20240304 曇り、花粉多い

あっという間に3月になり、ひな祭りも過ぎる。

きのうは山の仕事に出かける。
父が死んでから山に行って何かする気が起きなかった。
きのうも嫌な気持ちというか、気の進まない感じばかりだったが、いい加減にブルーベリーも剪定しなくてはいけないし(昨夏、絶対に木を小さくすると誓った)、燃やさなければならない枝が焚き火場に積んであるのは知っていたし、文字通り重い腰を上げて行く。

結果、出かけてみたら、外の仕事は多少気分転換にはなった。
ブルーベリーはあと二日ほどやれば終わるだろう。
枝や枯れ草を燃やして、サツマイモを焼いた。
焚き火で焼いたサツマイモをクリームチーズと和えるポテトサラダはおいしい。
燻した香りが移っているのがとてもよい。

母に、エンドウ用の網を買ってきてくれと言われる。幅は7メートルだそうだ。
こう言われるということは、できるだけ早く買ってきて張ってほしいということだ。待ちわびているということだ。
ただ、野菜のネットを張るのはひと仕事なのだよ。

夜は、山で採ってきたフキノトウを天ぷらにした。
魚のタラも揚げたが、衣がはがれるは、鍋の底に身がくっつくは、散々だった。私は揚げ物料理が苦手だ。

きょうは、雛人形をしまって、頼まれていた椅子カバーの試作をする。
試作と言っても、ほぼこれで行けるという見込みをもって作ったのだ。
しかしうちにあるほぼ同じ形の椅子にはめようとしたら、かなり小さくてはめられなかった。
試作をした意味があったと思えばいいのだが、ほぼこれで行けると思っていただけに精神的なダメージは大きかった。

ふてくされて、伊藤比呂美「森林通信」を読み終える(夫が借りてきたもの
)。
伊藤比呂美の文学愛、鴎外愛を感じた。
この人のまっすぐだけど、ちょっと社会性のない感じ、ギリギリな感じが好きだ。私はこうはなれないなと思いながら、いいなと思う。

この後は大江健三郎に戻る。
きのうは命日だった。○○忌というような呼び名はつくのだろうか。
お別れの会のニュースで、筒井康隆が遺影を見上げてにっこりというのか、にやっとというのか、笑ったのが写り、私はそのシーンを思い出すたびに涙ぐんでしまう。
大江健三郎と筒井康隆がそのように親しかったというのが、とても心和む。

その筒井康隆は先日、芸術院賞をもらった。
亡くなるまで月に25万円だかの年金みたいなのがもらえるらしい。
今89歳だ。長生きしてほしい。しそう。