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【Humanize Voice ~ よしつぐの独り言…】  <バックナンバー 2018年4月-6月>


2018年4月から6月のバックナンバーです!

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貢献している?犠牲になっている? 
<ヒューマナイズ通信 2018.06.20掲載 一部修正>

 組織・集団において、何かしら行動する中で、その行動を「貢献」として捉えるのか、「犠牲」として捉えるのかによって、同じ行動でもその影響力は異なる印象を受けます。「貢献している」と感じる状況なのか、「犠牲になっている」と感じる状況なのか、どちらの割合が多いかによって、本人の気持ちも違えば、組織・集団のパフォーマンス、特に継続的なパフォーマンスは異なるのではないでしょうか。

 言葉の捉え方もそれぞれですが、「貢献したい」と思って取り組んでいる行動はどちらかと言えば前向き・主体的だと感じられますし、「犠牲も必要だ」と思って取り組んでいる行動はどちらかと言えば受動的な印象を受けます。

 実際色々な組織を訪問してインタビューする機会がありますが、会話の中で出てくる言葉が「貢献的」なワードが多いのか、「犠牲的」なワードが多いのかによって、組織の雰囲気・明るさが異なることを実感しています。

 貢献的なアプローチが多い場合は、行動が成果につながり、成果を得ることでまた行動に勢いがつくような好循環が生まれやすいのに対し、犠牲的なアプローチが多い場合は、成果を生み出しても勢いがつかない、満足感・達成感が得られにくく、行動が継続しにくい印象を受けます。

 所属する組織・集団の雰囲気・空気感もありますが、最終的にどう捉えるかは本人(個人)次第の部分が大きいと言えます。自分の立ち位置が行動に影響を与えているといえます。どう捉えると一番実力を発揮しやすいのか、本人が一番わかっているような気がします(犠牲になることが好きな人もいますので、一概には言えませんw)。

 そう言いながら、一番影響力が高いのは「貢献」や「犠牲」にこだわっているのではなく、気にせず夢中になっている状態だと言えます。誰かに頼まれて始めたことなのかもしれませんが、周囲の眼も気にせず、夢中になっている状態、ナチュラルな状態が一番影響力が高いのではないでしょうか。
 目の前に巡ってきた役割に没頭する、そんな時間が過ごせるといいですね。

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ふりかえりのふりかえり 
<ヒューマナイズ通信 2018.06.06掲載 一部修正>

 ワークショップや研修を実施すると「ふりかえり」が大事だとよく言われます。しかし、「ふりかえり」について話を聞いてみると、結構その内容はバラバラの印象を受けます。それぞれの「ふりかえり」がある感じです。

 そういう私もこれだ!と言う「ふりかえり」方法?を持っているわけではありません。多少意識しているのは、ふりかえりは「目的に近づくため」に実施しているという点です。

 「ふりかえり」との比較で、よく反省が話題として出ます。何となく印象ですが、我々は昔から「反省しなさい」と言われる場面が多かった印象があります(私だけかもしれませんがw)。反省はどちらかと言えば、「上手く行ってないこと・ダメだったこと」に焦点を当て、原因を探りながら、どう改善するかが話の中心です。欠点を修正する、良くない部分を変えるという感覚が強い感じがします。

 目的に近づくためには、勿論、修正したり、変えたりしながら改善することも一つの方法ですが、それだけではなく、今のまま続けていく、強化していくことも大切な要素になります。したがって「ふりかえり」は、修正すること・変えることを考えるだけでなく、続けること・もっと強化すべきことも含まれる、むしろ何を継続するとさらに目的に近づけるのかという視点が大切です。

 実際、「ふりかえり」は、ネットや書籍を見れば様々な考え方や方法が紹介されています。これからも様々な考え方や方法が編み出されると思われます。様々な考え方や方法がある中で気を付けたいのが、個人でも組織(チーム)でも、「ふりかえり」の方法が偏っているという点です。「ふりかえり」に関して、癖があったり固定観念があるのかもしれません。特に、毎回同じ問題点や課題が挙がるような「ふりかえり」は、「ふりかえり」として機能していないとも言えます。

 たまには違う「ふりかえり」を実施してみる、他の人(組織)の「ふりかえり」を参考にしてみる…「ふりかえりのふりかえり」をやってみることも必要ではないでしょうか。

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成功体験を積むことと手放すこと 
<ヒューマナイズ通信 2018.05.23掲載 一部修正>

 先日、新人・若手の育成において、成功体験を積むことと同時に成功体験を捨てることも早めに経験させるべきだという話で盛り上がっていました。

 成功体験を積んで自信を持つことは重要です。特に初めて担当する業務では、成功を積み重ねることで、自信を持ち、より積極的に取り組もうとする流れを作ることが必要です。仕事に限らず「できる!できた!」という感覚を持てると、次に進んだり、次につながっていきやすくなります。

 と同時に勇気を持って、一度成功したものを手放す、成功体験に囚われない感覚を持つことも大切です。

 どこの現場でもよくあることですが、成功した経験があればあるほど、違う相手に対しても水平展開したくなります。営業であれば、あるお客様に対して成功したツールやトークは、当然別のお客様にも同じように使いたくなります。
 しかし、お客様の価値観や様々な局面で多様化が進む中で、同じようなツールやトークを使っても良い反応を得られないケースも増えています。一度上手くいったからまた使うではなく、まっさらな状態でお客様の求めるモノ・コトから始めることが求められています。

 いかに成功体験を捨てるか、捨てることを身につけるかは、勇気が必要です。一度掴んだものを離さないと新しいもの掴むことをできません(と、わかっていても簡単ではありません)。
 経験を積めば積むほど、手放すことが怖くなり、難しくなるので、成功体験を一度横に置くこともできるだけ早期に経験させた方がいいのではないでしょうか。現場で伸び悩んでいる若手の一部は、小さな成功体験から抜け出せなくなっている人が多いようです。

