ピザ屋敷

 3人の男女が山を散策している。さして特筆すべき状況ではない。和やかに会話などしながら山を登っていた。彼らは朝方に出発し、昼頃には平原にいたが今は木々が鬱蒼と生い茂り、人気もない場所を歩いていた。そこへ突然の雨。よくあることだ。
「あちゃー、やっぱり降ったかぁ」
ツインテールの女、マキは暢気にぼやいた。無論3人はレインコートは持っていたが、徐々にそれで凌げる雨量ではなくなっていった。しかし。
「見てアレ。なんか建物あるけど」
小太りの男、モトは前方を指差した。雨宿りには最適というもの。よくあることだ。
「ダメでしょう。いやに立派じゃないの、あの家屋。お屋敷って風情じゃない」
冷静なユウはそれを制した。だが2人は聞いていない。屋敷の前まで小走りで向かっていってしまった。2人は屋敷をしげしげと見る。古めかしく、そして人の住んでいる気配がない。気味が悪い。
「ねえここ誰もいないんだけど。空き家?勝手に入っちゃっていいわけ?」
「やめときましょうって」
「でもこの雨だよ?夕方になるし、迂闊に歩くの危ないと思うんだよね、ぼく」
モトの言う通りである。ユウは渋々といった様子で重そうな扉を叩いた。
「すみませーん、どなたかいらっしゃいますか?」
幾らか繰り返せど返事などはなく。
「もういいよ、入っちゃえ入っちゃえ!空き家空き家!」
「待ってよ、鍵が空いてるかもわからない……」
ユウの声はトーンダウンしていった。それで鍵がかかっていないことを二人は確信した。彼女は恐る恐る扉を開き、2人と共に屋敷の中へと足を踏み入れた。雨宿りのため気味の悪い建物に入る。これもまたよくあることだ。それからそんなとき、大方よからぬ事態の始まりだというのもよくある、よくあること。早速、屋敷に入った彼らをありがちな悲劇が襲う。
がちゃり。
「……嘘でしょう」
ユウは振り返り、ドアノブを何度も回した。開かない。
「やだ待って嘘嘘嘘、ユウ冗談でしょ?」
マキは先程までの調子はどこへやら、上擦った声を上げ慌てふためいた。
「落ち着こう?ほら、窓あるじゃん」
モトは辺りを見回し、30cmほどの銅像を見つけた。それを手に振りかぶり、窓ガラスへ振り下ろした。しかし、なにも起こらない。どれほど待てど、ガラスの割れる音は聞こえない。代わりに、何かに弾かれたようにもんどり打って尻餅をつくモトの姿があった。
「なに遊んでんのこんなときに」
マキの冷ややかなコメントにモトはあり得ないといった表情で返した。
「おかしい!これガラス!?鉄みたいに硬い」
それを聞き、マキもユウも同じことを繰り返してみたが結果は同じ。彼の言った通りだった。
「閉じ込められたか……携帯は……そうよね圏外よね」
ユウは諦めたように呟いた。
「出口とか探してみよ?抜け穴とか鍵とか、どっかにあるかも……」
マキはユウの服の裾を引っ張り、ポジティブな提案をした。そんなものがあるとは到底思えないが、他の部屋を見て回るのは賛成だった。3人はまず1階から見ていくことにした。ここが玄関。広いが、いくつかの置物や埃被った枯れかけた観葉植物があるくらいだ。次に居間。ここにあるものは、大きなテーブル。立派な暖炉。減った蝋が刺さったままの燭台。立ち並ぶ椅子のいくつかは倒れている。それくらい。次はキッチンだ。ここは少し異様だった。
「え?冷蔵庫に食材入ってんだけど」
モトはいの一番に冷蔵庫を開けるとそんなことを言った。2人も冷蔵庫を覗き込む。入っていたのはトマト、チーズ、小麦粉……といった具合だ。
「しかも消費期限切れてない!これで生きれるじゃ~ん」
「期限が切れていない……?なにそれ。この屋敷に立ち入る人がいるの……?変な屋敷」
2人をよそに、ユウは却って暗い気分になった。1階は他にトイレや浴室があったが、めぼしいものはなかった。2階にあったのは、なにもない部屋、机とベッドだけがぽつねんと置かれた部屋、書斎、子ども部屋らしき部屋くらいだった。夢も希望も出口も鍵もなかった。
3人が肩を落とし1階へ戻ると、ドアを叩く音が彼らを待っていた。快活な声も聞こえる。夢と希望はここにあったらしい。
「はい!!どうぞ!」
ユウは返事をした。すると扉が開かれた。そこにいたのは……
「こんばんは!ピザ・キャップです!」
3人は呆気に取られた。ピザの配達人。なぜピザの配達人。
「いや、え?誰?モト?いつの間にピザ取ったのよ」
ユウとマキは彼を見た。モトはばたばた両手を振り、否定する。
「取ってねえし!?取れるなら取ったけどここ圏外じゃん!」
そうだ。ここは圏外である。であれば……?
