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崇徳院

崇徳院という落語があります。

「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」

とても良い和歌ですよね。

この歌を連呼するので、この落語を聴くとこの歌がとても耳に残ります。

元は上方の噺で、「千両みかん」と同様で、若旦那が病んでいるところから物語が始まります。この病んでいる若旦那を救うために、頑張るという発送は同じですが、この話は熊五郎が江戸中を駆け回って、若旦那の恋の相手を探すことになります。

やっぱりこの話は熊さん夫婦のやりとりが楽しいし、そのあと探しにいくところも楽しい。だって、江戸中を探すんです。

どうしてか?

褒美に三軒長屋をもらえるからです。だから、カミさんがお尻叩いて、弁当持たせて、草鞋もたんまり持たせて、「探せ。」と突き出すわけです。

この探すくだりの大変さと、見つけた時の嬉しさの落差が味噌の話です。

先代の馬生師匠と、枝雀師匠のを聴き比べると、本当に同じ噺かと思えるくらい違いますね。

馬生師匠のはとにかく若旦那が色っぽい。船徳もそうですが、そもそも若旦那のか細い感じが滲み出ていて、この人は普段からそもそも草食系なんだろうなと思わせる若旦那です。

金原亭馬生「崇徳院」

一方、枝雀師匠のは探す人熊五郎に、主眼を置いています。熊さんの破天荒さ、能天気さがとにかくすごい。そして圧巻は探す時の描写。本当に歩き回って演者まで疲れ果てるようにやってます。枝雀師匠の着物がはだけまくる一席です。

桂枝雀「崇徳院」

どちらもサゲは、「夫婦ができておめでたい一席です。」としていますが、サゲをやる場合は大体、床屋の鏡が割れて、それを怒られた熊さんが「心配するな。割れても末に買わんとぞ思う。」となることが多いです。

かなり唐突に「買わんとぞ思う。」と言うんですよね。まあ歌がヒントになってるので唐突でないと言えばそうなんですけど。あまりに取ってつけたような感じがして、僕は少しだけニュアンスを変えまして、「割れても末に会わんとぞ思う。」をそのまま使えるように工夫しました。

もし良ければお聞きください。7月1日からダウンロードできます。


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