感想

 手元には、ちょうど1ヶ月前に観劇した作品の上演台本がある。9月9日から15日まで、神奈川芸術劇場大スタジオで上演された快快の『ルイ・ルイ』である。今、久しぶりに台本をめくりながら、どんな作品だったか思い返している。そこにはたとえば、こんな台詞が書かれている。

「この前友人と観た舞台の感想を言い合ってた時に、劇中にずっといたあれ、あれってオオカミだったよね?と友人に聞いたんです。すると友人が、オオカミなんていなかった、って言うんですね。たしかに劇場にオオカミがいるわけがないし、でも僕は、わりとはっきりオオカミの映像が頭に残ってしまっていて。そのあと何度も友人に確認したくらいなんですね。あれはなんだったのか。幽霊だったのか?」

 『ルイ・ルイ』には「ルイ」というぬいぐるみが登場し、それはオオカミだということになっている。それは僕の記憶の中にはっきり存在しているけれど、劇を観なかった誰かとそれを共有することは難しいだろう。それは演劇全般に言えることかもしれないけれど、『ルイ・ルイ』はとりわけその側面が大きいと言える。舞台の序盤で繰り広げられる、上演台本では「カレーの味」と題のついたシーンでは、先輩が後輩に対して、昨日振る舞ったのであろうカレーの味の感想を尋ねている。そこにはこんなテキストが書かれている。

先輩 それで野菜は感じた?
後輩 ああ、感じました、トマトと、ナスと、ピーマンと、、、
先輩 オクラも入ってる
後輩 それらが、(表現)
先輩 (表現)
後輩 (表現)、てゆうか、(表現)、って、すごい景色だった


 ここで「(表現)」となっている箇所は、俳優によって動きと擬音で表現されている。上演を観た僕は、その様子を思い浮かべることができるけれど、観なかった人には何も伝わらないだろう。『ルイ・ルイ』は、こうした“言葉のなさ”で溢れている。このシーンは、上演台本では「カレーの味」と書かれているけれど、上演中には「言葉なんて信じない!」と紹介されて始まる。舞台の冒頭に、ラジオから流れてくる毒蝮三太夫の言葉の中でも、「言葉なんて終わってる」と語られている。

 ただ、それを額面通りに受け取るのは間違いだろう。さきほど引いた「カレーの味」というシーンの直後には、白波多カミンが登場し、ギターを弾きながらメロディを口ずさむ。そこには歌詞がなく、ただメロディだけを口ずさんでいる。その曲は、舞台の中盤で再び登場する。「ねえ、夏のおわりに一曲歌ってー」というリクエストに答えて、少し辿々しく、白波多カミンが再び歌い出す。さきほどとは異なり、ここでは歌詞がついている。

「ルイルイ あたまでかい でかいあたま」――ぬいぐるみのルイの姿を見たままに歌ったかのような言葉からそれは始まっているのだが、サビでは「ルイルイ からだがない ルイルイ だからおどりましょ」「ルイルイ からだがない ルイルイ でもおどりましょ」と、作品の本質を突くような歌詞に展開してゆく。舞台の終盤でもう一度この曲は歌われており、そこではさらに言葉が増えている。その構造を考えると、言葉なんてないという出発点から、言葉を模索しようとする作品だと言える。

 では、この舞台が模索しようとしている言葉とは何だろう? 上演台本の冒頭には、こんなト書きがある。

楽屋に女優がいる
ラジオが流れている
女優は読みかけの台本を机に置いて、寝てしまう

 この「読みかけの台本」は、上演台本の2ページ目にも登場する(しかも、そこでは「台本」のあとに括弧でくくって「アカシックレコード」と書かれてある)。「女優」が、ぬいぐるみのルイと腹話術のように話す場面だ。「台本どんな感じ?」と問うルイに、女優は「なんか、よくわかんないんだよね」と答える。「ここなんだけど、道端で死んでいるセミを見て、寂しさを肯定するような表情、ってト書きがあるんだけどさ、意味わかんなくない?それどんな顔?」と。

 ここにある「道端で死んでいるセミを見て、寂しさを肯定する」というモチーフは、参考文献として挙げられている、志賀直哉による短編「城の崎にて」から引かれたモチーフなのだろう。『ルイ・ルイ』の制作に先駆けて、快快は城崎国際アートセンターにアーティスト・イン・レジデンスで滞在しており、そこで「城の崎にて」をあらためて読んだのだろう。

「城の崎にて」はとても短い小説だ。『ルイ・ルイ』を観た翌日、実家に帰ると、本棚に新潮文庫の『小僧の神様・城の崎にて』を見つけた。たしか読書感想文を書くにあたり、課題図書の候補に『小僧の神様・城の崎にて』があり、表題作がとても短いという理由で、この本を選んだ記憶がある。そのあらすじはこうだ。

