アートクーリエ

ワタリウム美術館で生まれた言葉たち

美術館で誰かと「これいいですね。」とシェアしたくなることありませんか?
生まれたての「形が定まらない感覚」を、言葉としてシェアするのが、案内役であるアートクーリエの役割かもしれない。8月初めの土日に延べ8時間ほど、ワタリウム美術館で、アートクーリエという名札をつけ、立たせていただいた。

「失礼します。アートクーリエといいますが、このフロアで一番気に入ったものはなんでしょうか?」「○○、好きですか?」といってコミュニケーションしてみた。

○30代男性美術教師・・「作品とどう向き合うか?を考えながら、みていた。」アーティスト集団JRが気仙沼で行った、巨大ポラロイドによる肖像写真を地元と一緒に町中に貼るというプロジェクトをみながら――「震災とまず向き合ってみる感じで、興味ぶかかった。」「一筆目がはいらず白紙のままの生徒がいる。対象ときちっと向き合おうとする時間が大切なのか、描き始めることで向き合えるのか、まだわからない・・・・・」目の前にある島袋道浩(シマブク)さんの絵をみながら――、「島袋さんと沖縄で飲んだとき、そこにギターがおいてあった。島袋:A君、弾いてみろよ。A:高校のとき触った程度で・・。島袋:それでいいじゃない!・・・アーティストって一番目を捕まえる人だなと感じた。」と言われた。「アーティストの始まりをつくる力ですね。だれのどのような始まりも受容するのですね。」と言葉が出た。

○ニキ・ド・サンファールのふくよかな女性ナナの彫刻を、じっと見ていた20代後半の感性の強さを感じる女性から・・ニキは男性ですか女性ですか、と聞かれる。ナナは隣のアトリエの女性が妊娠して次第に母性を体現していく姿をみてから作り始めたこと、晩年20年間にタロットガーデンという彫刻公園づくりに没頭したこと、彼女は自身のことを、「自分自身の魂の存在意義を捜し続けるタロットカードの愚者―」といっていたこと、などをお話しした。彼女:ニキに子どもはいたのですか?私:初めの夫との間に二人、でも精神的なバランスを崩し、子どもも夫もおいて、金属彫刻家ティンゲリーと暮らし始めます。ニキの作品が、母性の賞賛だけでなく、どこか、寂しさがあることについて、2人で共有し、深めていく感じがあった。「コンテポラリーアートといままでの美術とは、なにが違うと考えていますか?あなたの定義でかまいません。」と問われた。私は、川俣正を例にだして、その作品のもっているストーリーや見ている人たちの中に生まれるものも含めて作品である、と応えた。

○女性3人グループに「気に入ったものがあったら、後で教えてください。」とお願いした。帰り際に示されたのは、台所にある包丁など日常に使うものたちを糸が盛り上がるほど巻いてあるリン・テェエンミャオの作品。強いテンションでグルグルまきにしているところが気になるという。この作品の肝はこのテンションなんだと、教えてもらった気がした。天安門事件(1989)からまだ10年たっていない中国。日常生活もアーティストの表現も、強く制限されていたのでは、と付け加えた。

○細身でポピュラーなオシャレをしている中年の女性。丁寧に見ている様子。私:どれが気に入りましたか?彼女:フランチェスコ・クレメンテ。きれいだとおもった。彼女は色彩のある水墨画のような肖像作品を、ここで発見した、という感じだ。彼女と話していると、私の中に発見がある。彼女:ナムジュン・パイクの作品はあそこで光っていることがきれい。私は、「パイクは一度に世界が見えた、のかもしれません。何台ものビデオを早送りしてシルクロードを示そうとしている。」と応えたが、ビデオに映っているものに気を取られすぎていたことに気づいた。
ヨーゼフ・ボイスは、展示しているものと同じフェルトスーツを着てパーフォーパンスしたことを話したところ、彼女「ボイスさんて大きな方だったのですね。」との反応。視覚イメージがはっきりと浮かぶ女性だった。
オノ・ヨーコにも発見があった。白いチェス盤と白い駒。彼女が、かつてこの作品にワタリウムで出会ったときは、窓際におかれ、雨だれの影が作品に映っていた。そしてあの白さに優しさを感じるといわれた。その途端にタイムスリップして情景が浮かび、私の中で、白いコマたちが小さな人にみえた。
ギルバート&ジョージがオモシロいといわれた。私:どこが?彼女:同じような動作をしているのに、次はどんな動作になるか、と思ってみてしまう。

その他、社会にどのようにつなげるかを「ちょっと、考えて」いる金属彫刻専攻の美大生、アメリカンポストモダンのレポートでワタリウム美術館にこられた女性、河原温さんの日付に存在感を感じる男性、藤本壮介の発泡スチロールを削っただけの10cm足らずの住宅コンセプト模型(山のような建築、雲のような建築、森のような建築)を指して、こんな住宅があったらステキ、といわれたおなかの大きな女性・・・

なるほどという視点と、別の感性を、私にどこまでも示してくれる、そんな人たちに出会えるアートクーリエに感謝した。

2日目
○70過ぎの上品なご婦人たち。タクシーを飛ばして見にこられた。お一人は画家で、お二人とも現代美術に精通されている。ルドルフシュタイナー、リ・ウーファン、河原温などのお名前がどんどん出てくる。しかし、ナムジュン・パイク、JRから始まるこの展示が自分たちのアンテナに引っかかってこない、どうしたのだろうか?と思われたそうだ。
私もジャスパー・ジョーンズ、ラウシェンバーグを現代美術の入口としているので、初めの違和感は同じだったように思う。

ワタリウム美術館に、真夏の日曜日に、足を運ぶ今の若い人たちは、どのような感覚なのだろうか。○蔡国強のヨハネスブルグでの火薬パフォーマンスがオモシロい、といわれた20代前半の女性。300mもある古い変電所の壁に3本の火薬の動線で虹を描くというプロジェクトの壮大さと、前年にネルソン・マンデラが新政権をとったばかりの1995年の南アフリカ共和国で、よくできたことを挙げた。○20代前半の女性。キース・へリングとチンポム↑を挙げた。「キースは実物をみたのは初めて、チンポム↑はすごい。」○演劇をやっている20代後半の男性。「飴屋法水。声がいい。そして存在感。」○20代後半の男性はダイアン・アーバスを発見した、といわれた。○美術館に学生アルバイトできているSさん。ジョン・ルーリーの英語のタイトルに惹かれるという。「私の頭蓋骨に感謝したい。まだ、庭にいるのだから。」「動物たちの誕生」など。

○美術鑑賞正統派という感じがする20代前半の物静かな女性。河原温さんミニマルな作品に惹かれるだけでなく、1日に一つつくって自らの存在を確かめていくような、そのやり方に惹かれるという。写真作品では、「近代美術館で見た横溝静がよかった」と教えてくれた。「自分と他者を意識しているから」という。ダイアン・アーバスの魅力もそこにあると感じた。「アーバスも被写体と一緒に居ますね、」と言葉になった。

私が出会った方たちは、入口が自由で、すっと入っていく。女性のほうが感覚がやわらかい。男性は、入り口を探しに美術館に来ていて、ハードで粗削りで印象的だった。世代を超えて支持されたのは、フランチェスコ・クレメンテ。
淡い色使いがきれい、作家は後から顔のようだと感じそのように仕立てたのでは?などと、この作品の誕生に思いをはせる人がいた。
タクシーで来られた初めのご婦人たちは、ジョン・ケージの線がステキだった、と帰り際に教えてくれた。

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