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そしてろくでもないおれが そばにいないおまえは

ここのところDANROの反省会をしていなかったら、Sくんに、やっぱり感想戦は大事だと言われ(本文より事後のnoteの方が面白いという意味だろう)、遅まきながら書いておく。

同じ大学の国文科に入って中退したOくんという人がいた。入るときに附属高校を留年してるという噂を聞いたが、ほんとかどうかは確認していない。

初めて会ったきっかけは、よく覚えていないけど、Nさんという人がやってるバンドのホーン・セクションの編曲をしてくれという話だったような気がする。それで、会いに行ったら、実は自分の友人に変わったバイオリン弾きがいるんだけど、一緒にバンドをやりたいので、ストリングスの編曲をしてくれという話になり、なぜかその流れで、奇妙な編成の新しいバンドでチェロを弾いてくれということになった。

いや、その前に、Sくん(前出のとは別人)と一緒に来て、とつぜん「モンティ・パイソンって知ってますか?」と言われたような気もする。知ってると答えたら、こんどは「マルクス・ブラザーズは?」というので、ダックスープ?(邦題「我輩はカモである」)と答えると、彼ら2人が手を取り合って喜んだのが先かもしれない。その後、彼らとは在学中に映画を2本撮った。

Oくんの入学が遅れた理由について、噂では「女と同棲していたが逃げられた」ということだった。もしかすると、それは理由ではなく、留年していた間にそういうことがあっただけなのかもしれない。彼女とは一緒にラーメン屋をやることになっていた、と聞いた気がする。

Oくんは髪型もルックスもジミー・ペイジに似ていて、酔っ払うと喧嘩っ早かったが、彼の歌はアコースティックギターを弾き語りするもので、こぢんまりした美しさがあった。富士正晴や武田泰淳の小説が好きという、珍しい趣味もあった。

ときどき新宿ロフトや代々木チョコレート・シティに出演し、ファンには行きつけの居酒屋の様子を歌った「いらっしゃい」という陽気な歌が人気だった。でも僕は、曲名は忘れたが、もっと静かな歌の方が好きだった。もう30年も前のことだが、記憶を掘り起こすと、確かこんな歌詞が入っていた。

「時が経つほどきれいになっていく」
「どうやら俺とおまえだけにしか分からない」

ある日、Oくんと居酒屋に行ったときに、その歌が好きだと伝え、「でも“どうやら俺とおまえだけにしか分からない”って、単なる思い込みだよね」と言ったところ、Oくんはそのとおりだと答えた。

「XXくんさ、そうなんだよ。あの歌は、不在について歌ってるんだよ」

もしかするとOくんは、その同棲していた女性の思い出について歌っていたのかもしれない。彼は「どうやら俺とおまえだけにしか分からない」と信じていた女に逃げられてしまった。

そう考えると、Oくんが酔って千鳥足になりながらそんな歌を作った様子を想像して、そのときはだいぶ感傷的になってしまった。

Oくんの歌でもうひとつ覚えているのは、クリスマスの歌だ。クリスマスといえば、クリスマスという言葉を使わずに歌った、キリンジの「千年紀末に降る雪は」が思い浮かぶ。

「戸惑いに泣く子供らと 嘲笑う大人と
恋人はサンタクロース
意外と背は低い 悲しげな善意の使者よ」

この歌が収められたアルバム「3」が発売されたのが、2000年の11月だ。それよりずいぶん前の、1988年くらいにOくんが作ったクリスマスの歌は、確かこんな歌詞だったと思う。

こどもたちの間じゃ
赤い服を着た
爺さんの話でもちきり
なんでもいい子にしていると
まくらもとにそっと
プレゼントをおいてくれる
って話だ

街はマネキンみたいな恋人たちと
五体満足な家族づれのものになり
あしたから当分きくことのない
雪やらトナカイのうたが
そこらじゅうにながれてる

ホテルとタクシーの後部座席は
まるでサファリパーク
娼婦と客はむだな口をきくことも
ないだろう

そしてろくでもないおれが
そばにいないおまえは
どこかでだれかと
ほほえんでるだろう

続きは思い出せないけど、確か最後に「お前の口から聞きたい、メリー・クリスマス」というリフレインが入っていたと思う。

ああ、Oくんのこの歌も、不在について歌っていたんだなあ。そんなことを、きょう六本木のけやき坂のイルミネーションを見ながら思い出した。どこかに練習を録音したカセットテープが眠っているかもしれない。

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