 山手線にはねられた主人公の「自分」は、療養のために城崎温泉を訪れる。そこで「自分」は、生物の死を3度目にする。まずは蜂の死骸が3日間ずっと転がったままになっているのを見かけ、首にくしが刺さったまま逃げ惑う鼠を目撃し、イモリを脅かそうと石を投げて殺してしまう。そして、「自分」は、事故の傷が脊椎カリエスになって致命傷になることを恐れていたが、小説は「脊椎カリエスになるだけは助かった」と結ばれる。この短編について、尾崎一雄・中野重治・本田秋五・平野謙による座談会「志賀直哉 人と文学」ではこんなふうに語られている。

本多 (略)「城の崎にて」が名作であることには問題がない。
平野 自明の理だ。
本多 しかし、もう少しその論を発展させていくと、志賀さんにおける清浄さ、清潔さというものと、隠遁的傾向というものとが、どうしても結びつく。うるさい娑婆をさけて、好きなところだけ歩いて行きたいというところがあって、それが戦後派作家たちが志賀直哉とは関係ないというところだと思う。ぼく自身に隠遁的傾向が強いだけに、こればっかりでも困るという気があるんだ。

 小さい頃に読書感想文を書くために読んだときの感想も、今思えばここで語られていることに近かったような気がする。死を前にして、自然の風景の中に、この世の摂理を見出す。そして、生物の死に、自らの境遇を重ね合わせる。それは「隠遁的」にも感じられたし、あまりにもセンチメンタルであるように思えた。でも、『ルイ・ルイ』を観た翌日になって、実家の本棚にあったのを読み返してみると、ずいぶん印象が違っていた。目の前の風景に或る摂理を見ていることは間違いないけれど、そこに自らの境遇を重ね合わせてなどいないのだと気づいた。

 志賀直哉は白樺派の作家とされている。白樺派の理論的支柱となったのは武者小路実篤である。彼は、当時の文壇で隆盛していた自然主義の理論に対して、猛然と反論している。

 花袋の『インキ壺』には僕は腹を立てた。それは花袋が平面描写をとなへ、主観的なものを否定してゐたからだつた。つまり僕が文学でやりたいと思つてゐることを全部比定しているやうに思はれたからだ。僕は事故を正直に生かしたいために文学の道を選んだのだ。自分の主観を生かすのが目的で、平面描写は僕の一番不得意なものだ。花袋のいふ通りなら、僕には文学者になる資格がない。あつても低級だということになる。

 自然主義文学が、世界をまなざす「私」の主観を排除して「平面描写」に終始しようとしたのに対して、武者小路実篤は「主観」こそが自分が文学でやりたいと思っていることだと言う。つまり、ここで重要になるのは自我である。その観点から改めて「城の崎にて」を考えると、蜂や鼠やイモリに自らを投影するのではなく、それらの死をまなざす「私」がいるというだけだ。蜂と鼠とイモリは死に、「私」は死ななかった。そこでは重ね合わせるどころか、まったく「私」は切り離されている。試しに、死んだ蜂をめぐる描写を見てみよう。

 或朝の事、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見る度に一つ所に全く動かずに俯向きに転っているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日程そのままになっていた。それは見ていて、如何にも静かな感じを与えた。淋しかった。他の蜂が皆巣へ入ってしまった日暮、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見る事は淋しかった。然し、それは如何にも静かだった。

 白樺派の前後の文学――自然主義であれプロレタリア文学であれ――であれば、この風景を描くことに、何か意味を持たせるだろう。死んでいる蜂が転がっているのに、他の蜂はまったく冷淡で、お構いなしに働き続けている。その姿を、人間社会の縮図として描くだろう。だが、志賀直哉はそうした素振りを一切見せずに、ただ死んだ蜂と、生きていてそれをまなざしている私を描くだけだ。


 話を『ルイ・ルイ』に戻す。舞台の終盤で「女優」は、「なんか、よくわかんないんだよね」と語っていたシーンを演じ始める。

「わたしは今、私の寂しさに気づいた。わたしの寂しさはずっと、わたしにぴったりとくっついて、それまで見えなかった。なんで寂しさに気づいたのか。夏の終わりにわたしはひとりで、歩いていた。道端に、セミの死骸があった。私はそれをみて、その死骸をみて、なんて言ったらいいんだろう、心底ほっとしたんだった。私の寂しさは、誰のものでもない」

 この、「私の寂しさ」とは何か、それは一体何であるのかという部分が、作品の肝となる部分であるように思う。僕は『ルイ・ルイ』を2度観たけれど、なぜ「わたし」が「私の寂しさに気づいた」のか、うまく読み取ることができなかった。ただ、もう一度上演を観て、「城の崎にて」を読み返した今では、そのことが少しはわかるようになった気がしている。ここで「わたし」は、死んだ蝉を見つめることで、「私の寂しさは、誰のものでもない」ということに気づく。ここで「わたし」は、ようやく他の誰のものでもない自我の領分を見つけたと言える。そして、その構造は、『ルイ・ルイ』という作品全体を通じて観客に差し出されているものでもある。

