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ミステリーと真実論争

某名探偵少年は「真実はいつも1つ!」と叫び

某おしゃべりもじゃもじゃ大学生は
「真実は1つではありません」と語る

真実とは結局なんなのだろうか

ここで、ケイゾク
の真山と柴田のやりとりを見てみよう

真実は存在しないと言う真山
真実なんて、その記憶の持ち主を消してしまえば消えてしまうと語る

一方、柴田は真実は1つだと反対する
1つであってほしいという願望なのかもしれない
柴田が真っ直ぐな刑事であるからこその意見だろう

“それが刑事だ”
と、父親の最期の言葉を繰り返す柴田

どちらが正しいのかはわからないが、ケイゾクの放送された1999年には、既に真実論争が起こっていたということだ


次に、ミステリと言う勿れ
久能整と青砥さんの会話

真実は1つだと言う青砥さんに久能は
「そんなドラマでしか言わないせりふをホント言う人がいるなんて……」
とつっかかる

見事青砥さんを論破した久能
でも事実は1つだけだと締め括った


ここまでの各人物の発言をまとめると

真山→真実なんて存在しない

柴田・青砥さん→真実は1つ

久能→真実は人の数だけある

と、いうことになる

なんとなく、発言にその人柄が出てると思うのは僕だけだろうか

真山は、過去に真実をもみ消されたこともあって、かなり悲観的。真実なんてあっけない。事実を知る人が消されたら真実は消える。過酷な世界に生きていることがわかる。綺麗事は言わないかなり現実的な性格だ。

一方、柴田と青砥さんは刑事として、真っ直ぐに真実を追い求めるタイプだ。真っ直ぐ求めたい真実が2つも3つもあったら確かに困る。真実がないなんて尚更だ。まっすぐで正直。わりと綺麗事を言うタイプ。

そして久能整。真山と意見は似ているが、真実はないわけではなく、人の数だけ。久能の優しい性格が出ている。意見は食い違って当たり前という広い心で構えているのがわかる。そして客観的だ。

真実の定義は、その人の中身を映し出すものなのかもしれない。その人の過去、価値観によって異なるものなのだろう。

どれも間違ってはいないと思えるのが不思議だ。
暇なときは友人と真実の定義について語ってみるのも良いかもしれない。

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