ジョン_ケージ

ワタリウム美術館アートクーリエ塾4日目

作品を目の前にして、文章ではなくオーラルで体温を伝える。この塾ではそれをやってみたい。和多利恵津子館長がそういわれた。わたしが二人目に選んだアーティストは、ジョン・ケージ(アメリカ)である。

ケージは、1912に生まれ、若いとき建築を学び、つぎに作曲に没頭し、30代半ばにインド音楽、禅哲学、易経にであい、1951年からチャンス・オペレーションという独自の手法で制作を始める。チャンス・オペレーションは、ケージがもっている空間、音楽、時間、自己も自然を含めた他者も存在として一体であるという禅のそれぞれの思想が一つになった、作曲にも、ドローイングにも使えるOSといえる。

ワタリウム美術館に所蔵されている龍安寺、神宮前3−7−6(ワタリウムの所在地)のドローイング作品は、チャンス・オペレーションをOSとし、龍安寺の頭文字のR、15個の石、15本の鉛筆をツールとして制作されている。ケージは「チャンスオペレーションのよってつくられるから、私はなにもしない。やってみて、ああこれはきれいだ、ということがわかるんです。私は旅人のようなものです。」と語っている。(夢みる美術館計画 ワタリウム美術館の仕事術より)

ここからは推測だが、ケージは、完全なものは人知と時空を超えた大きな流れの中にあり、そしてアーティストはそれを自然な形でこの世に導くオペレーターである、と考えたのではないかと思う。龍安寺の石庭の完全さの秘密をそそのように感じたのだと思う。

空間、音楽、時間、自己も自然を含めた他者も存在として一体であるという禅の思想、が一つになった作品として、「4分33秒」を考えたい。4分33秒の間一音も発しない「演奏されない音楽」として有名である。

私がこの楽譜に初めて会ったのは、横浜トリエンナーレだった。芸術監督は森村泰昌。この作品を、テーマ「華氏451°の芸術:世界の中心には忘却の海がある」の第1話の冒頭に持ってきていた。

初めと終わりが記載されているだけの「沈黙」の楽譜で、誰か別の人が別の曲を演奏してもよい、という謎めいた言葉が添えられている。いくらでも機械でコピーはできるが、写し取ることはできない。その楽譜はその演奏家がそのときの自分のペースで演奏し、その空間、その観客たちと聞いた固有の時間4分33秒を切り取り定着させていた。

帰りの電車でふと、ここに偶然乗り合わせた人たちと共有するこの22分○○秒は二度とないここだけの時間であると思った。我々は、ほとんどの時間の切れびを忘却の海へ、無意識の領域に投げ込んでいる。ジョン・ケージは、卓抜した才能によって、次々に流れていく時間を楽譜に定着させた。

「4分33秒」とは、ここ、この時間、この空間に偶然集まった人と共有する「唯一無二の時間につけた名前」だったのである。

この作品は、1952年、新しい芸術をつくりだそうという運動の中で生まれた。ベルリンのバウハウスが閉鎖された1933年☆に、その精神を引き継いで創立した、ブラック・マウンテン・カレッジ(アメリカ、ノースカロライナ州)の夏期講習だった。(ヒトラーがドイツ国首相に任命されたのも1933年である。)ジョン・ケージは1948年の夏期講習にも招かれていて、バックミンスター・フラー(1895—1983)に出会い、学生だったロバート・ラウシェンバーグ(1925—2008)とも交友関係をもった。

ジョン・ケージは、1951年にラウシェンバーグが制作したホワイトペンティングを見て、新たな素材としての沈黙を聴こうとしていたこの時期、勇気をかき立てられた(白石美雪「ジョン・ケージ」武蔵野美術大学出版局)という。沈黙もホワイトペインティングも完全さの中にある。またその完全さは、禅が教える、自己も自然を含めた他者も存在として一体である、につながっていた。

オノ・ヨーコ(1933— )の真っ白に駒も盤もぬられたチェスの一式PLAY IT BY TRUST。この敵味方のない世界の完全さともジョン・ケージの沈黙「4分33秒」は、共鳴している。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?