ワタリウム美術館コレクション、古今東西100人展

2015年6月3日

青山・外苑前にある現代アートを発信し続けるワタリウム美術館。和多利志津子さんが、1972年以来、ここを拠点に切り拓いてきた現代アーティストたちとの交流を一気に見られるチャンスがこの展覧会。

2012年9月発刊「夢みる美術館計画 ワタリウム美術館の仕事術(日東書院)」を副読本として活用すると、和多利志津子の想い、ある時期から加わった次世代の和多利恵美子と和多利浩一の感性、そしてそれぞれの展示が立ち上がってくる。

「夢みる美術館計画―」の目次立てがいい。「思想を展示する、ルドルフ・シュタイナー、バックミンスター・フラー、南方熊楠、・・・」「屋外展でアートはさらに拡大する」「アーティストとの交流、ヨーゼフ・ボイス、ジョン・ケージ・・」など、今の自分の関心の範囲と、それが限られていることも良く分かる。

この本に助けられながら展示をみて、アーティストと和多利志津子のゆったりとした信頼関係を深く知りたいと思った。コンテポラリーアートの評価が定まらなかった時期に、自らの真摯な目を信じ、まっすぐに向かう足でアーティストを探し当てたこと、そして作品とアーティストを丸ごとつかむ包容力・・。

いくつかのエピソード。「ヨーゼフ・ボイスの回顧展が、79年にニューヨークのグッゲンハイム美術館で開催されていた。最後の方に展示されていた赤い、甘い、切ないドローイングをみたとき、初めてボイスを理解できたような気がしてきた。それからボイスという作家を追及することを決めた。」「82年、ギャルリー・ワタリでの第1回ボイス展のとき、「自分はいけない代わりに」といって「フェルトのスーツFILZANZAUG」を娘の恵津子さんに持たせてくれた。」

ジョン・ケージのチャンスオペエーションに挿入された「ワタリウム」「3-7-6」(ワタリウム美術館の神宮前の所在地)。今も美術館の対面の建物の壁面に残るキース・へリングの熱狂のあと。アーティストのフィロソフィー、製作プロセス、観るものの息づかいも含めてアート作品なんだ、と伝わってくる。

ごく最近まで知らなかったけれど、和多利志津子さんは、2012年12月1日に80歳で亡くなられた。いろいろとお聞きしたかった。和多利志津子を悼む。

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