無有、そして日陰者

創作。

 「助かりました。誠にありがとうございます」
「いいってことよ。人助けってのは気分がいいぜ」
爽やかに晴れ渡った空の下。都会にしては緑のある公園。噴水の縁に腰掛けた若い男は、感情の籠ってるとは言い難い声色で嘯いた。彼に命を救われた以上、この調子であったとて感謝してもしきれないというもの。しかし。
「ああ、そのー、そのことなんですが、よろしいでしょうか」
相手は何も言わないが、肯定と受け取り疑問を呈する。
「死なれていませんでしたか?」
「死んだね」
またあっさりと答えられてしまう。
「……左様で。ですが、よろしいのでしょうか。私のために、大事なお命を」
「そんな堅く考えなさんな。せっかく拾った命なのに寿命縮むぜ?」
こちらと彼とでは随分、命の価値観に相違があるようだ。それはそうだろう。この価値観がカチリと合う人間はいない。
「率直に申し上げますと、私には『残機』がございます」
所在なさげにそっぽを向き、跳ねた髪を弄っていた彼はその時初めてゆっくりとこちらを見た。
「何て?」
「残機。スペアと言い換えることが可能です。幾らか失っておりますので、現在85。当初は100ありました」
「何だ、そんなことなら助け損、死に損ってやつか?」
「いいえ、決して。私の大事な残機が失われることはありませんでした。私はこのような不慮の事故のために死ぬつもりは毛頭ありません」
彼は腕を組み、何かを思案し始めたようだった。再び彼が口を開くのを待つ。長考ののち、彼はのんびりと喋り出した。
「俺は残機制じゃない。純正の不死だよ、生まれついたときからね。でもあんたのはそうじゃあない。誰の仕業だ?何となく予想はつくけど」
とんでもないことを事も無げに言い出す。信じがたいが、私はこれを信じよう。自分は不老不死を誰よりも信じている。それよりも、今は質問に答えなければ。
「個人なのか組織なのか……いえ、あの感じは個人でしょうね」
当時を思い出しながら訥々と語る。あの時のことは忘れはしないだろう。
「PVC?というのでしょうか。透明な白衣を羽織った、見た目は軽薄そうな男でした。その男は不老不死の実現だのと謳っておりましたが、実際そんなことは不可能」
彼は組んだ脚に頬杖をつき、真剣な目をして黙り込んでいた。
「その男が実現出来たのは制限付きの不死。即ち残機です。私はそれでも是非と必死に頼みました。……あまり彼は乗り気では無いようでしたがね」
「乗り気じゃないって?」
「ええ。この男を尋ねたのも、不老不死の噂を聞き付けたのも、残機の提供を申し込んだのも全て私です。男はそれらを隠匿していたらしく、もうそのような依頼は受けるつもりはなかったと」
目の前の彼は話が違う、だのと呟きながら再び考え込む姿勢に入った。話を続ける。
「しつこく食い下がり続けた末に渋々了承を得ました。その際非常に丁寧にこの施術の利点、欠点等説明いただき、慎重な施術を。人は見た目に依らず、まさにその通りで」
「そうか、アイツのほうはもしかしたら……うん、なるほどね。よくわかった」
言うと彼は立ち上がり、どこかへと歩き出そうとした。
「どちらへ?」
「ソイツのとこへ」
「場所、お分かりなのですか?」
「…………」
「ご同行させていただきましょうか」




