南方熊楠×中沢新一×坂口恭平×ワタリウム

ワタリウム美術館のレクチャー「南方熊楠を呼び戻す」は、熊楠のいる世界と中沢新一さんの世界観と坂口恭平さんの芸術活動をつなぐ、貴重な経験となった。(2015年7月16日、青山の建築家会館)

中沢新一さんが解く熊楠のいる世界を聞きながら、一つのことに収斂していった。「一番小さな単位である細胞一つ一つも思考していて、脳と対等に存在している。これは、粒子と全体が同じ波動で対等に存在する量子力学の世界である。人間と世界全体の関係も同様で、動物の意識も植物の意識も人間の意識も対等なものとして存在していて一つの世界をつくっている。だから本当は入れ替わりができる、熊楠のように(名前に熊と楠を持っている!)。」

中沢新一さん:「江戸時代までは、神社など、どこにも属さない漠然とした空間があった。そこは人間のものではなく、動物や植物のものだった。昆虫も植物も動物も人間も対等だった。」「熊楠のいる世界は、華厳経のもつ一つの大きな心の世界、トーテミズムの世界—植物の意識も、動物の意識も人間の意識も一体で同時に存在し、しかも自由に行き来できる世界—に通じている。」

「近くの神社の森が切られたとき、狂気にかられたのは、熊楠の人格と植物の意識が一体化していたからだと思う。環境を守る運動、というレベルとは違っていた。」

熊楠は研究できない、とも言われた。自分の中を熊楠が通過した瞬間にことばが理解できる、という。「いろんなニューロンが同時に活性化して星雲のようになる、それをスキャンして文章にしている感じ。地球を高速で録画しているよう、一本のものとして一気にみえてしまう。」

ワタリウムのチラシに、「坂口恭平さんは欠席する場合もある」と書かれている。これは半分は遊び心だが、そのリスクもあった。芸術活動をするとき、「世界が一本のものとしてはっきりとみえる。熊楠を感じる。一方で、今日などは、やっと話をしている。」坂口恭平さんは、「人間的合理性ではなく、むしろ植物的合理性でいきている。まっすぐのびようとは思わない。切られれば、また別のところをのばす。」

「熊楠は粘菌に熱中した。粘菌は、脳がある訳ではないのに、高度な意識を持っていて、迷路の経路を認識する。あるときは動物のように移動し、ある時は植物となる。自由に動物と植物を行ったり来たりできる生き物だったから、とその理由を説明できる。」

「粘菌になぜ知性があるのか?視神経の研究で、視神経細胞一つ一つが思考していて、まず色や形を分類してから脳に送っていることがわかってきた。だから、脳が情報処理できる。視神経は独立した機関としての窓であり、その意味では、脳が外をみている、のではなく、目が外を見ている。粘菌の細胞一つ一つが思考している。」

また、中沢新一さんは、量子力学で熊楠のいる世界を語った。「全体の波動と粒子の波動が同じである世界が量子力学。熊楠は顕微鏡で生物を観察するのが好きだった。これは、微細な細胞レベルの波動と熊楠のいる世界の波動が同じだったからだと思う。」

最後に、中沢ファンとして聞いてみた。熊楠と中沢新一さんご自身の世界観は共鳴するのか・・・もちろんイェス。これで、いままで読んできた贈与の話、経済の話、チベット仏教の話、修験道の話が一気につながるのを感じた。



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