アーティストたちが語った「他人の時間」に向き合う手掛かり

2015年4月12日

東京都現代美術館の写真展「他人の時間」アーティスト・トークに参加した。

その中で、強烈に「他人の時間」に向き合う手掛かりを提示したのは、mamoruさんだ。「いいですか?・・・アイフォンの着信音!・・・」その言葉で、様々な着信音が参加者に聞こえたはずだ。私は、今ココ(でトークを聞いていること)をリアルに感じることこそが、他人の時間に向き合う手掛かりである、と思った。自らをリアルであると感じなければ、他人の時間に向き合うことはできない。そして発せられた言葉によって同時に音を感じる「協想」—日本が古来からもっている俳句の世界とも共通する—が自身と他人を感じる手掛かりになる。

写真家の下道基行さんは、ギリシャの夕暮れを見ていたとき、今同時に、夜が明ける場所がある・・・・どこかで終わるけど、どこかで始まる、という不思議なつながりを感じた。つながっているんだ、と思うとそれが他者への手掛かりとなる。津奈木の夕暮れと同時に夜明けとなるシカゴの空が作品になっている。

キリ・ダレナさんは、フィリピンのマルコス政権時代の抗議デモの写真を博物館の中で見つけ、群集の抗議する動きとプラカードの言葉とを分離した。白いプラカードをもって訴えている群集は、過去の「ある国」の群衆ではなくなり、一気に私に近づいてきて、向き合わざるを得なくなる。ミヤギフトシさんは、個人の生きにくさをユニバーサルにつなげる映像作品をつくろうとした。ボーイズラブをテーマにしたオーシャン・ビュー・リゾート。グレアム・フレッチャーさんの作品は、異なる速さで一周する秒針だけの20個を越える時計。何秒間かに一人、こどもが死んでいく、と聞いたことを元にしている。12時のところで・・チン・・チン・・と鳴る絶え間ない無機質な音を、オーストラリアのキュレーターが「悲劇の音楽」と表現した。1930年代から40年代、抑圧のためほとんど記録に登場しないインドネシアにおけるアラブ人社会をグレーのペイントで100の画面に定着させたサレ・フセインさんの作品。4つの作品は、「他人の時間」の方からこちらに近づいてきて、「忘却の海」に捨てたがっている私に迫ってくる。

企画展「他人の時間」は、4つの美術館(※)の若いキュレーターたちが1年半前から準備し、アーティスト・トークも4人がフォローしている。コンテンポラリーって、こうやって表出し続けているのだ・・・・このアーテスト・トークは、コンテンポラリーの誕生のシーンに立ち会っているかのようだった。

(※東京都現代美術館、大阪の国立国際美術館、シンガポール美術館、クイーンズランド州立美術館。それぞれの美術館を巡回する。)

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