Accel Viper

創作です

 ブラックマンバ、という蛇を知っているだろうか。世界最強の毒蛇と言われる蛇である。その所以とは何か。それは最速、毒の即効性、毒の保有量によるところが大きい。で、それがなんなんだと言うと、私もなんなんだろうとしか思えない。私の上司は、私を呼び出すと唐突にこの話を始めた。なんだろう。この毒蛇が出るような危険地域に出向け、とかそういう話なのだろうか。疑問を口に出すと、上司は安直だと笑った。ややムッとしたのを堪え、本筋を聞かせてもらうことにした。

「アクセル・ヴァイパー?」
上司の挙げた名を反芻する。彼は頷いた。窓際に立った彼がどんな表情をしているのかは、逆光故にわからなかった。
「極めて危険な男だ。だがその男を、無傷で連れてきてほしい」
「はあ。わかりました。……つまり、ブラックマンバの話とは」
然り、と彼は再び窓の外へ視線を戻した。要は注意事項のようなものだったのだろう。恐らく、そのアクセル・ヴァイパーという男は件の毒蛇のような特性を持つ。しかし、そんな危険な毒蛇といえど、凶暴性を発揮するのは己が身に危機が迫ったとき。彼を危険な目に晒さなければいいだけのこと。任を遂行する。いつものように、粛々と。

 「ヴァイパー」
知れず、呟いていた。その名を。我が宿敵の名を。これまで、奴とは幾度となく衝突してきた。奴は手強かった。何よりも。俺は百獣の王とこの身ひとつで戦ったことがある。勝った。身の丈を優に超える人喰い鰐とも戦った。勝った。凶暴なコモドドラゴン。勝った。屈強な男の集団。勝った。蛇というなら、近辺の村で恐れられる巨大なアナコンダとも戦った。無論勝った。およそ俺に敵などいない。そう思っていた。否、そう思っている。だが敢えて、敵と……宿敵と呼ぶならば、奴しかいないだろう。アクセル・ヴァイパー。ブラックマンバが人の形を取ったような男。どのような原理か、極めて強い毒液を指先から滴らせ、その柔軟性を駆使した奇妙な動きを取り入れた戦法で翻弄する。それに加え、あの速さ。俺ですら防戦一方にならざるを得なかった。それでも決して、こちらに勝ちの目がないわけではない。俺が、負けることなどない。これまでは何度も痛み分けとしてきたが、それも終わり。今日こそ。今日こそ俺が勝つ。臆せず待っていろ。ヴァイパー。

 なにかの気配を感じる。人の気配とか、生き物のそれではなく。何とは言い難いなにかが。例えるなら、組織の計画、とか。例えるなら、暑苦しいリベンジマッチ、とか。そういったものの、気配が。面倒だが、ヴァイプが動くほどではないだろう。じっとしてればやり過ごせる。ただ、じっと。だけれど、なんだか腹が減った。腹が減るのは嫌だ。仕方ない。じっとするのは、腹ごしらえしたあとにしよう。では───
「オマエは食ってもいいヤツか?」
さっきから木陰に隠れていた人間に向かって言ってみた。そいつが陰から出てくる。
「それは遠慮していただきたい。食事が必要ならば、用意するが」
「いいの?助かるね。鶏肉であればなんでもいいかな。ヴァイプは人間のいるところには降りられないからさ」
その女は通信機器に一言、二言吹き込むと再びヴァイプの監視体勢に入ったらしい。攻撃しようとか、危ないことをやらかそうというつもりはこの人間には一先ずないだろう。
「で、ヴァイプに何の用だ?」
「ある命により来た。アクセル・ヴァイパー、君を我が組織に連れてくること。それが我が命。……了承してくれると、助かる」
そう言った女の元に、いくつか箱を持った別の人間が駆けつけ、去っていった。
「好きなだけ食うといい。用意させたものだ」
そいつから箱を受け取り、中身を確認した。これは確か、フライドチキンとかいったもの。こちらはなんだろう、鶏肉を炙って味を付けた風情のものか。それから……鶏の刺身だろうか。てっきり、市場で売られる肉をそのまま渡されるのを想定していた。最悪ニワトリをそのまま出されればいいと思っていたが、これは……想定外だった。
「どうしたの?」
「ああ、いや。料理を久しく口にしてなかった……どころか目にすらしてなかったものでな。少し驚いた」
「不服かな」
「いいや、その逆。ありがたく戴こう」
この時、別の存在が急接近しているのを勘づいていたが、腹が減っているのでどうでもよかった。……美味い。ヴァイプはまだ完全に人間を棄てたわけではないようだ。悪く、ない。
「ヴァイパァァア!!!」
急接近した存在はヴァイプへ飛び掛かってきた。女は武器を構えた。ヴァイプは飯を食っている。食いながら、そいつへ向かい手を突き出した。毒液の滴る指先を。インターラプトしてきたそいつは動きを止めた。
「な、なーに悠長に飯食ってんだ!!ヴァイパー!」
「腹が減ったから。つーかしつこいんだよ、オマエ。さっきモノローグでヴァイプを宿敵とかなんとかって言ってたけどそういうのじゃないからね。衝突というかオマエが勝手に来るだけだから」
先程のモノローグにはどうしても訂正を入れたかったのだ。図星だったのか、そいつは地団駄を踏んでいる。
「う、うるせえ!とにかく決着だ!決着付けるぞヴァイパー!!俺のほうがお前より強い!」
「…………。うん、美味しかった。久々に満足したよ。御馳走様。……じゃあ仕方ない」
ヴァイプは女へ礼を言う。人間らしい、充実した食事だった。そして、奴のほうへ向き直る。めんどくさい。どうせ今回も、痛み分けになるんだろうさ。
「食後の運動だ。軽くやろう、軽く」
「ふざけるな、本気でやれ!本気で!!」
奴も臨戦体勢になった。こいつは確かに人間にしてはやるが、まだまだだ。遊び甲斐はある、その程度。
「ハァ!?無傷で連れ帰る予定なのに何やってんの!?アンタだよアンタ!ぶっ殺すわよ!?」
女が吠える。
「えっ、何?誰?ちょっ、今忙しいから後でね!」
一瞬だけ女のほうへ視線を向け、真っ直ぐヴァイプへ拳を打ち込んでくる。極めて単純。それをいなし、飛び蹴りを放つ。避けられる。
「無傷でと言ったか?大丈夫、誰が相手でもヴァイプは無傷でいられるさ」
苛立たしげに奴へと照準を合わせ続ける女へ告げる。
「ハァー!?嘗めてんじゃねえ!」

 打ち合いが続く。なんでこんなことになるのか。もう少しで何事もなく、任務を終えられると思ったのに。思いの外話の通じる奴だから、危ない目に遭うことなく仕事終わりそうだと思ったのに。どうしてこんな、面倒な野郎が邪魔するのか。誰なんだ、こいつは。聞いていない、こんなことは聞かされていない。いっそのこと、もう帰ってしまいたい。なんなのかといえば、このアクセル・ヴァイパーという男もそうだ。全く素性が知れない。わかるのは危険性とその強さだけ。
「アクセル・ヴァイパー……アンタは、なんなの」



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