Pale

 

 月白の砂の上を、男二人が歩いている。砂はさらさら風を舞う。静かな静かな夜だった。男たちもまた、口を開くことはなく。たださくさくと砂を踏む音だけが蒼白い夜にこだましていた。



 言葉にはしないものの、二人には共通した思いがあった。何処まで行けばいい。この旅に、終わりはあるのか。片方はいつか聞いた歌を思い出した。「終わりなどはない、終わらせることは出来る」。違いない。だがきっとどちらも終わらせるつもりなどはないのだろう。彼らを「じゃあお気を付けて」と見送った者はいない。帰る場所も、恐らくはない。今や地表は例外なく砂漠と化しているのだ。世界はもはやとうに終わっていた。




 「私が死んだらどうする」


 ある日片方は言った。もう片方は暫しの無言のあと、「捨てていく」と答えた。
「せめて燃やしてくれ」
「そんな場所があるとは思えない」
彼の反論を無視し、暢気に続ける。
「そののちに故郷の……とまでは言わないが、海にでも撒いて貰えればいいかな」
黒いローブの下で軽くニヒルな笑みを浮かべながら。そうして片方の反応を待ったが、小さく鼻を鳴らしたのが聞こえただけだった。煤けた白いローブを纏った彼はこちらを振り返りすらしない。
「お前が死んだ場合は適当に埋めておくよ。それでいいかい」
「野晒しでも構わんが」
「あ、そう?では、そうするかもしれない」



 このやり取りからそう遠くないうちに、黒いローブの男は本当に死んだ。




 思いがけぬ形でこの旅に目的が出来てしまった、と男は思った。まず白いローブの男はまず棺を探すことにした。地表には砂くらいしかないが、地下は違う。ひどいにはひどいがいくらか人間も残っており、荒れ果てたシャッター街のような様相になっている。とはいえ、かろうじて残った人間たちがかろうじて生活らしいことをしているだけの場所だ。あまり期待は出来ない。地下に降りた男はこの場所の凄まじい冷気による歓迎を受けた。地表もそうだが、この地下は特に寒い。死体が腐る心配をしないで済むが。彼は白い息をふうっと吐き、歩みを進めた。



 男は久しぶりの人間の姿に驚き、その人間が抱えているそれの正体に気が付くと更に驚き口をぽかんと開けた。互いに無言である。埒が明かない。白いローブの男は先手を打って言った。
「棺はないか」
「アッ、エッ!?ひつっ、棺!?そ、そうだよな、要るよな、棺桶。じゃなかった、いらっしゃい……ってもう遅いか」
狼狽える男は、短く切られぼさぼさとした頭髪を掻いた。彼は白いローブの男よりも若いらしい。
「ないのか?」
低く再び尋ねる。
「あっ、ある!いや、作ればある。ただ時間がそれなりにかかるけど」
徐々に平静を取り戻しつつ、その着ぶくれた銀色の半纏の男は答えた。それからこう付け加える。
「えっと、冷凍庫……あるんだけど、奥に。その、よかったらでいいんだけどさ。その人、置いといてあげられるよ」
「助かる」
直ぐに短く返答が返ってきた。──なんだかやりづらい。銀色半纏の男は思った。だが知り合いの一人にどこか似ているかもしれない。寡黙なところとか、凄味があるところとか。などと考えながら、白いローブの男を奥の冷凍庫まで案内した。七畳程度の広さで、いくつか箱が置いてある。
「うん。保管にはちょうどいいはず」
銀色半纏は鼻水を啜りつつ言った。白いローブの男は何も言わずに、黒いローブの男の死体を横たわらせ、その蒼白くなった顔を見下ろしふと思い至る。そういえばずっとこいつはゴーグルを外さなかった。今の今まで。
「あ、ゴーグル。死んでも外さないとは相当シャイなのかな、なんて。……ゴメン、なんでもないです」
銀色半纏の男が何やら言っているのを背後に、黒いローブの男が頑なに外そうとしなかったそれを外した。特に思うことはなかった。



 棺ができたのは数日後だった。まだタスクは残っている。燃やさなくてはならない。それから、海に撒く。そのあとは……どうにだってなればいい。白ローブの男は銀色半纏の男と別れ、棺を担ぎ地下を歩いた。彼が次の目的を果たすことができたのは当分後のことになる。



 「何それ?リアルいにしえのRPG?」
女は白いローブの男を見て言った。実際に死んだ仲間を棺に入れ歩く人間などを目の当たりにするのは貴重な体験と言えよう。
「こいつを燃やせる場所を探している」
「ふぅん。運がいいね、アテならあるよ」
 眼鏡の奥で眠たげな目をした女はどこかに電話をかけた。電波があるのか。
「秘密の回線」
見透かしたように彼女は答えた。それから電話の相手と繋がったらしく、なにやら一言二言を言い、こちらへ向き直った。
「これから来る。私は別に用があるってことにしといて。アレと会うのが面倒だから、帰る」
「悪いな」
その後、暫くすると若い男がやって来た。
「アンタか?その棺桶を見るにそうだろうな。火葬したいだなんて今時珍しいヤツもいるもんだな」
「頼む」
「任せな、俺にかかりゃ良い具合に出来るよ。姐さんの頼みでもあるしな」
「場所は?」
「そうだな、良い感じのスペースが確かあの辺に……」
言って若い男はがらんとした空間まで彼を導いた。
「ここで?」
「そうそう。ここなら火事起こす心配もないし。前にも1回確かこの辺りでやったし。俺自身が火葬場、みたいな」
彼はわけのわからないこの男の言い分に不安を覚えたが、あの女のことは信頼してもいいと思っていた。やむを得まい。もし何か問題が起こったらいくらでも恨んでくれ。心の内で、旅を共にした亡き友へ詫びた。



 驚くべきことに火葬は問題なく終わった。事故も火災もない。軽薄そうな男ではあったが、言うだけのことはあるらしい。
「で、どうすンのアンタ」
「海へ行く」
言うと、火葬の男は気まずそうに顔をしかめた。
「やめといたほうがいい。……言っても聞かないか。ここから近いところだったら……」
忠告はしたものの、それが無意味と悟ると渋々場所を教えた。実際に行ったほうが理解が早いだろう。



 そして理解した。海は汚れに汚れ、海岸の隅には白い腹を上へ向けた魚の死骸が大量に浮かんでいた。少し考えればわかりそうなことだった。白いローブの男は考えた。流石にここに撒いていく気にはなれない。どのみち当て所のない旅だ、どこにだって行ってやろう。



 どこの海も。どこの海も。どこの海も。
結局は同じざまだった。




 月白の砂の上。男が仰向けに倒れている。 砂はさらさら風を舞う。静かな静かな夜だった。男もまた、口を開くことはなく。いつかの夜を思い出していた。こんな夜もあったと。辺りは砂ばかりが続き、何もない。ただ、空には星々が散らばり、月が浮かんでいる。男はそれを眺めていた。
──結局此処まで旅を共にしてしまった。
男は、ある男の遺骨にちらと目をやった。袋に入れ、ここまで持ち歩くことになったのだ。付き合わせてしまったのを申し訳なく思わなくもない。しかし、男を此処まで散々動かしたのも彼なのだ。おあいこかもしれない。男は、手を月へ伸ばした。



 ──ああ、叶うのならば。其処まで。



 稚気じみた願望に、彼ははじめて小さく笑う。伸ばした手が、だらりと落ちた。砂が、舞った。蒼い月が、いつまでも、いつまでもそれを見ていた。

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