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「歩きながら考える」ヤマザキマリ・著を読んで、思うこと。

「常識」ではなく、「良識」で生きる

子どもの頃に読んだ『フランダースの犬』。あの物語のクライマックスで、大聖堂でネロがパトラッシュと絶命します。多くの人は、「かわいそうに」とその死に涙した。しかし、著者であるヤマザキマリさんは、そうは思わなかった。この場面に至るまでの、ネロの煮え切らない態度に納得いかなくて「ネロは勇気がなかったから、こんな目にあったのだ。」と受け止めた。誰かが絵を見てくれるのを待っている姿に、謙虚さより驕りを感じたと言います。それに比べて、『シッドバッドの冒険』のシンドバッドのずる賢さがずっと魅力的に感じていたという。


また、パンデミックで、私たちは色々な情報に右往左往されて、まわりの人の意見に流されていると、見えるものが見えなくなります。世間の論理や社会の常識を一旦吸収したうえで、審美眼を鍛え、自分の頭で考える実践を積むことで獲得することができるのが、自分にとっての真理、つまり「良識」であると言っている。

多くの人が言っているから正しいことではなく、自分が把握した情報を自分なりの知恵と知識と経験を駆使して、自分なりの答えを導き出すことが大切だと私も思う。また、それが世間の常識とは違うものであったり、まわりの人と違う行動であっても、それに従うことが大切だと私も思う。それがトリックスターだと思う。

☆トリックスターについては、次の記事で書きます。



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