 さきほど触れたように、上演台本の最初に登場するト書きは、「楽屋に女優がいる」だ。上演が始まると、「女優」を演じる初音映莉子が舞台に登場し、テーブルに突っ伏す。彼女だけが「女優」と表記され、残りの出演者は「俳優」と区分けされている。観客が最初にまなざすのは「女優」だが、彼女以外の出演者である「俳優」は、開演の数分前に観客席に座り、スタンバイしている。毒蝮三太夫による「ラジオ」が流れ始めて、「人生は舞台、人は皆役者とは申しますが、ここには血気盛んな大根役者どもが集まっていると聞いております」という声を聴くと、「俳優」たちは立ち上がり、拍手しながら舞台に上がって踊り出す。「女優」ははじき出されるように舞台を降り、客席と同じ高さから踊る「俳優」を、なにか疎外感を感じた視線で眺めている。

 ここでは構造が反転している。さっきまで舞台上でまなざされる側であったはずの「女優」が、観客と同じ立場に置かれている。観客であるわたしたちは、楽しそうに踊る「俳優」を客席から見るばかりで、わたしたちは立ち上がって踊ることはできない。

『ルイ・ルイ』には、こうした反転が生じる場面がいくつかある。たとえば、「あっちが本当?!こっちが本当!?」と紹介されて始まるシーンでは、こんな会話がある。

りの そういえばさ、最近へんな夢をみるんだよね、毎日同じ夢で。しかも、夢の中にいるって自覚があるの
りき あー、明晰夢みたいな
カミン 明晰夢?
りき 夢の中で夢を自覚して、自分の思い通りにするやつですね
りの それがさ、毎回どこか知らない異国の八百屋さんで、結婚してて子供もいるの、それで毎朝、野菜を売ってるの。しゃべった事もない言葉をね、べらべらしゃべってて自分が。まあそれだけなんだけど(略)とにかく見るんだよね、毎日。とくに楽しい夢ってわけでもないんだけど、なんてゆうか、そこにも何かはあるんだよね、楽しいとかじゃないなにか
りき どんな深層心理なんだろ
りの うーん、たまに、こっちの生活がほんとなのか、あっちの生活がほんとなのかわらなくなるよ

 ここで語られているのは、フィクションの言葉というよりも、大道寺梨乃が実感として感じていることだろう。彼女は現在イタリアに暮らしていて、八百屋さんでアルバイトしているということを僕は知っている。『ルイ・ルイ』の初日があけた次の日に収録した座談会でも、「日本に戻ってきて演劇をやれることって、普段は非現実だから」と彼女は語っている。普段の生活を軸に考えれば、イタリアでの生活が現実で、遠く離れた日本で舞台に立つ時間が夢となる。でも、舞台に立つと構造が反転して、舞台上の「私」にとってはそこが現実となり、イタリアでの生活が「夢」となる。

 さて、「夢」である。

 ここでは偶然にも奇妙なリンクが生まれている。それはただの偶然であり、作品にそんな意図が込められていないことはわかっている。でも、その偶然について考えることは無意味なこととも思えないので、少し脇道に逸れてみる。

『文學界』(1975年8月号)に、文芸評論家の饗庭孝男が志賀直哉論を寄せている。タイトルは「志賀直哉――その『自然』と『夢』」である。

 (…)彼の小説やエッセイの書き出しを見ると、「或晩夢を見た」というようにしてしばしば始まっている。そればかりではなく、小説やエッセイの題そのものが「夢」「夢から憶ひ出す」「病中夢」「昨日の夢」「妙な夢」等である。しかもこうした「夢」はきわめて鮮明に描かれているのである。「夢」は通常、ある漠然とした形をもっているように思われがちだが、彼においては、現実の中のことがらをあらわすのに「夢」の中の鮮明さをもってたとえるような特異な点がある。

 饗庭はその例として、『和解』という小説に登場する「余りに自然に、直ぐそれが浮かんだ。それは夢の中で出会ふ人のやうに客観性を持つてゐて、自分には如何にも生きてゐた時の祖父らしかった」という文を引用した上で、「今、私が引用した文章の終りにある、『夢の中で出会ふ人のやうに客観性を持つて』いるという表現が、ふつうならば『夢』を言いあらわすのに、現実の中のような客観性、となる筈であることを考えると、まことに思考の軸が彼にあっては逆に働いていると言うべきであろう」と論じる。

 志賀直哉における「夢」とは、したがって現実の深いところにおいての隠れた真実の啓示であり、現実の解釈の手がかりでありその際限も基準もない自由の恐ろしさによって、まことの現実とは何かを教えるものであるとともに、われわれを時間と場所の外にみちびくものであった。(…)「夢」と想像力こそは彼が生きてゆく上での、原理としての「自然」であったのである。

 こうした物差しを挟んでみると、「あっちが本当?!こっちが本当!?」も、輪郭が際立ってくる。『ルイ・ルイ』における「夢」をめぐる会話は、さきほど引用した箇所のあと、こう展開してゆく。

