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家族こと 両親への気持ち

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家族についてや、親への気持ちなどをまとめています。
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不登校の頃、最悪だった父との関係も・・・

不登校だった頃 父が苦手だった。 学校に行かないことをよく思わず よく「将来どうするんだ」って 言われていた。 出来るだけ父と 顔を合わさずに過ごしていた。 父の言動は許せなかった。 腹が立って、ドアを思いっきり閉めて 喧嘩になった。 フリースクールに入り 家族のいない僕の世界ができて、 少し心に余裕ができたら、 そんな父の言葉も聞き流せるようになった。 そして、僕が大人になり 働き始めて、父も僕を認めるようになり 少し距離が縮まった。 それから、父が定年退職し

母は子育て大成功だ〜不登校だった僕のはなし〜

僕の母は子育て成功だと思っている。 不登校で死ぬほど苦しんだけど 今生きている。 もう楽しいことなんてないと思ったけど 今は明日が楽しみだ。 子ども達と一緒にいられるだけで幸せだ。 不登校なんて人生の敗北者だと思ったけど 今では不登校の道を選んでよかったと思っている。 どんなに悩み苦しんでも 大丈夫、母や祖父や家族がなんとかしてくれる そう感じている。 祖父はなくなったけど 死んでも僕を守ってくれている。 そう思えるように育ててくれた。 苦しい時期にもう嫌だって

不登校のはなし〜ぼくのおばぁちゃん〜僕のはなし55

祖父が亡くなり フリースクールに通い始めた頃 祖母は 叔母夫婦と 一緒に住み始めた。 前回 書いたおじさんがいる。 おじさんは障がいを持った人が TVに出てきたときに 「世の中の役に立たないのだから 早くいなくなればいい」と平気に言う人だ。 冗談か本気かわからないけど そう言うおじさんが苦手だった。 祖母も一緒に住むようになって 結構ひどい言葉を言われていたようだった。 祖母から毎日「元気かい?」と 電話がかかってきた。 とても心細かったのだと思う。 僕がフ

不登校のはなし〜親戚のおじさんにだけ不登校のことを伝えていなかった〜僕のはなし54

僕は人といると疲れる。 ついつい人に合わせてしまう。 怒られのが怖い 嫌われるのが怖いからだ。 不登校だった頃は 特に大人が怖かった。 相手を見て不登校にどんなイメージを 持っているんだろうと考えながら 怒らせないように話を合わせた。 勉強をしなくちゃダメだと 思っている人には、 勉強をしてなかったけど 勉強している風に話していた。 親戚のおじさんは 不登校に対するイメージが すごく悪かった。 そしてよく怒る人だった。 だから親戚のおじさんにだけ 僕が不登

不登校のはなし〜僕のはなし38〜お母さんありがとう

僕はいま 幸せだ。 不登校の時代 一番つらいときに 僕は僕を生んでくれた母に 「死にたい、早く楽にして欲しい」 と何度言っただろう。 いま思えばなんて酷いことを 言ってしまったんだろうと思う。 でも、あの時は言うしかなかった。 母を傷つける為ではなく、 自分の思いが溢れてどうしようもなかった。 生きていることが辛かった。 それを一人で受け止めていた母は 辛くて苦しかっただろう。 ごめんなさい・・・ ありがとう。 母がいたから生きていけました。 母がいたか

不登校のはなしのその後〜僕のはなし20〜言葉は人をつくる

僕が不登校で苦しんでいた時 祖父の存在は大きかった。 息子にとってそんな存在になりたい。 だけど無理だ。 父親だから。 距離が近ければ 近いほど 理性より感情が強くなる。 しょうもないことで怒ってしまう。 怒りは身近な 自分より弱いと 思う人に流れていく。 どうやら、息子は僕に 僕は息子に流れているようだ。 息子が眠くてイライラしてくると 僕に向かって 「米粒は一合で何粒か行ってみろ!」 と訳のわからない因縁をふっかけてくる。 話は逸れてしまいましたが、 祖父

不登校のはなしのその後〜僕のはなし12〜父との関係

父は定年退職をし、放送大学で勉強したり、 山に歩きに行ったりして自分の時間を 楽しんでいた。 不登校時代、父は僕の気持ちを理解して くれずとても苦手だった。 父も退職をして丸くなり 僕との関係も良くなった。 母の言うことや、周りの言うことにを 全然聞かない父が僕の言うことは 何故だか素直に受け入れることが多くなった。 別にお互いに気を使ってる訳ではない 不思議だった。 父は、ぱそこんやインターネットの 使い方を僕に聞いたり、自分史なんかを 作っては見せたりしてきた。