砂連尾さん

砂連尾理が想像力のツボを押すパフォーマンス「妊婦と踊る」

砂連尾(じゃれお)さん(以下J)のパフォーマンス「妊婦と踊る」をみた(TERATOTERA祭2018、11月18日(日)、三鷹駅北口のマンションの広場)。パフォーマンスの想像力で広場と見ているものを包み、未体験ゾーンにもっていかれた。

Jは、椅子に座った妊娠7ヶ月のFさんのお腹にそっと両手をあて、ずいぶんと長い間胎児を感じ、それからフワリふわりと踊りだした。胎児の踊りだ。しばらくして、妊婦のFさんも胎児になったJの手とって優雅にダンスを踊るが、このステージの終わりに別々のダンスとなり、一体感が破られる。

Jがこのパフォーマンスに至るきっかけをつくった助産院の女性の院長さんとJがからんで分娩のパフォーマンスが始まる。2000人の分娩に立ち会った彼女が渾身で演じる分娩台の出産と、夫役の首元につかまった自由分娩パフォーマンスに、見ているものは、院長の腕の中で湯気に包まれた小さな赤ん坊を見た。

ここで「夫が一緒に苦しむことで、妊婦の苦しみを分かち合うことができ、妊婦の苦しみが軽くなる。」という「擬娩」の考え方をJが説明し、毎日大きなお腹を見ているFさんの夫が、お面をつけて身をよじりながら地面を這い回るように擬娩の苦しみをフォーマンスした。Jはその夫の腕をつかんで地面をゴロゴロと転がし、さらなる苦しみを与える。「擬娩」パフォーマンスは私の中に深く入ってきて、子どもの出産だけではなく、何かを生み出すすべての創造活動に通じると感じた。

ここで趣向が変わり、妊婦Fさんがラップに乗せて、妊娠して5感が変化していく様子、例えば好きだった古い家の臭いに耐えられないことや、身体の主導権を胎児に握られる感覚を歌い、自分と胎児の世界しか考えられない自分への割り切れなさを「一番生産性がないのは妊婦」と歌った。

最後は一人妊娠8ヶ月の妊婦の方が加わり、2組のご夫婦のパフォーマンス。胎児のJは視界から消えていき、それと同時に夫たちが妊婦のお腹の中に包み込まれていく。Fさんから見ればそれは胎児を喪失したあとを夫が埋めていくようでもあり、胎児と一体だった時間から夫との時間を取り戻す様でもあった。

私は、妻が妊婦のときには、腫れ物に触るようだったし、胎児と妻との世界には入っていけなかった。砂連尾さんのパフォーマンスで分娩を想像力で体感し、遠くにあってつかめなかった出産が身近となり、出産後の夫婦の一体感に身を委ねた。「Fさんはきっとちゃんと出産できる」という明るい希望が胸に満ちた。



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