ワタリウム美術館が選んだ写真家たち

古今東西100人展(2015年9月13日まで)の4階に写真や映像を集めている。その中で印象に残ったアーティストを、引き続きレポートする。

アウグスト・ザンダー(1876〜1964ドイツ人)は、1911年ケルンで肖像写真のシリーズをとりはじめる。職業、民族、階級・・あらゆるドイツ人のポートレートを撮ることで20世紀という時代の真実を記録しようとした。しかし、ナチス・ドイツとは相容れなかった。彼らが理想とするアーリア民族のみを撮影しろという当局の意向に従わなかったため、一時中断を余儀なくされた。ザンダーはケルンを離れて農村地帯に引っ越し、そのおかげでネガフィルムのほとんどは救われ、1980年息子の手によって「20世紀の人々」が発刊された。

大木裕之(1964〜映画監督、アーティスト)。ワタリウム美術館で行ったワークショップで、東京にすむ若者たち64人に15秒間の映像をとってもらい編集した(1999−2000)。8(1〜8)×8(a〜h)、15秒、の集積で、東京の若者たちが、この時何を考えていたのか、を切り取ろうとした。

ロバート・フランク(1924〜スイス人)。35㎜カメラが出始めたころ、移民の視点で、強いアメリカ、黄金の50年代、アメリカン・ドリームの裏側をスナップショットで、都市文化の瞬間を切り取るロードムービーのような感覚で、バンバンとった。発表当時は“反アメリカ的”と酷評された。

ヘルムート・ニュートン(1920〜2004、ユダヤ系ドイツ人)。ナチの迫害を逃れてシンガポールに渡り、1940年にオーストラリアに移り市民権を獲得。「ヴォーグ」「プレイボーイ」など各国のファッション誌で活躍後、70年代ヨーロッパにあった退廃的エロティシズムの雰囲気を残しながら、美しいエロティシズム、タブーであった売春婦などの美しさなども追求し、はじめ「ポルノ」と揶揄されたものの、彼のオリジナリティーとして確立した。

リチャード・アドベン(1923〜2004アメリカ人)は、パリの町並みを利用した映画風な演出、コラージュやブレのあるファッション写真で一世を風靡した。改まった理想のポーズではなく、女優の自然な姿、瞬間的にみせる個性をとらえるポートレート写真を撮り続けた。

デヴィット・ホックニー(1937〜イギリス)。1960年代、プールの絵などでポップアート運動に大きな影響をおよぼした。1980年代、ポラロイドで対象の各部を写し、つなぎあわせて全体像をつくるフォトコラージュを多数制作。ピカソが1907年秋に描き上げた『アビニヨンの娘たち』からスタートしたキュビニズム的手法で、時間と空間とその人間の多面性をつかもうとした。

寺山修司(1935〜1983)。亡くなる3、4ヶ月まえ、ワタリウム美術館にひょっこり来訪された。別れ際、和多利志津子さんに「写真家、寺山修司を誕生させてくれてありがとう—。」といわれた、という。寺山修司幻想写真館「犬神家の人々」(1974)—毎日会場に現れたという—から10年たった時のエピソード。写真では「光陰が流れ、物語が残る。」と語ったというが、寺山修司の強い言葉にたいし、私にプラスに働くのか、マイナスに働くのか、全く別次元のものなのか、写真で架空の犬神家の人々の物語を語るのか。

その時代に、だれかによって「決められた美しさ」がある。それに対して、アーティストが感じる違和感がある。その違和感の正体を追い求め「もう一つの美しさ」を提示する写真家たち。写そうとするものとの対話、瞬時のきらめきの切り取り、その時間の撮られるものと、撮る者との共有、によって写真に定着された「ここだけの美しさ」がある。





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