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谷中「砺波」(中華料理店)

 団子坂を下り、不忍通りを突っ切って歩いていくと、再び坂が見えてくる。三崎坂だ。坂と坂のあいだ、いちばん低くなったところに「枇杷橋跡」と看板が出ている。そこには昔、藍染川が流れていて、橋が架かっていたのだという。その角に一軒の中華料理店がある。赤い屋根に真っ白な暖簾が下がり、昔ながらの中華料理店といった佇まいに少し緊張する。僕が育った田舎に中華料理店はなかった。中華そばを出す店はあったけれど、そこはあくまで「ラーメン屋」で、中華料理店は街のものだという感じがする。

 暖簾をくぐると、四人掛けのテーブルが四つ並んでいた。テレビにはNHKが映し出されていて、壁にはポスターが貼られている。五箇山観光協会のポスターだ。

「私の出身が五箇山なもんですから、こうしてポスターを貼ってるんですよ」。店主の小坂外廣さんが教えてくれた。昭和十一年生まれの外廣さんは、今年で八十一歳を迎えた。故郷は富山県東礪波郡、平成の大合併を経た今では南砺市という名前になった。

「うちは東礪波郡平村にある、籠渡という集落にあったんです。今でも残ってる家は世界遺産になりましたけど、昔は私のうちも合掌造りでしたよ。茅葺きだと屋根を葺くのに何十人と必要になるから、ほとんどの家は茅葺きをやめて、トタン葺きになりましたけどね。周りはほとんど農家でした。お米と、あとは雑穀。粟みたいなものも育てて、それを粉に挽いて団子みたいにして食べたりね。なんていうのかな、髭をモジャモジャに生やした人間がいるようなところですよ。うちも百姓でしたけど、綺麗な服装もできないような生活をしていたわけです」

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