りき あの、引かないでくださいね
カミン、りの うん
りき 今度遊びに行ってもいいですか?
カミン え?夢に?
りの え、全然いいけど、そんな事できるの
りき 今トライしてるとこです、いろんな夢に入り込んで、でも介入はしないんで、見てるだけなんで安心して下さい
りの へーどうやってやるの?
りき それはー今度教えます、まだ自分の中で科学的にありえないんで、うまく説明ができなくて
りの うん、じゃあいいよ、私の夢に遊びにおいでよ

 ここで語られている「夢に入り込んで、でも介入はしない」というのは、まさに観客が劇を観るということと同じだ。その「夢」を通じて、わたしたちは何を目のあたりにしているのだろう。どんな「まことの現実」を観ているのだろう。

 僕が『ルイ・ルイ』で強く印象に残ったシーンは3つある。3つの中で最初に登場するのは、上演台本では「地球に求愛」と名づけられたシーンだ。銀色で長髪のかつらをかぶり、サングラス姿で登場した山崎皓司が、白波多カミンのギターの音とともに、「I love you」と語り出す。それは、タイトルにある通り、地球に対する求愛だ。

「Hey please..Can you hear me? I love you ,I love you earth. From now ,our secret words is MOTTAINAI.スローライフ.エアーコンディショナー 28 ディグリー。グリーンカーテン オブ ゴーヤ。ブッキングエホーマキ。リユース。クールビズ。co2。ドント ビー アングリー。エルニーニョ、エルニーニョ。トゥーホット、トゥーホット。エコ、エコ。ロハス、ロハス。アイドリングストップ。(略)アイ リアライズ ネイチャー イズ ネイバーフッド。イフ アイ ゴー マウンテン、アイ キャン ミート ワイルドライフ。アイ ファイト ゼム、キル ゼム、バット アイラブゼム、アイ リスペクト ゼム、アイ サンク ゼム。イタダキマス。サンキューフォーエブリシング。アイ リアライズ ユーアーオールウェイズ ウィズ ミー ウィズアウト ワーズ。ユーギブミー エブリシング、バット アイ ギブ ユー ナッシング。アイムポイズン。 アイム ライアー。アンド アイム ジャパニーズ」

 引用するためにタイプしていて、改めて感じるのは、これは誰にでも発語できる言葉ではないということ。これを普通に語れば、環境問題を揶揄した言葉に堕してしまう。環境問題に関する部分に限らず、愛を語るということだけとっても、よほどのシチュエーションでなければ陳腐な言葉になるだろう。劇中でフェルミが「私が思春期の頃は、愛とか夢とかwe are the world~みたいな世界観、知らない世界を冒険しようみたいな、自由恋愛万歳みたいな雰囲気があったもんで、自分もそれを疑わずに、愛がすべてだ、みたいな感じだった」けど、「今はそんなに、自分の知らないものを受け入れよう、とか、みんな一緒になれる、とか、そういうのは全然ない時代に突入して」ると語っているのも、それに近い話だと思う。

 そんな時代にあって、ここまでストレートに愛を語ることができるのは(そしてそれが胸を打つのは)、劇による効果というよりも、山崎皓司という人そのものによってもたらされているものだと思う。ここでもまた、志賀直哉のことを思い浮かべてしまう。臼井吉見の『大正文壇史』には、こんな一節がある。

(…)志賀直哉の的確で、緻密な文章のリズムが、生活自体のリズムにほかならないことは、改めていうまでもないだろう。文章というよりは、作品そのものが、その日記に直接つながっているといってよい。志賀直哉の青年時代の日記を一読すれば、このことは明確である。作品を決定し、それを内面から支えているのは、明らかに日記にしるされている作者の人間的生活内容そのものである。生活そのものの忠実な記録などというのではない。仮構された主人公の場合でも、その感受性はまさしく作者自身のそれであり、作者はその感受性に信頼しきっている。

 『ルイ・ルイ』において、山崎皓司は「演じている」というよりも、山崎皓司としてそこにいる(初日明けの座談会でも、彼は「そういえば俺、快快で久しく演技をしてないなと思った」と語っている)。ただしそれは、素の状態でドキュメンタリー的にそこに立っているということを意味しない。

「地球に求愛」というシーンで山崎皓司が語っている言葉はおそらく、自身が書いた言葉(を、場合によっては北川陽子が編集したもの)であり、その意味では、志賀直哉が主人公の感受性を仮構した場合と同じように、それは彼の「生活自体」とつながっているものだ。なんとなく気になってFacebookを開いてみたところ、山崎皓司は数日前に「農業研修をしに憧れの場所に来ました!」と投稿している。少し遡ると、「猪の生ハム、半年くらいかけて完成した」という投稿もある。狩猟に夢中か、と思う。