 手放すことは、一人でやるよりも、誰かに見てもらう、周囲に協力してもらう方がやりやすいと言えます。やり方を一度手放して、いつも素直に「何のために」と考えられるようになるといいですね。

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偏り過ぎのキャリアプラン? 
<ヒューマナイズ通信 2018.05.09掲載 一部修正>

 平成元年に社会人デビューしたので、キャリア関連?の仕事を30年近く続けていることになります。たまたま最初に入社した会社がキャリア開発に力を入れていることもあり、入社当初からキャリアプランを策定する研修に携わる機会がありました。当時は、中高齢者を対象とした定年後の人生や定年までの過ごし方を考えるライフプラン研修が中心でしたが、徐々にキャリプラン研修の若年化が始まった時期でもありました。歴史を感じます(笑)。

 最近は年代関係なく様々な場面で、キャリアについて考えたり、キャリアプランを策定する機会がありますが、少し自分を見つめることに偏り過ぎている印象を受けます。

 キャリアプランを策定し、実行していくためには二つの視点が必要です。
 一つは、自分と向き合う視点です。これまでの経験をふりかえり、これからのビジョンや想いをまとめ、今後の進みたい方向を整理していく視点です。
 もう一つは、自分を少し離れた位置から俯瞰する視点です。策定したプランに対し周囲がどのような反応を示すかを予測する視点です。自分の考えたプランに関して、理解・協力が得られるか、フォローやアゲインストはどのようなものがあるのか、そういう視点も大切です。

 生きていくことは、変化しながら適応することでもあります。そのためには自分だけではなく、周りとのつながりの中で自分を明らかにしていくことも必要です。自分のためのキャリアプランですが、登場人物が自分だけでは物語が進んでいかないのではないでしょうか。
 自分を探す、自分を見つめることも必要ですが、自分だけに集中し過ぎて、返って生きにくくなるのは辛いですね。

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強者?弱者? 
<ヒューマナイズ通信 2018.04.18掲載 一部修正>

 たまに同年代の子ども持つ方々と子育てに関する話題で盛り上がります。子どもたちも成人しているので、以前よりは子育てに関して客観的に観ることができるようになりました。

 子育てに関して話をしていると、「あの時こうすれば良かった、もっと別の方法をやっておけば…」たられば論、反省に関する話がよく出てきます。別の方法を選択していればどうだっか…過ぎたことなので実際どうかはわかりませんが、自分自身で考えても後悔することは少なからずあります。

 しかし、よく言われることですが、親の反省している、後悔しているといった感情は意外と伝わりやすく、その感情が子どもたちに影響を与えています。実際にどう対応したかはもちろん大事ですが、「ああすれば良かった、こうすれば良かった」という反省や後悔の念?は、思った以上に子どもたちに影響を、どちらかと言えばネガティブな影響を与えています。
 子どもたちが自己肯定感を持てない一因として、周囲の反省や後悔が伝わっていることもあるように感じます。

 話は変わりますが、ハラスメント等の問題に対応する際に弱者が存在していると言われます。確かに立場的に弱い方は存在しますが、弱者と言われている方は、「弱者」と言われた(言われる)ことでその立場から脱出しにくくなっていることもあるのではないでしょうか。

 「社会的弱者を救済する、保護する」ことは必要ですが、「弱者を、弱者を」と連呼されることで、新たな弱者を生み出していないか、増やしていないか、考えることも必要です。そもそも弱いと決めつけていいのか?弱者以外の表現をすることができないのか?そういう発想も必要だと思います。弱者を救済する・保護することと、強弱を減らす・なくすことは違うように感じます。
 強者-弱者という表現が、新たな強者-弱者を生み出していないか、強者側の論理になっていないか、ふりかえる必要もあるのではないでしょうか。

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できない、できない 
<ヒューマナイズ通信 2018.04.04掲載 一部修正>

 「できない」という言葉を聞くと、ネガティブなイメージを持つ方がいるかもしれませんが、少し丁寧に?「できない」という言葉を観察すると、状態に応じて、二種類の「できない」があると捉えています。

 一つめのできないは、あきらめている、無関心であることに起因するできないであり、個人的ですが、勝手に「静的なできない」と名付けております。
 もう一つのできないは、実現したいと言う意志はあるもののできていないこと、こちらも勝手に「動的なできない」と呼んでいます。「静的なできない」は、余程のことがなければ変化しません。一方「動的なできない」は、意志や取り巻く条件によって大きく変化する可能性があります。

 同じ「できない」という言葉ですが、どちらのできないが多く使用されているかによって場の雰囲気が大きく違っているように感じます。組織風土に関するインタビューをする中でも、「できない」の使い方に注目していると、何となくその組織の雰囲気を感じ取ることができます。

 企業に限らず、組織と言われるものには、この二種類の「できない」が均衡していることがほとんどです。「静的なできない」がやや多い時には、雰囲気が悪くなり、逆に「動的なできない」がやや多い時には、雰囲気が良くなる状態ではないでしょうか。最初は動的だったものも、時間の経過と共に静的なものに変わっていくこともあります。
 極端にどちらか一方的に偏ったままということは、ほとんどありませんが、時にバランスを崩して大きく振れることがあるようです。

 育成の場面では、「できる」と「できない」の中間である「できる途中のこと、(まだできてはいないが)できるようになってきたこと」をいかに作り出すかが重要だと言われます。静的なできないが蔓延しないように動的なできないを作り出すことも必要です。

 皆さんの周りではどちらの「できない」が多いですか?

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