ニキポスター

ニキの「ナナ」に惹かれるわけ

ワタリウム美術館アートクーリエ塾2日目(2015年6月14日)の終わりに課題がだされた。「2階の展示から興味あるアーティスト、作品を選んで、あさって16日に3分〜5分程度で解説してほしい。」私は、ニキ・ド・サン=ファールをえらんだ。彼女はの陽気でおおらかな作品「ナナ」に惹かれるわけを知りたかった。

1930年、フランス人の父とアメリカ人の母の間に生まれた。展示作品は「鉄の台座の上で踊っている小さなナナ」。この作品は15cmだが、大きいものでは10mをこえる。(箱根の彫刻の森美術館でみられる。)動く鉄の彫刻家ジャン・ティンゲリーとの共同制作の一つである。ティンゲリーとの共同制作では52才で制作した噴水彫刻が有名。(パリのポンピドーセンター、ストラビンスキー広場の噴水と一体となった観光名所。)

私が惹かれるのは「ナナ」のもつ母体としての圧倒的パワーだ。大きなオナカや胸は、友人の妊婦の姿からヒントを得たとされる。ナナを制作し始めてから間もない1966年36才のとき、ポンラスフルテンの導きがありストックホルム近代美術館の展示に恵まれた。展覧会場の入り口となった横たわる巨大な女性像「ホン」は、ナナの本質を最も表していると思う。観覧者は「ホン」の開いた股の間から胎内を巡るようにできていた。生命が生れ出るナナのトンネルを通った10万の人たちは、ナナに包摂され、そもそも人類は母体を通して生まれてきたと気づいたに違いない。

妻にナナの好きなところをきいてみた。「こどもが粘土をこねていたら自然に人間になったという感じ。いびつで自由なところがいい。」

惹かれるもう一つは、揺れ動き続けた彼女の人生である。ヴォーグのモデルをやり、18才で結婚し2人の子どもを産み、別れ、30を過ぎてから絵の具を詰めたレリーフをライフルで撃つ「射撃絵画」で鮮烈にデビューし、フランスで生まれたヌーヴォー・レアリスムに仲間入りしたが急速にはなれ、33才でティンゲリーをパートナーとし一緒に住み始め、35才からナナを制作しはじめ、41才で結婚し、ポリエステルによる肺病に苦しみ、45才から「タロット・ガーデン」の構想を練り、友人がイタリアのトスカーナの土地を提供してくれ・・。

ニキは2002年71才で亡くなるが、創作活動の後半はタロット・ガーデンをつくることを終生の夢とした。50才で最初の彫刻に着手し68才のときオープンさせた。ニキは「私はタロットカードのナンバーゼロの『愚者』だと思うの。」といった(ニキ美術館館長YOKO増田静江のお話の中に記録されている)。自分自身の魂の存在意義を探し続ける『愚者』に、ニキは自らの姿をみていた。

新国立美術館でニキの大回顧展が予定されている。2015年9月18日から3ヶ月弱。是非会いにいきたい。


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