『ルイ・ルイ』の中には、原始人のような格好をした山崎皓司と大道寺梨乃が骨を手に登場し、「骨!」とそれぞれが言い、手にしていた骨を客席にまわさせる。その骨はおそらく、彼が狩猟した動物――生ハムになった猪だろうか――の骨なのだろう。打ち上げで一緒になったとき、彼が「せっかく骨があるんだから、もっとお客さんにじっくり見て欲しい」と語っていたことや、座談会を収録していたとき、棒を回転させて火を起こすキットを回転させながら、「今日こそは火を起こしたい」と言っていた姿が浮かんでくる。その道具は、本番中でも使用されていたものだ。客席に骨をまわしたあと、山崎皓司は火を起こし、「現象!」と言う。続けて、霧吹きで水を撒き、虹を生じさせたあとにも、再び「現象!」と言っている。

 このシーンは「現象と概念、あなたはどっち派?」との紹介で始められているけれど、この問いかけは正確ではないだろう。どんなに棒を擦って火を起こしたとしても、それは純粋な現象とは言えない。私たちは、「こうすれば火が起きる」と知っている。そこにはすでに概念が挟まれている。それと同じように、どんなに都市での生活を遠ざけて、狩猟を経験してみたところで、それは純粋な現象ではなく、概念が挟まれている。では、実際に経験してみることに意味がないのだろうか?――この問いかけは、「演劇には何か意味があるのだろうか?」という問いにも直結するものだ。演劇とはすでに内容が台本によって決められてあるものをその通りに上演するもので、その意味では予定調和であるとも言える。

『ルイ・ルイ』は、そうした自問自答から出発した作品でもある。客席に置かれていた当日パンフレットには、北川陽子による言葉が記されている。その書き出しは、「ギブアップザシアター、ギブアップザシアター」である。

 この言葉は、舞台の冒頭に、毒蝮三太夫によって語られもする。その真意が舞台上で語られることはなかったけれど、上演台本の中には、実際には舞台上では発語されなかった言葉まで書き込まれている。

「ギブアップザシアター、ギブアップザシアター、この劇場をジャックしました。ギブアップザシアターってそのままギブアップって意味じゃねえぞ?物事には裏ってものがあるんだよな、ギブアップの裏って何だ?ギブアップしないって意味だ、いやそれだけの意味か?違うよな?それはこのルイにもわからねえ、わからねえ事を自信満々にやりたいもんだよなあ!そのほうが生きてるって感じがするよ。ねえ、どうだい?お客さん、調子は?」

 この「ギブアップザシアター」という反語に、切実さを感じる。『ルイ・ルイ』という作品は、オムニバスのように無数の断片的なシーンから成り立っており、場合によっては「これは演劇ではない」と言われかねない場面も多々ある。それは、さきほど触れた骨のシーンにも言えることだけれども、僕がこの作品で印象深かかった2つ目のシーン「心で踊ろ!」にも当てはまる。そこで山崎皓司は、「ちょっと今から上に登ります」と宣言し、舞台の真ん中にあるはしごを登り出す。「先に言っとくけど、万が一落ちて死んだらごめんね。これ、フリじゃないからね。落ちないよ」と言い、さらに言葉を重ねた上で、はしごを見上げる観客に向かって「ごめんね、首つらいよね。特に何も起きないから、楽にしてていいからね」と告げる。

 その言葉の通り、彼はひとりで言葉を重ねながらはしごを上までのぼり、落ちないようにゆっくりと降りてくる、ただそれだけである。そこにドラマティックな展開が待っているわけではない。だが、それでもこの場面は、ぎりぎりのところで――あるいは本質的に――演劇的だと感じられる。それは、一つには、観客である「私」は、はしごを登りながら山崎皓司が重ねる言葉によって、強く想像力を働かせることになるからだろう。雲の描かれた舞台美術の上にまで突き抜けるはしごを登ってゆく姿を観ていると、今すぐにここで落下して死ぬということは起こらなくとも、やがて死に至る階段を一段ずつ登っているのだという当たり前の事実を想像する。

「ほんと万が一のために言っとくけど、これまでの人生ほんと幸せだった、ありがとう!みんな伝えてね。これ遺言ね。あの、俺が死んじゃって、寂しく思う人がいたらごめんね。あんなこと言っててほんとに落ちて死んだねって笑い話にしてね。ああ、でもお米を一度育ててみたかったなー。養蜂やってハチミツもとってみたかったなー。子供も育ててみたかったなー」

 どうして山崎皓司によって語られる言葉に胸を打たれるのか、説明しようとしてもうまく説明することができない。さきほど触れた、「地球に求愛」というシーンで語られる言葉だって、言葉だけ抜き出してみれば欠陥はたくさんあるはずだ。『ルイ・ルイ』が上演されたあと、グレタ・トゥーンベリによる演説が話題となったけれど、そうした状況を前にしてみれば、『ルイ・ルイ』に登場する台詞は不勉強のそしりを免れないだろう。あるいは、舞台中に香港の情勢に少しだけ言及されるけれども、それは唐突に触れられるだけで、劇で扱うには少し乱暴であるようにも感じられる。ただ、快快が舞台で上演したいと思っていることは、社会問題を真正面から考えることではなく、もっと別のところにあるのだろう。しつこくこじつけることになってしまうけれど、ここでもまた白樺派とよく似た状況にある。