「じゃあお兄さん間違えたんじゃないの?こんなとこまで間違えに来るかなぁ」
マキはピザ配達の青年に尋ねたが、彼は頑として言うのだ。
「いやいや!ここですよ、住所間違いなくここ!」
どうだかなぁ、言いながらマキは青年をつつく。一方ユウは青い顔になっていく。
「このお屋敷。私たち以外に人なんていないし固定電話もなかったわ」
4人全員の顔が青ざめたとき、ピザ青年は背後の扉の閉じられる音を聞いた。それから、ひとりでに鍵の閉まる音も。
「あああああ!?しまった!?ふたつの意味でしまった」
ピザ青年は大声を出し慌てた。
「っていうかさっきここから逃げるチャンスだったんじゃない!?最悪!!」
事態は良くなるどころか悪化してしまったのだった。

 「どうする?またピザ屋呼んで逃げる?」
マキはシーフードピザを頬張りつつ提案する。その提案はすぐに3人により却下された。
「かわいそうなピザ屋を犠牲にするのはちょっと」
ハフハフとマルガリータを食らうピザ屋青年。
「そもそもここからは電話なんて出来ないのよ」
照り焼きチキンピザを食べながらユウ。
「しかもなんでピザ屋にこだわるの……」
クアトロチーズピザを丸々一枚満足げに食らいつつモト。
4人はピザを黙々と食べつつ考え込んだ。ユウが疑問を口にする。
「何故あなたはここへ配達するようなことになったのかしら」
ピザ屋青年は口いっぱいにピザを詰め込み、首を傾げた。それから急いでそれを呑み込むと言った。
「なんでですかね。電話もなければ圏外なのに。怖いスね。ちょっと前にもこんなことあったらしいですよ、ピザ屋が配達に出たまま帰ってこないって。僕の働いてるとこじゃないんスけど」
ピザ屋青年はなにやら興味深いことを口走った。
「ピザ屋が?これはキーアイテムはピザかもな」
そのキーアイテムを旨そうに食べているのは他ならぬモトらなのだが。
「ここ出口とか鍵とかありました?」
ピザ屋青年が3人に問う。ピザを食べ終えたマキが答えた。
「何もなかったよ。でもキッチンに新しい食材がいくつかあったり……あとユウは書斎に気になるものがあったって」
ピザ屋は再び首を傾げた。このような埃被った屋敷に新しい食材があるのはどうもおかしい。人が頻繁に立ち入る気配は見られないのに。
「じゃあその、キッチンと書斎をもう一度確認しに行きませんか?僕も気になるので」

 4人はまずキッチンへ来た。調理台は薄汚れ、やはり生活の痕跡など見られない。
ピザ屋は冷蔵庫を開く。そして呟く。
「これ……」
「どうかした?」
マキは、手に取った小麦粉とトマトを交互に見るピザ屋に声をかけた。彼は3人へ向き直り言った。
「ピザ作れますね」
「ここでもピザぁ!?本当にキーアイテムの可能性高いぞこれ」
「確かにね……」
ユウは冷静に小さく言う。確か広間には暖炉があった。あれも使えばピザが焼ける……。しかし、ピザ屋行方不明事件といい、今回のピザ屋といい、何故ピザなのだろう。
「そろそろ書斎へ向かいましょう。何かがわかりそうなの」
ユウは3人を促した。彼らは2階へ移動し、書斎へ立ち入った。彼女の興味を引いたものは立ち並ぶ本棚のどこか……ではなく、部屋奥にある机の上に置かれていた。それは本ではなくノートだ。表紙にも裏表紙にもでかでかと「これを外へ持ち出せ」「とにかく多くの人の目に触れるようにしろ」といった趣旨の文言が書き連ねてあった。普通じゃない。ユウはゆっくりと唾を飲み、それを開いた。しばらく無言でページを捲る彼女を、3人は落ち着かぬ様子で見守った。
「丸い焼き物」
ユウは唐突に口を開いた。
「な、なんですと?」
「だから、丸い焼き物なのよ。本当なら……まあ簡単に言うと今じゃ手に入らない穀物を高価な酒などで練って焼いたもののことらしいわ」
3人はよくわかっていない。ユウは付け加える。
「これは小麦粉を練ったもので代用出来るとのことよ」
ピザ屋はあっ、と納得した様子だった。すぐにユウへ続きを言うよう求めた。
「あと…冥界のザクロ、これは別に赤い果実ならなんでもいいみたいね。だからトマト。あとは……ヤギのものがいいとされてるけど牛乳でもいいらしいわ。それから作られたチーズとかね」
「ピザだ……やっぱピザが鍵!」
ピザ屋は明るく言った。3人は希望が見えたことに歓喜した。ノートを読み進めるユウの顔色が悪くなっていっていることには気付かず。
ぱさり。
