はじまりの美術館

はじまりの美術館

「はじまりの美術館」ときいて、最初に思い浮かべたのは、港千尋さんの言葉ー2万年前「暗い洞窟の中で、知性と感性の交流がおき、自分以外の存在との連続性への希求から芸術が誕生した。」「芸術が誕生するとき、争いを回避し、存在を回復する知恵も人類は同時に獲得していた。」(2016あいちトリエンナーレ・ステイトメントより)だった。はじまりの美術館は、東京からだと3時間半、郡山と会津若松を結ぶ磐越西線の猪苗代にある。朝5時起きで向かう。

谷川俊太郎の詩「今日をつかめ」が迎えてくれる(部分)。
  始まりは そのまま終わっている
  終わりは そのまま始まっている
  それが一瞬も とどまらない 今という時
  今日は 動きが止まらない 時のドラマに満ちている

ハナムラ チカヒコ『半透明の福島』
その小さくて、身長が低い私でもやっと立てる空間に行きつくまでに、半透明の長いのれんを10枚以上くぐる。猫が上がるような小さな階段の前に、ヘッドフォンが置かれ「それを持って一人ずつおはいりください」と誘われる。半透明のれんをくぐりながら階段を上がると、小窓と小さな机と便箋と封筒と硬めのシャープペンと座布団とポスト。こどもの声で「今まで心の奥にしまっていて、誰にもいったことのないことを、私があなたの年になったときに読めるように、手紙に書いてください。」とお願いされる。ここは自分の心の奥だと気づく。階段下の一人しか入れない暗い空間に、椅子が用意され、棚から匿名の手紙をとって、懐中電灯で読むことができる。

クワクボ リョウタ『LOST#17』
暗くて高さのある真四角の部屋にはいると、模型の小さな汽車が走っている。よく見るとライトが正面と右側につき、左側には光がもれないようになっている。模型の汽車の車窓から見えるのは、鉛筆群、プラスチックの定規、ホッチキス、ゼムクリップ、鉄製のブックエンド、バネ式のCD立て、紙の筒、プラスチックのソース入れ、ざるなどの林立である。軌道は複雑に曲がっていて、それらに汽車が近づくにつれて、小さかった影がどんどん大きくなり、パノラマのように壁から天井まで影が飛んでいき、そしてまた新しい影が生まれる。影なのに体感はリアル。鉛筆の林を抜け、ざるのドームに入り、紙の筒のトンネルをいくつもくぐり、ブックエンドの橋を渡る。

高橋和彦『男子校のプールほか』
中学卒業から10年後、盛岡市内の製麺工場にて仕事をはじめ、母親が亡くなった49歳ごろから親戚などの支援を受けながら一人暮らしを開始。その後53歳のとき、盛岡杉生園の前身の作業所へ通所し始め、58歳ごろから施設のアトリエ活動で支援員の勧めで絵を描き始める。高橋さんが丁寧に描く風景は、一定の速さでゆっくりとペンで描いたあと、水彩で着色している。猪苗代の静かで明るくて穏やかな風景と重なり合う。

猪苗代駅前の観光案内所で電動自転車を借りて、猪苗代湖畔、はじまりの美術館、土津(はにつ)神社、図書館(郷土資料館)などを巡った。湖畔のあたたかい日差しと冷たい風、磐梯山の懐に抱かれる感覚、畑を耕す人たち。私の身体の中を、風が吹きぬけるのを感じた。


 


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