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短編:この手と体温で、季節を食べ尽くして(何処かの国が乾いた)。

 もう何も、喋らないほうがいい。俺も、オマエも。
 
 言葉はきらい。肝心な気持ちはちっとも伝えてくれないくせ、覆水は盆に返らない。その不釣合いな律儀さが、甚だ憎たらしい。洗濯物を畳むことを強制するような(ともすればポリコレにもよく似た)押し付けがましい几帳面さを感じる。うふふ。必要なときに、必要な分よりちょっぴり多くそこに在れば、それで良いじゃありませんの。ねぇ?
 
 二十七度目の春が訪れた。「~を迎えた」と言う気になれなかったのは、望んでもいないのに向こうが勝手に押しかけてくるので、根暗で天邪鬼な僕はどうしても彼女をあたたかく迎え入れる気になれなかったから。「えへへ……きちゃった」って、後ろ手に照れ笑いながら言ってくれるのならば、こちらはいつでもドギマギする用意があるのに。
「私がきた! もう安心だよ! 君を連れて行くからね。とおくとおくに、連れて行ってあげるからね!」
 僕は卑屈に笑って、ああうんそれはすばらしいね、なんて言ってみたりして。でも君はちっとも僕を見てはいないので、言葉の上ッ面だけを捉えて、ふふん、と得意げに笑って見せる。ああ畜生、ほんのちょっとだけ、かわいいと思ってしまったじゃないか───
 
 草を食む動作の、そのひとつひとつが愛しい。
 白い吐息を割るように朝の街を歩く。言い訳がましく、前に進んでいる。日常は鋭角に潜んでいると言うが、非日常はもっとわかりやすく、そこら一帯に溢れかえっている。だからこそ私達はそれをひとくちずつ含んで、もぐもぐ、もぐもぐ。味のしなくなるまで噛んだそれを、音を立てて吐き出し、日常へと立ち返る。それは、遊びもゆとりもない代わりに所属の欲求を満たしてくれ、一切の幸福を期待させないがために、裏切られる心配がない。私達は上手な三角食べで、季節を食んでは生きていく。もぐもぐ。もぐもぐ。草々不一。
 
 知らないおばあさんの荷物を持った。
 どうもありがとう、なんて云われて、ちいさなお菓子でももらえるのかなと仄かに期待してみたけれど、そんな私の浅ましさをお天道さまは見過ごさなかった。ズン、と突き飛ばされ、私はもんどり打って歩道に倒れる。気づいたときにはもう遅い。しまった。よりにもよってここは、二郎系ラーメンの軒下だ。うう、ヌルヌルする、最悪。おばあさんは口元に泡を溜めながら、汚い手で触るな、などのたまう。マインドフルネスがどうとか、イベルメクチンがこうとか、テスラ缶とか、思考盗聴とか、ああもう、心底いやになっちゃう。私は立ち上がると、杖をぶんぶん振り回しながら喚き散らすおばあさんの唇をそっと奪いました。声にならない悲鳴をあげ喚き散らすおばあさんを見て、私はケタケタと笑いました。涙が溢れるほどに、嗤いました。
 ああ、ああ! つくづく、私にはこっちのほうがずっと似合っているね───
 
 諦観とテルネットの蜜月は、令和を過ぎても終らなかった。それどころか、日増しに強まる気配すら感じる。ミシミシと音を建てて軋む揺り籠。英国は最後まで、揺り籠こそが墓場であることを認めはしなかった。歳時記をオーバードーズして、それでも海が見えたのならば上々。真綿で首を絞めるように、あるいは、へその緒で首を括るように季節を食べよう。はじめからなかったことにしたいだなんて、君が言い出す度に気道を塞いでやろう。何処かの国が乾いたあかつきには、暗いところで待ち合わせよう。そうやって僕は、僕は君を想っている。
 
 まあ良いから一回黙って君島大空を聴きなよ。ね? 筆を折りたくなる(この場合は竿、かしら)気持ちがわかるでしょう。ね? わかるでしょう? 私がさんざ言い重ねた「人間やめたい」もまあ、おおむねそういったような感情なのですよ。ふう。
 ねぇ。シングルモルトを携えて、赤橙の間接照明をたきながら、ピュアオーディオで『no public sounds』を流すとしてさ。原木から生ハムを数片を切り出して、カプレーゼとハーフアンドハーフにしちゃったり。良い具合にアルコールがまわったら、my bloody valentineに切り替えるの。ふかふかのソファに倒れ込んで。テディ・ベアに煙草をくわえさせるマイムでゲラゲラ笑って。合成カンナビノイドを肺胞に擦り込んで。さいごはボックスのバニラアイスにメーカーズマークを回しかけて、私のひとくちよりもずっとおおきなスプーンで、口いっぱいに頬張って。
 それでも私たち、これっぽっちもしあわせになれない。ここまでしても、私、ぜんぜんしあわせじゃなかった。しあわせじゃなかったんだ。なんでだろう、もう終わりでいいんだ。だけど少しだけ、ほんの少しだけ期待してしまうの。ひょっとして、キミが来てくれなかったからかな、って───
 
 もう何も、喋らないほうがいい。俺も、オマエも。


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