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『アートとは、違う感性、多様な感性のプラットフォームである』

 オラファー・エリアソンのアートの定義が好きだ―『アートとは、違う感性、多様な感性のプラットフォームである。アートそのものには力がないが、プラットフォームでの「自分の声が尊重されている」という身体的な実感が「私の行動には意味がある」という思いにつながっていく。社会的なつながりが力となる。(NHK日曜美術館2020.8.16/ときに川は橋となる・東京都現代美術館~2020.9.27)』・・・そこから導き出されるアーティストの定義は、知覚が研ぎ澄まされるプラットフォームをつくる人であり、鑑賞者は消費者ではなく、プラットフォームであるアートに力を与え、それによって自らを尊重し行動する勇気をもつ人となる。

 オラファー・エリアソンのアートとアーティストの定義にシンクロするプロジェクトが日本にある。「違いを超えた出会いで表現を生み出す」TURNプロジェクトである。その参加アーティストの内86人が「TURN JOURNAL SUMMER2020 ISSUE04」(2020年7月31日発行)で、コロナ禍での社会の意識の変化に可能性を見出し、生き方を見定めている。そんなアーティストたちを抜粋してご紹介する。

藤浩志/美術家 ・・・あれだけ変革したかった社会の脆弱さが露呈され・・・繋がりの距離(ディスタンス)の中にある空間、つまり・・・都市計画をはじめ、住宅、施設などの空間やスケジュールなどの時間、経済活動、教育現場などの仕組み等々、様々な領域での「間=あいま、あわい」のような・・・中間領域のデザインに新しい発想と具体的な手法が試される好機です。
小山田徹/美術家 ・・・皆がある種の不可能を体験すること。実はとても重要なのです。不可能性の可能性。「濃厚接触」の回避から「心の濃厚接触」の創造へ。どんなアイデアと実践が生まれてくるのか、ワクワクしているのです。
北澤潤/美術家 ・・・変わった気がするのは、私たちが日常によってつくられてしまったのを意識できた証だ。日常を自らつくっているつもりでいたが、実はつくられていた。これが何より怖い。意識できた今、戻る必要はない。戻るつもりもない。どうやって「自らつくる」のか、変わらずあがき続けていくしかない。
近藤博子/きまぐれ八百屋だんだん店主 ・・・ネット会議を含めた、近き将来に実現すると思っていたことが一気に動き始めた。だが、それも全ての人にとって便利であるわけではないとすぐに気付いたはずだ。同時に不便さも感じた。便利さも不便さも、自由さも不自由さも塩梅よく混じり合っているのが丁度良いと改めて感じている。そうでなければ、すべての人が心地よく生きられない。
マダム ボンジュール ジャンジ/Female Drag Queen ・・・不安による暴力、命のぎりぎりを彷徨う人たち、差別意識の露呈、マイノリティの孤立、弱い立場にいる人たちの生きづらさ、新しい方法、生まれるアイデア、新しいつながりと支援、愛の行動。
あらゆるものがすごいスピードで顕在化している。
人の力だけではできなかった変格のチャンス
古い習慣や考え方を脱ぎすてて、未来へ
上田假奈代/詩人/NPO法人こえとことばとこころの部屋cocoroom(ココルーム)代表・・・いつだって答えがあるわけじゃない。不確実な。それが出会いだ。貧しい者たちは、見えなくされる。貧しすぎて語ることができないうえに。雨が降る。かすんで、ますます遠くに感じる。近づくためには、どうしたらいい?近づいたら、どうしたらいい?近づきたくない人に、どうしらたいい?・・・・
田中みゆき/キュレーター/プロデューサー ・・・そこで生まれるオルタナティブな選択肢は、これまでの当たり前の社会に潜んでいた生きづらさを和らげる可能性があるかもしれない。このままもとに戻るのは惜しいと思いませんか?・・・

 アーティストを「知覚が研ぎ澄まされるプラットフォームをつくる人」と定義した。足場はどこ?
 日常に隠されている生きづらさ、違和感、孤立、差別意識、貧困、マイノリティ、束縛に向き合ってきたアーティストたちは、誰かに意図的につくられてしまった日常を注視し「自らつくる」人たちだ。そこを足場にして古い日常の中に、アートという多様な感性が生きていけるプラットフォームをつくり続ける。

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