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自分の山を登るには、まず自分の中にある扉を開けることから。

人と関わることが、それまでの自分のパターン
(月=無意識・習慣・反応)に気づくきっかけになる。
自分のパターンを超えて、私の目的意識に気づくための
必要な自己理解に繋がる。

心がワクワクすることを自分の為にするのは、ただただ楽しい。
それがいつしか私ができることとして、
役立てていくことを志し始めたときに、
出てくるモヤモヤ・不安・恐れ・こうでなければという
縛りに気づいたなら、
それは、「ようこそ!」と私の道筋にある扉の目の前に立った瞬間だ。
私の中に、不要なのに抱えているものがまだあるよ。
でも、それに気づくタイミングだよ。
それを手放して身軽なることが、この扉の向こうに行くには必要。
ということだ。

恐れや不安を感じながら、扉の前であきらめるのも、
「えいやー!」と一歩踏み出して失敗するのも、
どちらも正解不正解はない。

扉を開けた後、自分の中にある不要な癖や思い込み、こだわりなどが
私にとっての「重し」になる体感があり、
悶々としながらも、それなら私は、どう在りたい?
そして、どう行動する?と
自問自答しながらも行動に起こしていく新しい習慣によって、
それまで抱えていたはずの荷物を、
以前より手放している自分に気づくだろう。

車輪が回り始めたら、
凹凸しながらも、前に進むことをする。
それは、常に今、何をするかの連続の中にいて、
その車輪の動きも、こぎ続けることで、少しずつ軽くなっていく。

立ち止まるときは、焦らない。
振り返ることが時折必要だし、軌道修正もありだ。
何をどう体験するか、自分の持ち味を捉えつつ、
挑戦していく自由は、皆平等に与えられている。

一歩一歩進む道筋は、平坦なようで少しずつ上へ上へと上がっていく。
そのステップの段差は、自分の足で進める高さであることが前提。
グイっと大きな段差を超える体験も必要な年齢域もあるが、
コツコツ積み重ねることで、自分の目指した山の頂上に辿り着く。

私の目指す山、あなたの目指す山。
それも様々で、同じものは一つもない。
いろんな形の山が、風景をより美しくしてくれる。
まったく同じ形の山の連なりは、見たことがないが、
おそらく、違和感があるだろう。

そういうことだから、人と比べず、
ただ、自分の今を観察して、動いていく。
それをしているうちに視界が変わっていくことが、
楽しいのだということに気づくのは、
自ら扉を開けて、山に登り始めた後のことだ。



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