 あまりいい顔はされなかったが、彼はきっと自力であの男のもとへ辿り着けない気がする。どれほどの長い年月をかけても。
「あんたこそわかるの?アイツの居場所」
「拠点を変えているはずですが、それでも、なんとなく」
相変わらず、興味のある話題でなくなるとこちらを一切見ようとしない。一先ずタクシーをつかまえ、乗り込んだがその間も口を利くことはなかった。無言を破ったのはやはりこちらのほうだ。タクシーを降り、3分ほど歩いた頃だった。
「不死と。確かにそう耳にしましたが」
「そう言ったからね」
ぶっきらぼうに一言だけ吐き捨てる。こちらも最早意に介さず。
「不老不死、ではないのですね。であれば、死なずとも老いはする」
「……」
「それには、憧れもありますがやはり空恐ろしい。死ぬことなく、ただただ老いていく。老いる、老いる、老いに老いる。その果てに生き続くとは一体、どのようなことなのでしょうか」
「そこなんだよ」
言い方こそ調子が軽かったが、声色には心からの同意、諦観、恐怖。そんなニュアンスが多分に含まれていた。 
「だから、俺はそいつらに……ソイツに会おうって魂胆なわけ」
「なるほど。彼の領分は残機ですが、何かしら掴めるかもしれませんね」
そいつ「ら」と口走ったことが引っ掛かったが、それを言及することはなかった。目の前でそれどころではない事態が見えたからだ。人が蹲っている。
「ちょっとちょっとちょっと。大丈夫かよあんた!」
「もしもし。救急車は要り用ですか?」
二人でその少年に声をかける。制服を着ている。高校生だろうか。少年は薄く目を……真っ赤な目を開け、微かに呟いた。
「日陰、日陰に連れていってもらえますか」
それは尤もだ。少年に肩を貸し、日陰へ移動する。そして休ませたところすぐに回復した。およそ5分程度で。
「あのまま死ぬんじゃないかと思った。ありがとうございました」
少年はけろっとした様子で軽く頭を下げた。
「随分元気そうだけどな」
「さっきまでは瀕死だったんだよ」
少年は、彼に対してはタメ口で気安そうであった。歳も近そうだし、そういうものか。
「回復したのなら何よりですが、何か必要なものなどあれば用意しますよ。近くにコンビニなどありますし」
こちらの申し出に、少年はそれなら、と日傘を所望した。
「日傘て。最近そういう男いるけど日傘て」
「文句あるかよ。直射日光に当たると体調悪くなるんだよ」
「そこは消滅するとかにしろや、吸血鬼の坊や」
突如としてあまりに自然に会話へ混ざり込む異質な単語。一瞬空気が停止したように思えた。直後、少年の表情がみるみる強張っていった。白い顔がより蒼白く見える。
「ビンゴ?出鱈目だったんだけど」
「私にはとても出鱈目とは思えませんでしたが」
「何でもいいよ。そうッスよ、俺はそういうやつです」
少年は観念し、認めたらしかった。その、吸血鬼であるということを。
「はあ。ではその蒼白い肌は」
「そのあからさまな目もか?」
「申し訳ございません。目はカラコンなのです」
鈴の音のような澄んだ、しかし魔性を感じる声が背後から聞こえた。振り返れば、少年と同じ顔をした少女が立っている。彼女も制服を着て、日傘を差していた。