 白樺派が登場したとき、彼らが学習院に通う特権的な階級の学生であることから、「お坊ちゃんの放蕩」と揶揄された。当時隆盛を誇っていた自然主義文学は、旧習にとらわれている社会の欺瞞や病理を暴くことを是としていたのに対し、白樺派が人道主義や理想を掲げたことからも「お坊ちゃんの文学」と批判され、白樺派をもじって「バカラシ派」と揶揄もされた。月日を経るにつれ、白樺派の評価は高まったものの、昭和を迎える頃にはプロレタリア文学が勃興する。この時代には、再び白樺派には批判が向けられるようになり、さきほど引いた座談会で尾崎一雄は「やっぱり志賀さんはプロレタリア運動から時勢的な影響を受けて、それでいろいろ都合悪いことは書けなくなったり、そういうことを持っていると思いますね。その時代はやっぱり書けなかった」と語り、プロレタリア運動に携わっていた本田秋五は「志賀さんの文学をぼくは尊敬しているけれども、政治的無知ということは認めないわけにはいかない」と語られている。

 自然主義文学とプロレタリア文学に挟まれた白樺派の文学を熱烈に擁護した人物に、哲学者の和辻哲郎がいる。彼は、自然主義の理論的指導者だった島村抱月が白樺を批判した折、猛然と反論している。和辻哲郎は、以前の文学者たちが新しい白樺派の文学を理解できないとすれば、それは「生活態度を異にする文学者が現れてきた」証でもあると論じている。「生活態度」という言葉は、『ルイ・ルイ』にぴったりくる。山崎皓司によるシーンだけでなく、大道寺梨乃が八百屋に関するシーンを描いたことにも「生活態度」と深く結びついているはずだし、野上絹代がラジオに投稿する手紙をしたためるシーンも「生活態度」と深く繋がっている。その手紙は、こんなふうに書き始められている。

 私は2019年のTOKYO でワーキングマザーをしています。 結婚して、二人の子どもにも恵まれて家族がいてくれてとても幸せです。 ずっと変わり者扱いされて、自分を偽って生きてきた私ですが、夫とはとても気が合い、この人とだったらきっと楽しい家 庭が作れると思って結婚しました。 もちろん、楽しいことはたくさんあります。でも、結婚前は「気が合う」ということに夢中になっていたのに、この頃はそうではない点の方が目についてしまうというか、その「気が合う」点は結局、私という人間の、ごく一部でしかなかったの だと気づいてきたのです。いえ、正確には自分で思っていたよりも自分はもっと広大でもっと深く、自分でも捉えることが できないということに気づいてしまったのです。そうかと思えば、忙しさに忙殺されそうになる時など、たまにポーンとこの家から自分を消してしまいたくなるような気持ちになります。

 これは別に、生活の不満を吐き出しているというわけではなく、彼女の実生活の中で感じていることを言語化したものだろう。手紙を書き終えると、彼女は動きながら、「洗濯機予約6 時間、洗い物、洗い物、洗い物、明日の着替え、おむつ、明日の米、明日の、明日の、来週の、来月の、来年の、、、」と言いながらはけてゆく。彼女の生活は、未来というものに差し押さえられている(そして、それは未来の上演に向けて稽古を重ねる演劇にもあてはまる)。初日明け座談会で、彼女はこう語っている。

たとえば「引っ越しをしよう」とか、何かを変えることを考えようとすると、「娘が中学校に上がるタイミングのほうがいいな」とか、「でも、そのとき息子は何歳か、ああやっぱりタイミングが悪いな」とか、そういうことで考えるようになって。私はもう、未来の中でしか生きてないなと思う。今のことに集中できるのは贅沢な時間って感じで、こどもたちを寝かせて、夫と一緒にHuluを観る1時間だとか、自分の仕事をするときにぎゅっと集中するとか、それくらいのもので。もう、全然未来だよ。今日もここにくる前に、今日の夕飯を作って、明日の夕飯の仕込みもやってきてるから、もう、未来・未来・未来・未来……。未来の中でしか生きられなくて、こどもがすごい遊びたがってるときに、「ごめん、今ちょっと忙しいから」ってなってるときは、自分は何をやってるのかなと思ったりするけど。

