『ユナイテッド’93』 午後ローを予習する。

 本日の午後ローは『ユナイテッド’93』。ポール・グリーングラス監督の実話を元に作られた映画。二〇〇六年の作品。未見。
 アメリカ国民にトラウマを残した9.11事件。ハイジャックされた四機のうち、唯一テロの目標に到達せずに墜落したユナイテッド航空93便の話。
 あくまで未見なので想像だけで物を書くことを許してほしい。もしも仮にこの映画が、犯人らに立ち向かいテロを阻止した乗客らの自己犠牲を感動的に描いているのだったら、かなり慎重に観る必要がある。もちろん愛国心も、自己犠牲も否定はしない。素晴らしいものだと思う。だがこういった感情が、場合によって危険なことは犯人側の視点に立てばわかりやすいはずだ。彼らも愛国心と自己犠牲の精神を持ち、自ら生み出したもしくは他者に与えられた美しい物語に陶酔し、そして宗教的な使命感に熱狂し、テロを実行した。
 もちろん、本作がテロに対する報復や受けた精神的被害に対する均衡を取り戻すためだけの映画だったら、である。実際に観てみないとわからないが、そこまで露骨なことはしないと信じている。
 
 この映画はとにかくリアリティを追求しているらしい。出演俳優は有名ではない。役柄にあった経歴の持ち主を採用している。遺族に了承を得て、出演者らは自分が演じる役の遺族と面会までしている。
 そしてリアリティを追求しているということは、それがフェイクだからである。映画はフェイクである。作り物である。模造品である。だからこそ現実を追い求め近づこうとする。嘘に真実を混ぜる。その比率がいくら変わろうとも、贋作には変わりない。こういう映画を観る時には、僕は必ずそう自分に言い聞かせる。この映画に感情移入してはならないと。
 この映画はリアリティを追求しているが、現実ではない。現実は、たくさんの人間が殺されたということ。それをどんな物語として受け止めるかは、人によって変わる。テロを行った犯人の視点から見るのと、被害者の視点から見るのとではまるで違う。その日、テレビのニュース映像で巨大なビルに飛行機が衝突するのを、ただぼんやりと眺めていただけの僕の視点とも違う。それぞれの人の中に物語があり、この映画はそのひとつを取り上げたに過ぎない。
 そう思って、やり過ごすことにする。

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