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学生の時に聴いていた落語

大学で落研に入って、初めて聴いた落語は小三治師匠の「道灌」です。ここから一気に落語の世界に引っ張ってもらいました。


それから、部室にあったカセットテープの音源を聴き漁りました。落語って、音楽と一緒で入り口が肝心なんです。なので、最初に若い人のを聴くのか、大御所の方を聴くのか、はたまた亡くなった人のを聴くのか。その入り口で、随分と落語に対する思いが決まって来るのではないかと思います。



僕の場合は、当時から現役では最高峰の小三治師匠から入ったので、そこからはまずその師匠である小さん師匠、そして我々の落研の先輩である喜多八師匠を周辺に聞いていました。



柳家って「気持ち派」だと思っています。形を構築する前に、その人物の気持ち、その情景の気持ちを考えて喋っていく。そこに自然な間と、所作が生まれて来る。そういう落語だと思っています。



僕もこれが理想だと思っていて、形良く完璧に話せる人でも、ここの部分がない人は面白くないんです。自分にも肝に銘じています。



さてここから、落語をどう聴いて行ったかと言うと、次はもっと古い人に行きます。一番聴いたのは、先の桂文楽と三笑亭可楽。文楽師匠は、カルチャーショックでした。


まず声が高い。そして、短い。そして、第一声が同じ。


どれもびっくり仰天な癖でした。


その癖にハマったんですねえ。


可楽師匠は声が良い。江戸弁の心地よさが堪らないです。江戸っ子が蘇るとしたら僕のイメージは可楽師匠です。



癖のある人というので好きになっていく傾向があって、先代の馬生師匠も聴きましたね。志ん生師匠より馬生師匠でした。



三代目の金馬師匠の分かりやすさと斬新さ、歌のような野晒しの柳好、江戸弁のカッコよさを知った三代目三木助。



古い音源が落研にはいっぱいあったので聴きました。もちろん、円生、志ん生を聴いて、志ん朝師匠も聴きましたが、落研当時はなぜでしょう。先に述べた文楽師匠や可楽師匠を部室で聴くことが多かったです。



生の芸で魅了された師匠ももちろんいます。さん喬師匠、権太楼師匠はもちろんですが。



友人に借りて、「今の落語」を知ることになった昇太師匠、たい平師匠、喬太郎師匠、彦いち師匠、そして当時三太楼だった遊雀師匠。



これら師匠は、「わせだ寄席」ですね。



早稲田の学生が主催のこの寄席は今一番人気のある人を呼ぶという感じで、現在は知りませんが、当時は各大学の落研が優先で入れました。



二年生の時でしたかね。



「わせだ寄席」で聴いた鶴瓶師匠は、凄かったです。落語でこんなにウケるんだというくらい。会場が揺れていましたね。笑ってない人を探す方が難しいくらい。落語ブームって今でこそ言われてますけど、15年前のあの日、あの会場はもうすでにブームの中にあった気がします。今のブームとは違う感じです。



落研の頃から今もそうですが、聴く上でいつも「自分がやるなら。」があるので、「お客な自分」と「演者な自分」が行ったり来たりしながら聴いています。だけど、めちゃくちゃ面白い落語を聴くと「お客な自分」だけがそこに存在している時があって、年に何度かそういう体験を、舞台袖からします。



今日は、学生時代に聞いた落語の噺でした。

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