 人生には「劇的」と感じてしまうような瞬間が訪れることがある。だが、その瞬間ですべてが止まってしまうわけではなく、その先も人生は続く。その意味で示唆的なのは、「変な二人」と題のつけられたシーンだ。ふたりは一緒に踊り、「1分も無駄にしたくないな(略)あなたとの人生」とブルーヘッドが言えば、「わたしもです」とオレンジヘッドが答える。これは人生における劇的な瞬間だと言える。ふたりは、舞台の後半で再び登場する。オレンジヘッド、仕事から帰ってくるなりアサヒスーパードライを手に取り、ぷしゅっと開けてテレビをつける。そこにブルーヘッドが帰宅する。ふたりは一緒に暮らしているようだ。「今日どうだった?」「うん? うん、まあ」「あ、そう」と、淡々とした調子で言葉を交わす。出会い頭でダンスを踊っていたあの瞬間はどこに行ってしまったのだろうと思っていると、ブルーヘッドがオレンジヘッドの隣に腰掛け、くつろぐ。その様子は、『ルイ・ルイ』とのメインビジュアルだった姿だ。この時間だけ撮影OKタイムとなり、観客はこぞって写真を撮影している。劇的な瞬間ではなく、その後の生活がメインビジュアルとなり、観客がそれをまなざしているというのは、この作品が何を提示しようとしてるのかを(おそらく偶然だろうけれども)象徴しているように思える。

 僕が『ルイ・ルイ』で印象的だったシーンの最後のひとつは、石倉来輝による一人芝居として演じられる「クラブ」と題したシーンだ(上演台本を見て驚いたのは、このシーンには発語されなかった言葉がたくさんあり、その省かれ方も素晴らしいなと思った)。このシーンで「僕」は、イヤホンで耳を塞ぎ、街を歩いている。

僕は目的地をクラブに決める。ここは、
僕たちのシェルターみたいな場所で、ここに逃げ込んできたものたちが全ての音をかき消して、ただ存在することを思い起こさせる。
安全な夢の中で、ここを出ていくための何かを探し求めている様を思い起こさせる。
束の間の時間に、無心で無心を演じて踊り続けている、きっとここを出るとき、外は明るくなっていて、
夜でもなく朝でもない、中途半端な時間が来た道の正体を暴き出す、だからきっと、ここでのことは秘密にして、
また元の世界へ戻っていく、何事もなかったみたいに、上手になりすましながら、明日からまた暮らしていく、
その事を思い起こさせる。
私は孤独な塊の一部になる、
私はこの寂しさに興奮している、
だから、今、私たちはこの時間のすべてを、踊る

 このシーンにおける「クラブ」は、「劇場」とも置き換えが可能なものだ。劇場/クラブと、その外側にある世界――この対比は、2012年にエルサレム賞授賞式で行われた村上春樹によるスピーチを想起させる。そこで村上春樹は、「私がフィクションを書いているときに、常に心に留めていること」は、「高く、堅い壁と、それに当たって砕ける卵があれば、私は常に卵の側に立つ」ことだとした上で、こう説明している。

 しかも、たとえ壁がどんなに正しくて、卵がどんなに間違っていようとも、私は卵の側に立つのです。他の人は、何が正しくて何が間違っているか決めなければいけないでしょう。ひょっとすれば、時間や歴史が、決めることもあるでしょう。理由が何であれ、仮に、壁の側に立って作品を書く小説家がいるとすれば、そのような作品に如何なる価値があるでしょうか。

 このメタファーの意味するところは何でしょうか。ある場合においては、それはあまりに単純で明白です。爆撃機、戦車、ロケット砲、白リン弾が、その高く堅い壁です。卵は、それによって、蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装市民です。これは、メタファーの意味の1つです。

 でも、これで全てというわけではありません。より深い意味もあるのです。こんなふうに考えてみてください。私たちのそれぞれが、多かれ少なかれ、1個の卵なのだと。私たちのそれぞれは、脆い殻の中に閉じ込められた、ユニークでかけがえのない魂です。これは、私にとっても当てはまりますし、皆さん方のそれぞれにとってもあてはまります。そして、私たちそれぞれは、程度の差こそあれ、高く堅い壁に直面しているのです。壁には名前があります。「システム」です。システムは、私たちを守るべきものです。しかし、時には、それ自身が生命を帯び、私たちを殺し、私たちに他者を殺させることがあります。冷たく、効率的に、システマティックに。

 私が小説を書く理由は1つだけです。それは、個人の魂の尊厳を外側に持ってきて、光を当てることです。物語の目的は、警鐘を鳴らし、システムがその網の中に私たちの魂を絡めとり、損なうことがないように、システムに光を照射し続けることです。私は、小説家の仕事とは、物語―生と死の物語、愛の物語、人をして涙させ、恐怖で震わせ、可笑しみでクツクツと笑わせるような物語―を書くことによって、それぞれの魂の唯一性を明確なものにしようと挑戦し続けることであると、心から信じています。これが、私が、毎日進み続け、来る日も来る日も真剣にフィクションを生み出している理由なのです。

 このスピーチは大きな反響を呼んだ。壁と卵という対比は、とても明快なものだ。だが、それと同時に、陥りやすい問題も孕んでいる。それは、「わたしは卵の側に立っている」と思うところで立ち止まってしまうということだ。

 たとえば、「クラブ」というシーンを観たときに、観客は往々にして自分自身を卵の側に置く。クラブ/劇場の外側には、システムによる高い壁があり、欺瞞に満ちている。クラブ/劇場の内側に逃げ込んできたわたしたちは、システムによって阻害されている。そのシステムの欺瞞をわたしたちは認識していて、壁の側ではなく、卵の側に立っているのだ――と。

