傀儡師とピエロ

 奇妙な光景を見た。はじめはそれが人間だと思ったのだが、どうもよくよく見てみると、それは長身痩躯の人形だ。その不気味なピエロめいた人形が、車椅子のこれまた少し気味の悪い老人を引いて歩いているのだ。それを見る人々は指差してひそひそと話したり、くすくす笑ったり、写真を撮ったりとまあ失礼な態度だ。ここからが更に驚きだ。
「オウ、テメーら見せモンじゃねえんだぞ、消え去りやがれ」
喋ったのは人形だ。老人は濁った目で正面を見たまま。その口は閉ざされている。どういうことだ?あれは実は着ぐるみで、中に人がいるとか?それはない。とてもそうは考えがたいほど、その人形は細い。それとも腹話術かな。人形と老人を凝視したまま考え込んでしまっていたのがバレ、人形はわたしを指差しけたたましく怒鳴った。
「見せモンじゃねえっつってるだろ?ジロジロと何見てやがんだ、小娘が」
わたしは咄嗟に何度もお辞儀をし、謝った。ごめんなさい、決してバカにするつもりで見ていたのではなくて。変わった人形が動いて喋っていたのが不思議に思っただけです。と、わたしは思ったままを説明した。すると人形は少し納得したのか、落ち着きを取り戻した。
「まあ、事情がわからねえモンはそうならァな。ジジイの昔話を聞いてけや」
人形は言った。わたしは興味津々に人形を見つめた。すると、人形は再び機嫌を損ねた。わたしはまた何か粗相をしただろうか。
「お嬢ちゃんよォ、人と話すときには人のほう見ろって教わらなかったか?これがゆとり世代ってヤツか?」
言われたことの意味がわからなかった。だが、この人形を見たから怒られた。ということは。わたしはしゃがみ、老人のほうへ視線を合わせた。人形は満足そうだ。
「先に言うとおれはそのジジイだ。おれは昔から、色んなものを奪われてきた。本当に、色々な」
五月蝿かった人形は、急に落ち着いたトーンでしんみりと語り出した。
「一番はじめに無くなったのは声だな。ほら、おれは五月蝿いだろ?でよ、ガキどもに虐められたんだよ。そのリーダーの女がよ……ナイフなんか持ち出してきてさあ。黙んねーと喉元かっ切るぞ、ってさ。それ本気にしちまってよ。喋ろうとしても喋れなくなったのさ、永遠に!!アハハハ!あの時のガキどもの顔ったらないね」
なぜそんな恐ろしいことを笑って言えるのか。人形は良く言えば通る声で、ほとんど一息に言った。ついそちらを見そうになるが、怒られてしまうので努めて老人を向き続けた。
「次がえーと?耳でェ、目でェ…鼻で……ってさあ、おれが何かかを奪われる度にさ、おれの元に何か……パーツのようなものが現れるんだ。ちょうど無くなった部位に似たやつ。そいつを組み立てていったら」
その人形が出来上がった?わたしは聞いてみた。
「そーそー。でも思うんだァ。で、その思ったことをそのまま訊くがよ、お嬢ちゃんは俺とその人形のどっちが『生きてる』と思うよ?」
困った質問だ。まるで生きているかのように振る舞い、無機物とは思えないこの人形と。車椅子に座ったまま微動だにせず、濁った目をしたこの老人。だけど確かにこの老人は心臓が動いていて、血が通っていて……人形をそう動かしているのは老人に他ならない。だからわたしの答えは『老人』だろう。答えようとしたが遮られた。
「アー、アー!答えるなよ。訊いといてナンだが聞きたくないね。その答えは出したくねえ。怖ェんだ。だがな」
人形は黙った。だが……なんだろう?
「心臓が動いてりゃあ、生きていることになるのかい?なンにもモノを言えないのに?なンにも聞こえないのに?喋れねえ味わえねえ見えねえ感じねえ、それでも生きてるッつうのかなァ」
言葉に詰まった。それは……どうなんだろう。例えば絵を描くのが大好きで、それを生き甲斐としている画家がいるとして。その画家が腕を失ったら。絵を描く術を永遠に失ったら。彼は死んでしまったのかもしれない。『画家として』。この老人の場合は心臓以外奪われている。それは……彼にとっての死なのだろうか?
「答えの出ねえ問答続けてもしゃーねえな。やめだ。そろそろおれは帰る。あばよお嬢ちゃん」
散々喋り尽くし、散々考えさせるようなことを言うと満足したのか人形は老人の車椅子を引き、去っていこうとした。その去り際に、人形は振り返ることなくこう言った。
「そろそろ、これも無くなるかもな」
その時はそれがなんのことだかはわからなかった。

 その後日、老人は亡くなった。

 暴れた若者に心臓を一突きされてしまったという。生涯に渡り全てを奪われていった老人は、ついにその『命』までも奪われてしまったのだ。どうしてだろう。あの人が何をしたというのだろうか。わたしは彼が刺されたという場所へ花を手向けに向かった。そこには先客がいた。ひょろりとしたあの姿。老人の人形だ。上半身を折り曲げ、長い手でゆっくりと地面へ花を置いていた。
「お嬢ちゃんかい。見ての通り、死んじまったぜ」
人形は言った。人形は老人が生きていたときと変わらず動き、喋っている。
「心臓が動いてりゃあ、生きていることになるのかと言ったが……その心臓も奪われっちまって、これ」
言うと左胸の内ポケットから、布でつぎはぎにされたなにかを取り出した。脈打つそれはぬいぐるみ製の心臓だろう。
「こいつを得た。さてもう一度訊くが……心臓が動いてりゃあ……生きてるって言えんのかねえ」
たぶん、わたしには訊いていない。誰にともなく、訊いたのだと思う。わたしは考えたが、その答えはわからない。
「もっと言うと、おれは何なんだろうな。誰だ?」
わかりません。答えると、人形は笑った。
「だろうなァ」
人形はそのまま踵を返すと、ゆらりゆらりと長身を揺らし、歩き去っていった。彼はどこに行くのだろう。彼はどう生きていくのだろう。わたしは老人の亡くなった場所に花を捧げ、その場を後にした。この行為は正しいのか。老人は、人形はまだ動いている。生きているのかもしれないから。だけど……あれは老人ではきっともうないのだろう。何をもって命とするのか。その答えが、遠ざかった気がした。

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