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【DAY 28】居心地が悪くなる映画 「悪魔のいけにえ」

DAY 28
a film that made you feel uncomfortable.
居心地が悪くなる映画

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「悪魔のいけにえ」(1974)
トビー・フーパー監督
マリリン・バーンズ、アレン・ダンジガー、ポール・A・パーテイン、ウィリアム・ヴェイル、テリー・マクミン、ドウィン・ニール、ジム・シードウ、ガンナー・ハンセン

サリー(マリリン・バーンズ)ら5人の若者は、テキサス州で墓荒らしが多発しているとのニュースを聞いて心配し、ワゴン車に乗って帰省する。その道程で、ヒッチハイクをしていた奇妙な男(エドウィン・ニール)を乗せるが、車の中で自らの手のひらをナイフで刺したり、行動がおかしい。突然車内で写真を燃やし始め、今度は剃刀でサリーの兄、フランクリン(ポール・A・パーテイン)の腕を切りつけたため、車から放り出す。

ガソリンが少なくなり、廃墟で休憩をする一行。カーク(ウィリアム・ヴェイル)とパム(テリー・マクミン)のカップルは海岸へ遊びに行くことにした。その途中で1軒の民家を見つけ、ガソリンを分けてもらおうと訪ねるが、奇妙な皮のマスクを顔にかぶった大男(ガンナー・ハンセン)が突如現れる。カークはハンマーで殴り殺され、パムは捕らえられる。2人が戻って来ないため、今度はサリーの恋人ジェリー(アレン・ダンジガー)が探しに行くが、同じ民家に足を踏み入れて冷凍されたパムを発見したところで、同様に叩き殺されてしまう。

最後に残った2人で探しに行くが、案の定、大男に見つかる。その場でチェーンソーでバラバラにされてしまうフランクリン。サリーは必死で逃げるが、大男が執拗に追いかけて来る。なんとかたどり着いたガソリンスタンドに逃げ込む彼女。しかしその店主(ジム・シードウ)は突然棒で殴りかかってきて、彼女を拉致し、1軒の家に連れ込む。そこには車に乗り込んできた男と、4人を殺した大男がいた・・。

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今回選んだこれは、ついに誰もが認める正解を出したはずだ。「居心地が悪くなる映画」は「悪魔のいけにえ」です。
「ホラーの金字塔」の称号を持つ超名作。1974年制作だが、ちっとも古臭くない。僕はゲームをしないが、実況動画で「バイオハザード 7」を観たことがあり、明らかに本作へのオマージュだった。本作の演出が現代でも充分に通用するホラー表現であることがわかる。

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その禍々しい邦題から「エクソシスト」(1973)のような、悪魔憑きのオカルトものだと勘違いしがちだけど、原題は、「The Texas Chain Saw Massacre」(テキサスチェーンソーの虐殺)であって、物語の中に超自然的な「悪魔」は1人も出てこない。そのかわりに、個性豊かな殺人鬼の兄弟が順番に登場するわけで、「結局人が怖い」系の映画である。殺人鬼の彼らは理不尽に殺人鬼としてだけ存在し、そこには悪巧みや利欲はなく、シンプルに不浄に殺人をする。

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この映画が、観ていてなんとも居心地が悪くなるいちばんの要因は、「不快なサウンドエフェクト」、これにつきる。人間の皮を顔にかぶった大男「レザーフェイス」が、サリーを追い回すんだけど、攻撃するとき以外は電源を切ればいいのに、とにかくずうっとチェーンソーを可動させたままなんだよ、もったいないな。だからその不快な金属的なモーター音が延々と続く。日曜の昼間に隣でマンションの基礎工事をされているかのような鬱陶しさだ。

そしてそのシーンが、長い長い。レザーフェイス、女の子1人を捕まえるために、どれだけ手間取ってるんだよ。80分程度の短い映画なのに、そのうちの貴重な10分を、この追いかけっこのシーンに使ってしまうのだ。

ふつうは、こういうチェイスシーンって、観客が飽きないように、緩急をつけていろんな工夫を凝らすものだと思うんだけど。たとえば、屋上から屋上へジャンプして渡ったり、通りかかったバイクを奪ったり、果物屋の露天に突っ込んだりする。でも、レザーフェイスはずうっと原っぱを追いかけまわすだけ、サリーもずうっと逃げるだけなのだ。一度だけ、サリーの特技である、「格子状の窓なのにバリーン」で抜け出すことはできたけれど。(ちなみにこの特技、ラストにもう一回披露するので必見。)

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その後サリーは、彼らの家に連れて行かれて、「じい様」からの「指ちゅうちゅう」「介護的ハンマー振り降ろし」などの独創的な攻撃を受けることになる。とにかく忌まわしいのに、とにかく笑えてしまう。でも、ここではチェーンソーのモーター音はないけれど、代わりに今度はサリーがずうっと悲鳴を上げ続ける。これも、とにかく長くて。「悲鳴」というサウンドエフェクトも、一定の長さを超えると、そこに「恐怖」じゃなくて「狂気」を感じてしまって、体が生理的に受け付けないのであろう。

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そして、もう一個なるほどな、と思ったのが、車椅子のフランクリンの存在。この人、ちょっと神経質なキャラクターであり、他の明るく若々しい4人の中では少々異質だ。レザーフェイスに出会う前の廃墟のシーン、彼だけが階段を上がれない。2階では男女がきゃっきゃする楽しそうな声がうっすら聞こえ、そこに混ざれないことによる鬱屈したフラストレーションを感じる。何にも化け物は出てこないけど、いやーな気分になる。

ホラーとは、観ている人にストレスを与えて、怖がらせたり居心地を悪くさせることが目的だ。もちろん、映画内の幽霊やモンスターや自然災害なんかを、スクリーンの壁を超えて客席へ襲わせることはできないから、代わりに映画内のキャラクターがストレスを与えられ、僕たちはそれを自分ごととして感じるようになっている。

社会的な動物である人間は、「コミュニケーションができない」ものが恐ろしいわけで、異種のモンスターや話の通じないサイコキラーにストレスを感じるであろう。なので、「エイリアン」(1979)や「羊たちの沈黙」(1991)のような、ストレッサーがわかりやすい映画が作られる。
でも、どこにその理由を求めればいいのかわからないストレスって、現実世界にもあると思うのだ。そうなってしまうと、ロジカルに原因を取り除くことが難しい。そういう怖さの要素もきちんと入っていたのが、改めてさすがだな、と思わされた。

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