もしも「クラブ」のシーンが遠吠えで終わっていれば、そのような美しさに浸って終わってしまっていただろう。だが、美しさを湛えたままでこのシーンは終わらない。遠吠えをしたあと、石倉来輝は舞台からはけていく。それと入れ替わるように、初音映莉子が舞台に向かって進んでゆく。ふたりがすれ違う瞬間に、石倉来輝が舌打ちをする。

 もしも舌打ちがないまま終わっていれば、「私たちは卵だ」と感じて終わってしまうところだろう。自己を登場人物に投影して、自分が卵側にいることにホッとして終わることだろう。でも、そのシーンのあとに舌打ちの音が響くことで、そんなふうに安心して終わることはできなくなる。「快快の作品、今回も素晴らしかった!」と言って片付けるわけにはいかず、観客には何かとげのようなものが残る。さきほど引用した村上春樹のスピーチを注意深く読み返すと、「私たちのそれぞれが、多かれ少なかれ、1個の卵なのだと。私たちのそれぞれは、脆い殻の中に閉じ込められた、ユニークでかけがえのない魂です」という一文が目に留まる。つまり、卵であるということは、わたしたち自身が壁を有した存在だということだ。そのことの意味を、今もまだ耳に残る舌打ちの響きを思い返しながら考えている。

 『ルイ・ルイ』という作品を通じて、オムニバスのようにめくるめく登場する人物たちの姿を観ながら、観客はそこに自己を投影させるというよりも、それを観ている自分自身の姿のことを意識させられる。楽しそうに舞台で踊る俳優たちの姿を観ていても、そのように踊ることができずにただ座っているだけの自分の身体を意識する。ただし、劇中で語られるように、ただ座って舞台上を見つめているというのも「それもダンス」ということになる。あるいは、白波多カミンがエレキギターで「ルイルイ」を歌ってるとき、他の出演者たちは観客と同じ高さから舞台上を見上げていて、ライブに熱狂しながらレーザーポインターを舞台に照らしている。これは香港のデモにおける民衆の行動から引用したものだろうけれど、単なる引用という以上のものを感じる(だから二度目に観劇するときは、こっそりレーザーポインターを持ち込みたいと思ったほどだ)。その場面は、世界に触れようとする方法はひとつではなく、このような方法でも世界に触れているということになる、と指し示されているように感じた。その意味では、レーザーポインターを持っていなくても、そこでただまなざしていることだって世界に触れる一つの方法だ。

 こうして長々書いてきた今、思い出すのは、10月上旬に開催された「移動祝祭商店街」だ。それは舞台美術家が街に滞在し、パフォーマンスを上演するという企画で、大塚エリアを担当したのが快快の佐々木文美だった。そこで彼女は、こんなふうに企画を説明していた。

 これまでの人生の中でまったく大塚と無縁に生きてきた自分が滞在制作をすることになって、最初に訪れたのはモスクだった。それまで、滞在制作で突然大塚を訪れることになった自分だけがヨソモノだと思っていたけれど、足を運んでみると、異国同士とか、異宗教の人たち同士とか、年齢の違う人同士とか、そういったところに壁がないわけではなくて、お互いの垣根を越えないように暮らしているように感じた。それは自分の思い描いていた「ダイバーシティ」とは違っていて、それに気づいたときにもポジティブな気持ちもネガティブな気持ちも湧いてきた。そこから、南大塚にあるサンモール商店街にあるゲートを動かすアイディアを思いついたのだ――と。

 サンモール商店街には、その領域を示すようにゲートが立っている。佐々木文美はバルーンで仮設のゲートを製作し、それを観客と一緒に移動させるというパフォーマンスを行なった。それに先立ち、「こういうことをイメージしてほしい」と模型を使って観客に説明をしていた。本来のゲートがある場所にストッキングを張り、そこを仮設のゲートを通過させると、ストッキングが伸びる。「こうやってゲートを越えるときに、こう!」と佐々木文美が説明する。「この伸び、これを領域のヨガとします。垣根を越えるんじゃなくて、びよーんって伸びていく。これを想像したいと思います」と。

 説明を聞いているうちに、『ルイ・ルイ』という作品もまた、ヨガのような作品だったのだなと思い至った。劇的な瞬間を提示することで世界を変えるというよりも、舞台を見つめることを通じて、観客は私の姿をあらためて捉え直し、領域が「びよーんって伸びていく」。観客にそのような想像力を与えることができるのは、繰り返しになるけれど、彼ら自身の生き様によるところが大きいのだろう。その意味ではドキュメンタリー的とも言えるが、ドキュメンタリーもまた、誰かの手によって編集された作品である。それは私小説が文学たりうることと同じ話だ。快快の皆がこれからどんな人生を歩み、それが舞台上に集まることで今後はどんな姿を観ることができるのかと、今から楽しみにしている。

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