ノートを取りこぼす音ではしゃぐ3人は我に返った。ユウは膝から崩れ落ちていた。
「ユウ!?ユウ、どうしたの!?ねえ」
「……知りたくなかった」
震えながらユウは難儀して言った。3人は心配そうに彼女を囲む。
「知らなければよかった」
「何を……?何をなんだい、ユウちゃん?」
モトは優しく彼女へ尋ねた。答えはない。彼は困った顔をし、ピザ屋とマキを見た。
「なにがあったかわからないけど…たぶんダイジョブだよ!」
「そうスよ。ピザ、焼きましょ。ね?」
ユウは顔を上げ、頷いた。

 香ばしい香りが居間一面に漂う。
まさに今、ピザを焼いているといった状況だ。そのとき、先程から一言も発さなかったユウがついに沈黙を破った。
「そのピザ、焼き上がっても……まだ完成じゃないんだって」
3人はきょとんとした。ユウは続ける。
「その上にまだトッピングが要るって。それが」
また彼女は口を閉ざしてしまった。モトは嫌な予感を感じていた。マキはユウの肩を揺さぶりながら続きを言うようにせがんだ。彼女は何度か躊躇しながらようやく言った。それはいやに明瞭に聞こえた。
「人肉。これだけは、決して代用不可」
3人が絶望し、その場に座り込んだときだ。背後に言いようもなく不快で、恐ろしい気配を感じた。振り返らない方が幾らかマシだったのかもしれない。だが4人は見た。ドラゴンのような、しかしドラゴンのような美しさや誇り高さ、気高さなどどこにもない。ただただ醜く、見たものに不快感を与え、恐怖を煽る異様な姿の大きな生き物が古い燭台を倒し、テーブルの上に鎮座していた。まるではじめからそこにいたかのように。
「……ピザ。焼けたみたい」
ユウは震える声で言う。ピザ屋はそっとピザを暖炉から出した。そしてテーブルの上へ置く。化け物は食べない。まだ肝心なものが足りないからだ。一番に行動したのはユウだ。
「ッぐ…ウゥッ!!」
キッチンから持ち出していた包丁で勢いよく自らの小指を切断し、切れた指をピザの上へ転がした。
「ヒッ」
マキは顔を青くした。まさか本当にやるなんて。
「……次は誰がやるの」
ユウの言葉に、ピザ屋が動いた。彼女から包丁を受け取った彼は片耳を斬り、同じようにピザの上へ転がす。
「めちゃくちゃ痛いスね。でも死ぬよりはマシだから」
ピザ屋は痛みに顔をしかめ、帽子をとってそれを傷口に押し当てた。
次にモトが包丁を手に取った。その手が震えている。
「怖いけど…ちょっと贅肉が減るくらいだと思えば……」
言って、彼は二の腕の肉を削ぎ、ピザの上へ散らした。血も撒き散らされた。最後に残るのはマキ一人だ。……しかし。
「じょ、冗談じゃない!!なんでそんなことサラッと出来んの!?バカじゃない!?アタシ嫌、もう3人分乗ってるし足りるでしょ。アタシはやらないから!!」
彼女は突如としてヒステリックを起こし、自身の一部の提供を拒否した。それはそうだろう。少しとはいえ、恐ろしいし痛いはずだ。
その時。
「え」
マキの身体は持ち上がり、血腥い肉片の転がる熱々のピザの上に乗せられた。
「な、なんで……?なに、なになになになに。どういうこと。どうして?」
化け物は、仕上げにマキを乗せると満足げにそれを口へ運んだ。巨大な口がばかっと開かれる。とてつもない異臭がする。
「やだ、やだやだやだやだいやああああああああ!!!」
マキの悲鳴。もう助からない。口が閉じられても尚、マキの悲鳴は聞こえていた。ゴキュッ、バリッ、グチュッ、ゴリュッと何かが砕かれ潰され噛み千切られるいやな音がした。しばらくすると悲鳴も聞こえなくなった。ひとしきり咀嚼を終えた化け物はマキだったものの着ていた服を吐き出し、消えた。残され、茫然とした3人は窓から見える外がすっかり明るいことに気が付いた。それからすぐに扉を叩く音と人の声を聞いた。
「すみませーん!この辺りで昨日、山登りに行った男女が行方不明と聞いたのですがー!」
「うちのバイトも帰ってこないんですけどー!おーい、いるかー!?」
救助に来た者たちと、バイト先の上司たちだった。彼らは助かったのだ。彼女も、たった一部提供すれば、或いは。いや、彼らは考えるのをやめた。ユウはしっかりとあのノートを持って、モトとピザ屋は握手を、したあと、この屋敷を去った。戻ることはない。永遠に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?