 「弟がお世話になったと見えます。わたくしからもお礼を。ありがとうございました」
「すげえ。そっくり。双子?お姉ちゃんも吸血鬼?」
少年と少女を交互に見、無邪気にはしゃぐ彼。こういった面は、年相応である。
「はい。わたくしもそうですわ。ですが……訂正を。わたくしたちはあなたがたの思うような『吸血鬼』ではございませんから」
言って、少女は少し目を伏せる。はて、どういうことだろう?
「吸血鬼と聞いて、どのようなイメージをなさいますか?あなた」
少女はこちらへ話を振ってきた。吸血鬼。吸血鬼といえば……。
「先程、彼も言いましたが日光を浴びると消滅する、十字架や銀の弾丸、ニンニクなどに弱い、とかでしょうかね」
「うわー、ベタ。ベタすぎて今のご時世そんな奴いない気がする。じゃあ、あれだ。首から血を啜るとかももうナンセンスだったり?」
少女が答える間もなく、彼によりばっさり否定されてしまった。イメージなんだからベタでもいいじゃないか。
「そちらの方の仰る通りです。個体差はありますが、わたくしたち吸血鬼は日光に強くなりつつあります。……わたくしたちは弱いほうですが。特に強い者などは、好きこのんで日サロに通ったりも」
あまり知りたくなかった。黒光りする吸血鬼か……。
「十字架もニンニクも、脅威ではございません。銀の弾丸や白木の杭、は……どなたさまも、撃たれたり杭を打ち込まれれば死んでしまいますよね?」
その通りとしか。死んでも死なない男が隣にいるが。
「それから、首から血を……ですが、あんな時代錯誤にして非効率的な補食行為を行う者など、旧い吸血鬼や物好きな金持ちだけですわ。ね」
少女は少年へ目配せする。
「その方法は補食、というよりはただの娯楽。時間をかけて血を啜り、日に日に衰弱し死に至る人間を楽しむとかいうふざけた遊びだ」
あまり知りたくなかった。二度目のあまり知りたくなかった事実であった。関係ないが少年は少女に振られるまで会話に入ってこないらしい。律儀なのか尻に敷かれているのか。
「じゃあ、どうしてんの?新しい吸血鬼の、効率的な補食とやらは」
彼の質問で、少女は言いにくそうに黙ってしまった。少年も、悲痛な面持ちで口を固く閉ざしている。
「どう見てもいたいけな少年少女を悪ガキがいじめている絵面ですが」
たまらず口を挟んだ。言いたくないことを無理に言わせることもないだろう。それに、初対面だし。
「お気遣い、感謝いたします。しかし、異種族といえど、非道は非道。隠さずお教えしましょう」
姉に促され、弟が重い口を開いた。
「食ってる。吸血鬼ってより、食人鬼のほうがらしいかもな」
……あまり知りたくなかった。
「衝動のままに、何人も何人も食らう者もいます。何年も人を食わぬどころか1滴の血も口にせず、しかし健やかに生きる者もいますわ。これも、個体差です」
「あんたらは?」
またしても空気を読むことのない彼からの歯に衣着せぬブッコみである。
「年に4人。100年前は、その倍でした」
彼女の告白ののち、彼は暢気に言ってのけた。
「そういう種だってなら、そういうもんだって開き直りゃいいのに。相当人間好きなんだな、あんたら。生きづらそ」
「……否定はしませんわ。わたくしたち、魔界よりもこちらのほうが居心地がよろしくて」
「何より、人間のが面白い」
二人は笑った。同じ、だけど違う穏やかな笑みがふたつ咲く。
「生きづらいほうを選んだか。そういうところだけはあんたにも通じるとこがあるんじゃないの」
彼は意味深にこちらを見やった。誰でしょうね、そんな生きづらそうな人ってのは。私は生きづらいなどと思ったことはないので、違う人のことでしょう。
「あなたがたも普通の人間ではなさそうですね?あなた……はともかく、そちらの。あなたは普通の人間になりたいですか?」
少女の問い。答えないだろうと思っていたが、彼は答えた。
「別に。ただ……気が済んだら死にたい、そう思う」
気が済んだら。それがいつのことかはわからないけれど。
「それ、叶うとよろしいですわね」
「あんたらも、人間になれたらいいね……って、ん?」
彼は何か思い付いたようだ。恐らく、私と同じことを。なので、提案してみよう。
「よろしければ、お二人もご一緒しませんか?私たち、少し特殊な用事の途中なのです」
「もしかしたらだけど、望みに近づける……かもよ」
その申し出に、双子は顔を見合わせる。一言二言なにやら言葉を交わしたあと、彼女たちは───
「よし引き続き案内頼んだ」
返事の言葉を待つことなく、彼は二人の手を引き歩き出した。彼女たちがどのような答えを出すかなどお見通しとでも言うように。
「えっと……その、ご同行しますわね。よろしくですわ」
「コイツ、強引すぎない?初対面だけど?あんたもそう?……大変だね」
吸血鬼姉弟を新たに迎え、目的地へとゆく。彼に安息のときは来るのか。双子は人間に成れるのか。その行く末を見守りたい、私はそう願う。私が残機を欲したのは、こういった者たちを、その夢を、「死んでも」守りたかったからだ。その道程で、幾つスペアを失おうとも。幾度の死を味わおうとも。きっとその夢は、命を懸けるに足るだろう。



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