例えほんの少しでも、前進することに大きな意味がある。

誰かから賞賛される派手なことよりも、自分の心でしか感じとれない目立たない、ささいなことの方が大事なこともある。

あなたは些事にゆっくり目を向けて、ただ受け取るだけでいい。受け取ることさえできれば、心が緩み必ず前へ進めるだろう。

「その日の天使」は、きっとあなたの近くにもいる。

天使は、ささくれ立った気持ちだったり、ずっと何かに追われっぱなしだと見えづらい。

忙しい毎日でも、ほっと一息ついた瞬間、天使はあなたの前へと姿を現すだろう。

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